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「ついた! ここがシバチク!」
車を降りた先生が、大きく伸びをした。
僕らはついに、『ハネキリ』の故郷、シバチク……のあった場所に到着した。僕も助手席から降りる。
「全然道が見つからなくて、一時はどうなるかと思いましたが、無事に着きましたね」
「ね。シバチクは洪水で沈んでるから、人が立ち入らない前提で地図に描かれてないんだな」
予定では午前中に着くはずだったが、『ようこそ呪いの村・シバチク』の看板を見つけた頃には、太陽はかなり傾いていた。オレンジ色の空を、カラスの群れが横切っている。
先生の爆走のおかげで、僕たちは予定よりも早く目的地最寄りのインターチェンジで降りた。旧シバチクのあった山道に入るまではスムーズだったが、そこからが難題だった。シバチクはすでに地図から消えた地だったせいで、カーナビが仕事をしないのだ。
ホームページからプリントアウトしてきた地図を見て頼りに、僕がナビ係を務めていたが、この地図も曖昧で結局役に立たない。スマホも圏外だった。
延々と道に迷い続けて、一旦山を下りて昼食にしてまた山で道に迷い数時間。村人が作ったらしき矢印の書かれた小さな看板を見つけ、僕らはそれに従って進んだ。道はどんどん狭くなっていき、車一台ようやく通れる細い道を慎重に進み、やがて拓けた場所に出た。前述の看板が掲げられた、小さな駐車場だ。
先生は例のボロのカメラで村の景色を撮影し、豪快に笑った。
「帰る予定の時間が夕方六時だったはずが、到着した今が六時になってしまったな!」
「長時間の運転、お疲れ様でした」
村をさっと回って帰るとしても、帰宅は深夜になりそうだ。
林を切り開いたような狭い土地に、木造の家屋がぽつりぽつりと建っている。合間合間に小さな畑が点在しており、村の人が野菜の世話をしていた。
かつて洪水で沈んだこの土地は、現在は水は引いて、畑を作れるまでに回復しているらしい。とはいえここまで来る途中には、瓦礫や家財の残骸がところどころで見受けられ、それらはその昔「流された村があった」と物語っていた。
村を風景を眺め、先生が感嘆する。
「ここが呪いの名所か。すごいな、一度無に帰した土地をここまで村っぽく復旧させたのか」
「資材や生活用品を運び込むために、村までの道も、村の人たちがコツコツ整備したんですね」
黒く陰った林に囲まれた村が、眼前に広がっている。蝉の声がわんわんわんと、四方八方から僕らを包む。べったりとした夏の空気の中、僕は額から汗を流した。
そこへ、割烹着を着た腰の曲がったおばあさんが、よちよちと歩み寄ってきた。
「おめえさんたち、観光客かや」
「どうもこんばんは。シバチクのホームページを見て来ました」
僕が挨拶をすると、おばあさんは落ち窪んだ目でにこりと笑った。
「そうかえ。夕餉時じゃけ、お腹がすいたろう。こっちに来んしゃい」
おばあさんが僕らに背を向け、歩き出す。先生は嬉々として彼女についていった。
「飯処に案内してもらえるみたいだ。ありがたいな!」
村の中を歩いていると、数名の村人とすれ違った。かつて村おこしのプロジェクトを立ち上げた人たちがここに移住してきて、徐々に人を増やしたのだろう。こんな山奥なのに、意外と人が住んでいる。
狭い村で暮らす人々は顔見知りばかりらしく、よそ者の僕たちを物珍しそうに見ている。そして皆、僕らを歓迎して声をかけてくれる。
ほのぼのしていてのどかで、「呪いの村」というフレーズが全然似合わない。ごく普通の農村といった雰囲気だ。呪いをエンタメ化しているだけの、現代の普通の土地なのだと再認識させられる。
首から下げたカメラを手に持っていた先生だったが、もう写真は撮ろうとしない。そもそもこの人のカメラは心霊写真を撮るためにある。この村の風景は、先生が撮る気をなくすほど、平和ボケしていた。
おばあさんの案内で、やがて村の奥に建つ小さな宿に着いた。おばあさんが宿の引き戸を開ける。
