4

 翌朝。お酒にやられて寝坊した僕は、大慌てでバイト先のカフェへ駆け出した。シフトの時間が少し遅めだったおかげで遅刻せずに間に合った。


「お待たせしました。オリジナルブレンドと、カフェラテです」


 トレンチに飲み物を載せて、お客さんのテーブルに運んだ、そのときだ。別のお客さんの大荷物が、僕の背中に直撃した。


「わっ!」


 トレンチの上の飲み物が、ガタッと倒れた。コーヒーがトレンチを満たし、床へと零れる。僕はさあっと青くなった。


「すみません! お客様、お召し物やお荷物は汚れていませんか?」


「大丈夫です」


 テーブルのお客さんには飲み物はかからなかったが、僕は制服がコーヒーまみれになった。冷たい飲み物だったのが幸いだが、ショックである。

 他のスタッフが駆けつけてきて、片付けを手伝ってくれた。荷物をぶつけたお客さんは、気づかずに帰ってしまった。僕は床を拭きながら、テーブルのお客さんに謝る。


「申し訳ございません。すぐに作り直しますので……!」


 思えばこの出来事が、僕の不幸のカウントダウンの始まりだったのかもしれない。

 数時間後、休憩に入った僕は鞄からスマホを出した際に、衝撃的なものを目の当たりにした。

 僕の鞄の中で、竹人形が微笑んでいたのである。驚いて鞄を放り投げそうになった。


「うわあっ! なんでこれがここに!?」


 この人形は先生の仕事机に置いてあったはずだ。いつの間に僕の鞄に潜り込んだのか。

 昨日の出来事を振り返ってみる。そういえば、僕は酒で頭がぐらついて机に後頭部を強打した。多分そのときに、机の上の竹人形が倒れて転がって、下にあった僕の鞄にストライクしたのだ。


 いつの間にか人形がなくなっていたら、先生は驚くだろう。それに僕も、眉唾物と分かっていても、こんな薄気味悪い人形なんか持っていたくない。

 先生は今日、友人の結婚式に出かけている。そんなおめでたいときに呪いの竹人形の連絡を入れるのはナンセンスだ。どちらにせよ返しにいけないし、今日一日くらいは僕が預かっているしかない。

 僕は人形の薄笑いを眺め、ため息をついた。


「やだな……気持ち悪いなあ」


 こんなものを好んで買った先生の気がしれない。

 ふいに僕の手が傾くと、中からコロッと微かな音がした。


「ん?」


 軽く振ってみる。やはり筒の中になにかあるのか、カサコソと鳴った。竹は上下が同じく竹でできた蓋でしっかり閉じられているが、どうやら制作段階でなにか封入しているようだ。


「ええ……なにが入ってるんだろう。気になる」


 気持ち悪いものではなければいいのだが……。見てみないと分からないが、中を見るには人形を壊さなくてはならない。

 僕はスマホでもう一度、竹人形について、インターネット検索をした。自分で竹を割らなくても、他の誰かが確認して、どこかに記しているかもしれない。

 そういえば、この人形は地方の民芸品らしいが、どこで作られているのかまでは知らない。改めて調べてみたら、情報が出てくるだろうか。


 最初の頃に見つけたブログがもう一度ヒットする。竹人形の写真入りの記事ののち、翌日の記事をクリックする。このブログの主は日常の出来事を書いて、ブログを毎日更新していた。

 しかし、竹人形を入手した記事の七日後からは、更新がぱったり止まっている。


「……あれ?」


 ぞっと背すじが凍った。偶然だろうか。たまたま偶然、ブログの主が急にブログに飽きただけ。そうであってほしい。

 中身を調べる気はすうっと失せた。どこのお土産かも相変わらず分からないし、変な音は聞かなかったことにして、忘れようと思う。いずれにせよ、先生に返してしまえば僕には関係ないのだ。



 翌日、僕はバイトの休憩時間に、先生と電話をしていた。


「えっ!? しばらく帰ってこないんですか!?」


「そうなんだよ。こっちで暮らしてる友人のお店を手伝うことになっちゃってな。言うて臨時バイトだから、明後日には帰るよ」


 友人の結婚式で、仕事を休んで羽根を伸ばす……と言っていた先生だったが、なんとさらに明後日まで原稿から離れるらしい。

 それはいいのだが、僕が気にしているのはそこではない。


「竹人形、僕の家にあります。机から落ちて、僕の鞄に入ったみたいで」


「へ? そうなのか!」


 昨日の夜は、僕は竹人形を玄関の靴箱の中にしまった。あんな気持ち悪いものは自宅に入れるのすら嫌だったが、先生の部屋の郵便受けには入らないし、持ち帰るしかない。せめて目につかないところへ隠してしまおうと、靴箱の扉の向こうに封じたのだ。


