第3話 みっつめ

 ——自分が呪われていると、感じたことはないか。


 高森がそう言った時、都筑はゾッとした。

 正しくこの数日、そんな考えに囚われて、暗鬱としていたところだった。


「……おまえ、呪いなんか、信じるのか」と茶化すように答えたが、声が掠れた。ハイボールで喉を潤す。


 高森は自分のグラスに全く手をつけていなかった。琥珀色の液体は、氷が溶けてほとんど水になっている。


「作り直すか?」と都筑は高森のグラスに手を伸ばした。


「いい。冷たいものがダメなんだ」

「どうした? 具合が悪いのか?」


 会った時から、高森の痩せ方に驚いたが、都筑はあえて口にしていなかった。


「——内臓なかを、ちょっとな」と高森は薄く笑って、自分の腹に手を当てる。


 ガンかと、言いかけたが都筑は止めた。

「温かいもの持ってくる」と立ち上がる。


「常温の水をくれ」


 高森の言葉に女子かよと笑ったが、こいつ長くないなと都筑は暗い気持ちになった。


 キッチンからペットボトルの水を持ってリビングに戻ると、ソファにもたれた高森が物憂げに天井を見ていた。


「——なあ、家、買わないか?」

「……マンション、売るのか?」

「多恵子さんの家だ」


 都筑の背中が凍った。

 額に脂汗が滲む。


「……あの家、まだあるのか? 誰が住んでるんだ?」

「空き家だ。幽霊が出るらしい」


 バカバカしいと、都筑は酒をあおった。


「霊媒師を呼んで、除霊してから解体されるようだ」

「ちょうどいい。これで呪いも解けるな」


 何かあったのかと、高森が顔を向けてきた。

 都筑は無言で酒を作る。

 久しぶりに会いに来てくれた友人に話す内容ではない。しかも目の前の男も死期が近そうだ。

 

「——その霊媒師、警察と繋がってるみたいだ」

「どういうことだ?」

「三十年前のことを調べるつもりかもな」


 都筑はグラスに酒を足した。

 炭酸で割ることなく一気に飲み干す。


「……おまえ、あの家を買ってどうするんだ」


「当時の記録が残ってないか調べる。あったら抹消する……多恵子さんの娘に母親がした事を知らせたくないんだ……」


「あの女に娘なんかいるのか……その子は、まともなのか?」


 ああと、高森はうつむいた。


「家ごと燃やしたいな——どうして今まで放おっておかれたんだ」


「——更地にしようと工事が始まったこともあったが……重機が動かなくなったり、作業員が何人も突然死したりで、中止になった……」


 呪いかよと、都筑は呟く。

 高森は何も言わなかった。




 金さえあれば幸せになれる。都筑はそう信じてきた。

 実家は牛乳の販売店。

 父親は早朝どころか、深夜の一時に起きて仕事を始める。

 うるさいと苦情が来たり、牛乳が傷むから朝にしてくれと言われるが、新聞と違い牛乳は一軒一軒注文が違い手間がかかる。

 おまけに配達する家は百を超えているのに、バイトを雇う余裕がない。父一人が朝までに配達を終えるには、深夜から働かなければならなかった。

 一般家庭への配達が終わると父親は、母親と一緒に学校や事業所への配達に向かった。


 ——おまえは大学出て、勤め人になれ。


 父は何度もそう言った。


 父親が病に倒れたのは、都筑が大学生の時。大手商社に内定が決まった直後だった。

 身体が丈夫で、愚痴一つこぼさない父が、痛い、痛いと病室のベッドで叫ぶ姿は、今でも夢にみる。

 どんな検査をしても原因がわからず、痛み止めも効かない。

 医者もお手上げだった。


『頼むから、殺してくれ』


 父親にそう懇願されて、都筑は病室の外で泣いた。

 ある日、看病に疲れた母が担当医に頭を下げた。


『お願いです、どんな方法でもいいですから、楽にしてやって下さい』


 その翌日、父は痛みから開放された。

 突然、息を引き取った。


 医者は安楽死などしていないと否定したが、母親は自分がつい口にした一言が夫を殺したのだと信じた。

 暗い部屋で壁に向かい手を合わせ、お父さんごめんなさいと言い続け、食事も摂れなくなり、夫の死後数ヶ月で衰弱死した。


 私生活の寂しさとは逆に、企業人としての都筑は大成功を収める。

 商社に入ったものの毛並みの悪い自分に出世の道はないと分かり、五年で退社した。

 その後、一から立ち上げたソフト会社が大当たり。

 都筑は成功した若手経営者としてマスコミに持ち上げられ、ワイドショーのコメンテーターも務めるようになった。

 四十になった都筑は自分の生い立ちや経営理念を一冊の本にまとめた。『One day at a time——少しずつ、確実に』は、ビジネス書としては異例の十万部を売り上げ、十年経った今も売れ続けている。


 仕事一筋だった都筑に、家族になりたいと思える女性が出来たのは五十を過ぎてからだ。

 プロポーズをし、受け入れてもらえた翌日、突然彼女と連絡がつかなくなった。

 実家に行くと、謎の病気を発症し入院していると言われた。


——痒い、痒いって、体中掻きむしりながら泣き叫ぶんです。原因がまったく分からなくって、薬も何も効かないんです。


 疲れ切った母親の顔は、三十年前の都筑の母親を思い出させた。

 全身を拘束されて、個室に入れられている彼女とはまだ面会出来ない。


 三十年前、多恵子の父親の口利きで大企業の内定を貰った。

 そして父を失い、母を失った。

 

『呪い』という二文字が都筑の上に重くのしかかる。


 

 



 

 


 

 

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