「観光客はここでもてなすべさ。飯代はいらんよ。わしらの歓迎の気持ちじゃべ」
「なんだと。ありがとう。小鳩くん、早速ごちそうになろうじゃないか」
先生が驚きつつも僕を誘い、宿へと入っていく。僕もお腹がすいていたので、わくわくして足を踏み入れた。
宿は古めかしい日本家屋の平屋である。観光客が泊まれる客室が五部屋と、浴場と宴会場があるという。僕らはその宴会場へいざなわれ、夕食をごちそうになる。
僕はこの古風な雰囲気が放つ独特の魅力に心を奪われていた。田舎の夏休みを彷彿させる、懐かしい気持ちにさせる、エモーショナルな世界観。先生の唐突な思いつきでここまで来たが、来てよかった。
こんなに雰囲気が良くて、村の人が優しいのだ。先生が言っていたとおり、レポートを書いて村の魅力を外部に発信して、宣伝に協力できないかと真剣に考えてしまう。
「なに食べさせてもらえるんでしょうか?」
「なんだろうな。村で採れた野菜とか?」
先生もそう微笑んで、軋む廊下を歩いた。
*
それが十分前の出来事。今や僕は、自分を囲む光景に困惑を隠せなくなっていた。
「まあまあ飲みなさい、食べなさい」
「え、ええと……はい」
宴会場の座卓にずらりと並んだ料理とお酒。そしてなぜか僕らと同じく卓を囲む、二十人あまりの村人たち。
僕らの歓迎のためにと集まってくれたのだそうで、どうやら殆どの住民が勢揃いしているらしい。
もう少しゆっくりできると思っていた僕は、この盛り上がりぶりにたじたじだった。声を潜めて、先生に話しかける。
「観光客が来ただけでこんなにお祭り騒ぎなんですね。そんなに珍しいんでしょうか」
と、緊張する僕とは違って、先生は大はしゃぎだ。
「参考資料! 参考資料!」
子供みたいに目をきらきらさせて、カメラのシャッターを切りまくっている。宴会場や廊下、料理と、撮り放題だ。
「先生! 大人しくしてください」
「だってこんなに大歓迎されてるんだぞ」
先生はようやくカメラをしまい、席についた。
「正直びっくりだが嬉しいな。これだけシバチク生まれの子孫が集まれば、『ハネキリ』の詳しい話も聞けそうじゃないか」
先生は満更でもないようだ。そういえば先生は単なる観光ではなく、仕事のための視察としてここに来ているのだった。
村の男性が肉の塊が乗った大皿を持ってきて、僕らの前に置いた。
「おふたりはカップル? ご夫婦かや? 子供は?」
「他人です。両方とも未婚ですし、子供もいません」
僕が即答すると、男性はハハハと豪快に笑った。
「そうかそうか! 若いお姉ちゃんが来てくれて嬉しいべ。いっぱい食べてくれ。甘い物もあるぞ」
日焼けした肌の、筋肉質な男性だ。この人は村の青年たちのリーダー的な存在らしい。彼は先生の隣に座って、僕の反対隣を陣取った。
「なに食べたいべさ? おかわりもあるけえ」
心做しか、僕より先生のほうが手厚く歓迎されているように見える。有名な作家であると名乗っていなくても、美人だし、ちやほやされるものなのだろう。
男性が徳利からお猪口にお酒を注いで、先生に差し出す。
「これは村の米で作った酒だべ」
「酒! 酒を作っているのか、この村は」
たちまち、先生が勢いよく反応した。しかし彼女はぐっと堪える。
「だが今日は私の運転で来てるんだ。日帰りの予定だから、遠慮しておくよ」
「なんと!? 泊まっていきんしゃい。夜の山道は危険じゃけえ。地元の人でも迷うがじゃ」
男性にそう言われ、先生はハッとした。僕も少し迷って、先生にお酒を促す。
「今から帰るのはたしかに危ないですし、今夜はここで一泊させてもらいましょうよ」
なにしろ先生は、長い運転で疲れているはずだ。大好きなお酒を飲んでゆっくり休んでもらい、帰りは僕が運転すればいい。
先生は嬉しさを滲ませながらも、僕を気遣う素振りをした。
「しかし小鳩くん、明日は仕事があるんじゃないのか?」
「ありますけど……もう仕方ないので」
休みの連絡を入れようにもスマホは圏外だ。あとで村の電話を借りて、店に一報入れようと思う。
村の男性も何度も頷いて僕に同意した。
「そうじゃそうじゃ、泊まってけ。必要なものは全部、わしらで揃えるきに」