「盗んだわけじゃないので、それは承知しておいてください」


「ははは。怖がりの君が、わざわざあれを盗むわけないじゃないか。気持ち悪くて不愉快だろうけど、しばらくの間、よろしく頼むよ」


 それから先生は、うーんと唸った。


「しかし参ったね。もしかして、人形の所有権が私から君に移ってるんじゃ? だとしたら君は今、呪われているぞ」


「受け取ったつもりはないですよ、不可抗力で持ち帰ってしまっただけです。所有権は先生にあります」


 そもそも眉唾物なのだから先生も僕も呪われてはいないのだが、嘘でも嫌だ。気味悪がる僕を、先生は楽しんでいる。


「どうかな? 考えてみたら、私が人形を手に入れてから、今日で七日目なんだ」


「あ! そうでしたね!」


「つまり所有権が君に移っていなければ、私は今日死ぬ。どんな理由で死ぬのかは見当もつかないけれどね」


 自分が当事者なのに、先生はどこか他人事っぽく言った。変に無邪気な先生に、僕は苦笑いをした。


「大家さんがただの民芸品だって言ってましたから、呪いは嘘でしょうけど……。気をつけてくださいね。本当に死んじゃったら怖すぎなので」


 先生との通話を終えると、休憩室に店長が入ってきた。浮かない顔をして、僕に話しかけてくる。


「小鳩くん。急で申し訳ないけど、今日の夜までシフトの時間延ばしてもらえる? 入るはずだったマミちゃんが来れなくなっちゃって……」


「ええ!? 分かりました、入ります」


 突然の欠員発生である。僕は特に急ぎの用事はないし、少しシフトが延びるくらい構わない。店長は左右の手指を絡めて僕を拝んだ。


「本当!? じゃあ、明日と明後日と明々後日は?」


「えっ、そんなに? マミちゃんが入ってた時間、全部?」


 さすがに怯む僕に、店長は申し訳なさそうに苦笑した。


「マミちゃん、急に辞めちゃって……。今は、彼氏と北海道にいるらしいの」


 休むつもりだった日が仕事になってしまう。時給が出るとはいえ、複雑だ。しかし店長も困っているわけで。結局僕は断れず、今週のバイトはハードモードに切り替わった。



 マミちゃんが北海道へ発って二日。その日の夜九時過ぎ、僕は自宅アパートに帰ってくるなり、床に突っ伏した。


「疲れた……」


 自分が入っていたシフトに加えて、欠員分の穴埋めで時間が延びた。店長がシフトを組み直して他の従業員にも割り振ってくれているが、学生や他のバイトと掛け持ちしている人は時間に制限がある。フリーターの暇人の僕は、比較的かかる負担は大きくなった。

 単に時間が延びただけならまだしも、ここ三日連続トラブルが続いたのも疲労の原因だ。厨房の食洗機が壊れたり、新人さんが大量に食器を割ったり、お客さんが大喧嘩しはじめて警察沙汰になったりと、毎日なにか起こる。考えてみたら、欠員が出た日の前日から、僕はコーヒーを溢すミスをしていた。


「ううー……まるで呪われてるみたい」


 床に這いつくばって呟いたあと、僕は自分のぼやきにどきりとした。


『だとしたら君は今、呪われているぞ』


 先生の言葉が、脳裏に蘇る。僕は寝そべったまま、顔の角度だけ変えて靴箱に目をやった。あの中にしまった、竹人形。

 しまいこんですっかり忘れていたが、あれは呪いの竹人形だった。

 トラブルが続くようになったのは、この人形が僕の手元に来てからだ。偶然だろうか。


 そういえば、あれから先生と連絡を取っていない。僕が電話をかけたあの日が、先生が人形を手にしてから七日目だったはずだ。

 そしてそのとき、先生は「明後日には帰る」と話していた。そうであれば、今日はこちらに帰ってきているはず。


 無事に生きていれば……。


 人形の呪いなんかインチキだ。そのはずだが、僕はなんとなく不安になって、腹ばいのまま鞄からスマホを取り出し、先生に電話をかけた。

 呼び出し音を二回繰り返したのち、僕の耳に声が流れ込んできた。


「やあ小鳩くん。どうした?」


 普段どおりの、先生の声だ。僕はほーっと、全身から空気が抜けていくようなため息をついた。


「生きてる……」


「なに? あっ、もしかして人形の呪いで私が死んだんじゃないかとでも思ったのか? 生きてるよ」


 先生の明るい声は、僕を安堵させる。


「やっぱり、人形の呪いなんて嘘だったんですね」


「どうかな? 所有権が君に移ったために、助かったのかもしれないよ」


「やめてください、それじゃあ僕があと三日の命じゃないですか」


 竹人形なんてただの民芸品だと分かっていたのに、つい不安になってしまった。ここ最近悪いことが続いたせいだ。


「先生、もうこちらに帰ってきてるんですか? 戻ってるなら人形を返しに行きますよ」


「それがね、今日帰る予定だと話したけれど、生憎こっちは天気が悪くて飛行機が飛ばないんだ。明日こそは帰れるはず」


 先生はいたずらっぽく笑った。


「呪われているところすまないが、あと少し頼むよ。お土産買ってくるから」


「分かりました。お気をつけて」


 僕は電話を切って、店長から貰っているシフト表を確認した。明日は午後の早い時間に上がれる予定だ。

 気持ち悪い人形ともこれでお別れである。これで不運の連鎖も収まるといいなと、心のどこかで思った。

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