第10話 出口のない家⑤

 門の外から黒く見えた家は、コロニアル様式の二階家に、黒いツタが絡まっているだけだった。

 近くに寄ると、元は青灰色の壁なのが分かる。


 なんの植物かと、宇佐美はその葉に触れてみた。

 葉の形は葛だか、黒い葉などありえるのか?


 未央と克己かつみは家の扉の周囲のツタを引っこ抜いていた。

 真海まみはスマホで家の写真を撮っている。

 綾子は組んだ手を胸にあてて、黒い家を見上げていた。


 宇佐美は綾子の隣に立った。


「どうしました?」


「……私、ここに来たことがあります」綾子は、信じられないという顔つきで、家を見上げたまま言う。「門の外からでしか、この家を見たことがないのに……」


「真海さあん、鍵あけて!」


 未央の声に宇佐美は、家の扉に目を向けた。


 黒いツタを排除した未央が、好奇心に目をキラキラさせて立っている。

 未央と一緒にツタを抜いた克己は、大量の葉を脇に寄せて入り口を開けていた。


 真海がショルダーバックから鍵を取り出し、扉に近づいた。鍵穴に鍵を差し込む。


「中から閉じられてるよ」


 抑揚のない静かな秀一しゅういちの声に、宇佐美は振り返った。

 真海も手を止め、振り返る。


「……中は危険ですか?」

「全然、危険じゃない」


 宇佐美の問に即答した秀一は、でもとうつむいた。


「オレは除霊したくない」


 項垂れる秀一に未央が駆け寄り、手を握った。「秀ちゃんは、幽霊退治しなくていいんだよ!」


「真海さん、さっき車でしてた話、秀ちゃんにして下さい。この家を幽霊付きで買いたいって人がいるんですよね!」


 ええと、真海は眉間に眉を寄せて宇佐美を見た。

 宇佐美は、どうしましたというように、真海を見返す。


「……除霊の日取りが決まってすぐに、この家を買いたいって人が現れたんです……本人は素性を明かしたくないらしくって、代理人をたててきたんですけど、人を使って調べたら、すごく有名な方で……」


都筑雅人つづきまさとだよ! 朝のワイドショーで、コメンテーターやってる人!」


 すごいよねと、未央は目を輝かせる。


「真海さんは、何か気になることでもあるんですか?」と宇佐美が訊いた。


「……除霊すると決まった途端に買い手がついたのが奇妙で……」真海は眉間に眉を寄せて宇佐美を見る。「それに、偶然かもしれませんが、都筑さんと私の母は同じ大学だったんです……もしかしたら、母の知り合いなんじゃないかって気がして……」


「今夜、真海さんと克己さんは都筑雅人に会うんだって」と未央は、真海と克己を交互に見た。


 克己が恥ずかしそうにうなずく。


「僕の友だちが、都筑さんのファンで——」と言い出した克己は、真っ赤になって言葉を止めた。「すいません……僕の話なんか、関係ないですよね……」


「いいですよ」と宇佐美。「続けて下さい」


 ありがとうございますと、克己は頭を下げた。


「僕の友だち、直輝っていうんですけど、直輝は都筑さんの大ファンで、ロールモデルにしてるんです。真海さんから今夜、都筑さんに会う時に僕と直輝も来ていいって言ってもらえたんです。直輝にそれ言ったら、すごい喜んでくれて、今から夜が楽しみです!」


 克己は顔を赤くしながら笑顔で言った。


 真海は都筑の申し出に不審感を抱いているようだが、克己は都筑と友人を引き合わせられることが嬉しくてたまらないのだろう。


 確かに今の状況とはズレている話だが、克己を見ていると、宇佐美の気持ちもほぐれてきた。


「だからさ、秀ちゃんは幽霊から話を聞くだけでいいんだよ」と未央は秀一の手を握ったまま揺する。「都筑さんは、この家を幽霊つきで欲しがってるんだから、除霊しちゃダメなんだよ」


「秀一さん」


 突然、綾子が秀一に向かい深く頭を下げた。


「私、三十年前にいなくなった女の子がこの家に入った後、どうなったのか、知りたいんです……幽霊だったのか、生きている人だったのか……ずっと、ひっかかっているんです……どうか、よろしくお願いします」 


「私は、この家にいる幽霊は、私のお母さんだと思っています」と真海も秀一に頭を下げた。「理由があって彷徨っているなら、何があったのか知りたいんです。除霊をしたくないなら、構いません。もちろん、お約束のお金はお支払いします。ただこの家に取り憑いている霊の正体だけでも教えてください」


 宇佐美は車の中で聞いた秀一の言葉を思い出していた。


『生きている人と死んだ人。屋根裏には二人いるよ』


 それはいったい誰だ?

 二人とは、三十年前に行方不明となった石塚幸恵と、亡くなった真海の母親なのか?


 だが実のところ宇佐美は、だいぶ前から思考を巡らすのを止めていた。

 いま自分たちは人のことわりの外にいる気がしてならない。

 先導は、秀一だ。


 宇佐美が見つめる中、秀一の逡巡はわずかだった。


「いいよ。開けて」


 秀一の言葉で、真海は鍵を回した。


 



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