第8話 出口のない家③
驚くべきことに、
門の前で
三十年前に行方不明になった女子高生が、バスを降りてこの家に向かったと証言した人物だった。
「除霊が行われると聞いて、手を合わせに来ました」と綾子は生真面目な顔で、宇佐美を見上げる。
「この家にいる霊が、石塚幸恵さんだと思うのですか?」
宇佐美の問に、綾子は「はい」と、しっかりうなずいた。
「他に人がいたのに、あの子を見たのは私だけです……あの時、あの子はもう亡くなっていて、私が見たのは幽霊だったんじゃないかって、気がします……」
宇佐美は綾子の膝が擦りむけているのに気がついた。
「——自転車に乗って来たんですが、途中でチェーンが外れてしまって、転んじゃいました」
これも秀一が言った通りだった。
「……消毒薬、持ってきます」と宇佐美は自分の車に向かった。
「当時、綾子さんは、何歳だったんですか?」
未央の声に、宇佐美は振り返った。
好奇心に目を光らせた未央が、綾子を見上げている。
父親は殉職した警察官の上、探偵小説好きの少年だったなと、宇佐美は可笑しそうに笑った。
真海と
秀一は皆と少し離れた林の中にいた。
人形のようにじっと立ちすくんでいるが、宇佐美には見えない何かから話を聞いているようでもあった。
「当時綾子さんは五歳だったのに、バスに一人で乗ったんですか?」
綾子が膝に消毒薬を塗っている時も、未央の質問は止まらない。
宇佐美は周囲に目を配りながら、二人のやり取りを聞いていた。
「祖母はこの家で、通いの家政婦をしていましたが、ここでの仕事があまり好きではなくて、帰りのバスで話し相手が欲しいから、迎えに来てくれとよく私に頼んだんです。もう運行していませんが、昔はこの近くにバスの終点がありました。祖母が仕事を終えて、折返しのバスに乗り込むまで、一人で林で遊んでいました」
「その日、終点まで乗ったのは、いなくなった女の子と綾子さんだけだったんですか? 他に乗客は、いましたか?」
「いいえ。終点で降りたのは、私とその子だけです。その子はまっすぐ、この門に向かって行きました」
「バスは折り返して、また町に戻るんですよね? どのくらい停車してたんですか?」
「すぐです。その日祖母は、もうバス停で待っていましたし、笠原さん——バスの運転手さんが、タバコを吸い終わったら、すぐに出発しました」
「でも、その大人二人は、その女の子のことを見ていないんですね?」
「はい。その子を見たのは、私だけです……それに、その子、料金を払わずに降りていきました……だから、子供の私が見たのは幽霊だったんじゃないかと思うんです……」
「宇佐美さあん!」真海が大声で宇佐美を呼んだ。「門、開けるの手伝って!」
「私もお手伝いします」と綾子は、真海のもとに向かっていった。
綾子がいなくなると、未央が宇佐美を見上げた。
「ちっちゃい子供の記憶って、あてにならないですよね?」
「幼児期健忘ですか」
「僕、子供の時に家にエアコンがなかったのが恥ずかしくって、夏に友だちを家に呼べなかったって話を、お母さんにしたことがあるんです。でもお母さんは、そんなことないって言い張って、ケンカっぽくなっちゃって……僕の保育園の時の友だちに写真見せて貰いに行ったんです。そしたら、ちゃんと僕の家にエアコンあったんですよ! 僕、ずっと子供の時エアコンがある家が羨ましかったって思い続けてたのに、その羨ましさって、どっからきたのか、いまだに不思議なんです。本当はお父さんがいる家とか、車がある家が羨ましかったのに、記憶とか感情とかが、なんかごちゃごちゃすり替わってたのかなあって……」
「面白いですね」
「綾子さんの話も、女の子が料金を払わなかっただけで、誰か連れの人がいて二人分払ったのかもしれないし、そもそも女の子なんか、いなかったのかもしれませんよね」
「そう思いますか」
「だって、大人が二人いて、二人共、その子を見ていないんですよ」
そうですねと、宇佐美はキラキラした目で自分を見上げる未央から視線を逸した。
綾子の祖母とバスの運転手。
二人の大人が信頼に足る人物だったかどうか、宇佐美には分からない。
二人には、十五歳の少女——石塚幸恵がこの家に入るのを、黙っていなければならない事情があったのかもしれない。
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