いっそのこと一泊してしまったほうが、村を思う存分観光できる。そのほうが先生にとってもいい刺激になるだろうし、僕も、この田舎独特の空気が心地よい。この昔懐かしい雰囲気を背景に、青春小説のプロットがひとつ、描けそうな気がする。
先生は目を潤ませて喜んだ。
「いいのか? それじゃありがたく飲むぞ」
先生がお猪口に注がれたお酒を飲むと、村人たちは手を叩いてはしゃいだ。先生はお猪口を置き、気持ちよさそうにため息をつく。
「はあ、いい切れ味だ! 一泊するなら小鳩くんも飲むといい」
「僕は日本酒飲めないので、遠慮します」
それに翌日にお酒が残ってしまってもいけない。断ったが、村の人たちは詰め寄ってきた。
「飲まないと勿体ねえ! 飲め飲め!」
「この酒は飲みやすいっちゃ」
無理やりにでも飲まされそうになり、僕は狼狽しつつ苦笑いした。
「ありがとうございます、自分のペースで飲みますんで」
おもてなしのムーブが押しつけがましいのは、観光客に飢えているせいだろう。熱烈歓迎はありがたいが、お酒はちょっと困る。
僕は村人の意識を逸らすべく、先生に話を振った。
「先生、『ハネキリ』に興味があって来たんですよね。村の皆さんからお話を聞きましょうよ」
「『ハネキリ』の話かじゃ?」
人々の関心が、一気にそちらに持っていかれた。先生も頷いて、話を進める。
「ああ。ネットで噂されてる情報と、あとは寺に保管されていた呪術書を読んで理解を深めているところだ。一度は真似しようかとも思ったくらいだが、素材が揃わなくて諦めた」
村人の集中が先生に向いている隙に、僕は自分に注がれたお酒を先生のお猪口にそっと移した。
男性はふうんと鼻を鳴らした。
「『ハネキリ』は仮に素材が揃ったところで、見様見真似じゃ成立しねえべさ。ウツワ様に毎日手を合わせて、初めて呪力を持つべさ」
「ウツワ様?」
先生はさっと、鞄からノートとペンを取り出した。ここで得た知識を書き留めるために、持ち込んできていたのである。
村の男性は頷いた。
「ウツワ様は、村の姫巫女じゃべ。『ハネキリ』はウツワ様への信仰ありきの呪いだや」
それを聞くなり、先生の目が輝いた。
「聞いたか小鳩くん! 『ハネキリ』は村特有の土着信仰が前提の呪いだった。村ホラーの鉄板みたいな話が出てきたぞ!」
「こういう狂気じみてて意味不明な信仰って、幽霊とは違った嫌さがありますよね」
村の人たちも呪いをコンテンツとして扱っているのは分かっているが、それでも気味の悪い話である。
好奇心旺盛な先生は、男性の話に食いついていた。
「毎日手を合わせるということは、そのウツワ様とやらの御神体があるんだな」
「宿の傍に祠があるべや」
「最高だ! 今すぐ連れて行ってくれ」
「夕餉が先だべ。旅の疲れを癒やしてからじゃ」
うずうずしてしまう先生を宥めて、男性は料理を勧めた。呪いの理解を深めに来た先生としては、今すぐにでも知らないことを教えてほしいのだろうが、村人のもてなしは止まらない。先生はお酒をもうひと口飲んで、ペンを手に話を催促した。
「それじゃあ、見る前に予習だ。ウツワ様信仰について詳しく聞きたい。どんな信仰なんだ?」
これには、また別の村人が答えた。
「ウツワ様は、村の人々の祈りを一身に受けて、ひとつの大きな力として蓄えてくれる姫巫女だじゃ。人間ひとりひとりの力は小さくとも、全員でウツワ様に捧げれば、塵も積もれば山となるけえ」
「なるほど。祈り、もとい呪いの情念の器だから『ウツワ様』か。その御神体の正体は?」
先生が興味深そうに聞くと、案内してくれたおばあさんがにやっと笑った。
「これは怖ーい話じゃ。聞く覚悟はあるがじゃ?」
「ふふふ、もちろんさ。むしろそういった話聞きたさにここまで来たんだからね」
おばあさんのわざとらしい振りに、先生は一層機嫌よく耳を傾ける。おばあさんは勿体つけて、声を潜めて言った。
「ウツワ様は、人間の剥製べ」
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