第29話 チトセ

「ヒャハハハ!」


 鬱蒼とした大広間の中でチトセと名乗るタコのような妖怪が笑い声をあげる。

 チトセは宙にぷかぷかと浮かび私を見下ろすと目を触手で拭う。


 「いやー久々のお客さんだから対応に困るよ〜。で、君はマカという名前でしょ?」


 「——ツムグさんが話していた神?」


 「お! そうだよ! あの子がいう神が僕さ。あの子とは小さい頃から知り合いでね、僕に似て育ったんだ」


 チトセはクスクスと笑うと私の顔の前に移動する。

 そして目と鼻の先に来ると私の体を上から下に見る。


 「肉付きも良いし源氏の家柄はしっかりと食事をしているのが分かるよ」


 「——!」


 私は一歩下がると剣を鞘から抜いてチトセに向ける。

 ——ん?


 チトセの触手を見るとどこか既視感がある。心なしか十年前に兄、ゼロを連れ去った触手に似ている。

 しかしチトセはニヤリと笑うと私に近づいてきた為触手を一本切り落とした。だがチトセは怯みもせずただ地面に落ちた触手を見る。


 「剣も大分力を取り戻したみたいだ。僕の触手は鈍モノじゃ絶対切り落とせない。けど禍の神自体を封じることは無理だね。まだ弱すぎる」


 「チトセ、あなたはどこまで知っているの?」


 「——この世界のほとんどさ。禍の神、大王の一族、神の説話、源氏の一族、太平の剣、翡翠の剣の隅々までを長い時の中で知っている。そして君の事とか……ね?」


 チトセは触手を拾うとそれを切り口にくっつける。するとあっという間に元通りくっついた。

 そしてチトセは私の剣に触れると急に剣が輝き始める。

 剣を中心に風が吹き出し、私とチトセを囲む。


 風はしばらくして徐々に弱くなる。剣もそれに合わせて輝きが落ち着く。

 チトセは笑みを浮かべると。私から少し離れる。


 「よし、これで剣は完全に力を取り戻した——かな?」


 「——?」


 「その剣、ツムグが触れた時は嬉しそうだったのに僕の時は嫌がっているのは——内緒でね? 力を取り戻せた保証はないよ」


 「この剣の正体を知っている?」


 「うん、その剣こそ昔失った太平の剣さ。ナビィも知っているよ」


 「——」


 太平の剣——兄と共に失った宝剣。いや、失ったとはナビィさんは言っていなかった。ナビィさんはまるでまだ台座にあるような言い方。


 つまりチトセは——。


 私は深く息を呑み焦りを隠す。


 「そうなんだ。兄さんと一緒に失ったから困ってたの」

 

 「——」


 チトセの笑顔が凍りつく。

 私は心を落ち着かせる。


 「チトセ、どうして私の兄——存在が消えた兄のことを知っているの?」


 胸がバクバクする。

 確実にチトセは兄のことを知っている。

 何年も、四年間も探し求めていた物が——。

 チトセは反応に困った顔をする。


 「——は、ははは。そうだね、君には兄がいたね」


 私はチトセの体を掴むと揺さぶる。


 「兄は、私のお兄ちゃんをどこに!?」


 「あーちょっと待って!」


 「返して! 早く!」


 「だー!」


 チトセは私を吹き飛ばすと高く浮き上がる。そして息を整えるとため息をついた。


 「そうだよ。君の兄を連れ去り、存在を消したのは僕さ」


 私は剣を強く握る。


 「お前が兄を!」


 私は剣を鞘に戻し。この場には無かった弓を勾玉に触れて取り出すと千歳に向かって矢を放つ。

 しかし、チトセはそれを華麗に避ける。

 幾度も矢を放っても当たらない!


 チトセはそんな私を見下すようにして笑う。


 「兄を失って気が動転しすぎだよ。そんなんじゃ僕を倒せないさ」


 「はぁ、はぁ兄を……。兄をどこに連れて行った!」


 「君の兄は……必要だから連れ去った。高穂の神が黄泉に——そう、黄泉だ。そこに眠る禍の神が現世に這い出てこないように送ったんだ」


 「——あそこ、生者は生きては出てこれない……場所、よね?」


 「あぁ、そうさ。絶対出れない。僕でも連れ出せない。大昔に神が岩で完全に塞いだからね。死者しか出れない」


 気づけば私は弓を地面に落としていた。

 そして腹の底から湧き出る吐き気と目眩。私は腰が抜けてその場に倒れた。


 ——ずっと私は兄が帰ってくると信じて待っていた。

 だけど兄は二度と帰ってこないのが分かってしまった。嫌だ、信じたくない!


 「——源氏の勇者は酷だね。いつの時代も苦労する。僕が知っている限り楽だった人はいない」


 チトセは上に浮かびながら御託を並べる。だけど今はどうだって良い。兄がいつ戻ってきても良いように私は鍛錬を続けていた。兄が帰ってくるまでの辛抱だと思っていた。

 そして兄さんが帰ってきたら昔のように女らしい生活を営みたかった。


 血なんて怖い、気持ち悪い。喧嘩なんて嫌だ、殺し合いなんて嫌だ。そんな気持ちを押し殺して生きてきたのに全て否定された。

 心音が鳴り止まない。


 「——嘘だ…嘘だ……」


 「——僕も申し訳ないと思っているよ。まだ幼い君には酷だと今でも思っている」


 チトセは私の顔の前まで移動すると触手で私の目元に触れて涙を拭った。

 こいつは憎い相手。兄を、兄を!


 私は拳を力一杯握る。


 だけど、こいつとは仲良くしないと天人に対しての術がなくなる。カグヤを救えない!

 

 「——マカ。君は分かっているでしょ? 僕と仲良くしないと天人に対しての術が見つからない。兄を殺した憎むべき相手とは言えカグヤまで救えなくなるのは辛い。そうなんでしょ?」


 「——」


 チトセの言葉とともに追い風が吹く。

 ゆっくり振り返ると白く輝く甲冑を身につけた骸骨、源再護男(ミナモトノサガノオ)が立っていた——それも二人。片方は鬼の形相でもう片方は穏やかな顔をしている。

 チトセは彼を見ると驚きの表情を浮かべると哀愁を漂わせる。


 「古き源再護男(ミナモトノサガノオ)。九百年前に破れ、三百年後の勇者に己の技と名を受け継がせてもなおこの世に留まっているんだね。君がここに導くよう仕向けたのはこの祠の神でもある新しき源再護男(ミナモトノサガノオ)を起こすためでしょ」


 チトセがそう言うと穏やかな顔をした方の古き源再護男(ミナモトノサガノオ)と呼ばれた方は頷くとゆっくり消えていった。

 私が唖然と見ていると新しき源再護男(ミナモトノサガノオ)と呼ばれた鬼の形相を浮かべた男は私に近づき膝を地面につけた。


 『我の誠の名は源大浜(ミナモトノオオハマ)。我が師である源再護男(ミナモトノサガノオ)より聞いた。我が守れなかった輝夜媛(カグヤヒメ)を救おうとしていることを。感謝する』


 大浜(オオハマ)はゆっくり立ち上がるとチトセを見た。


 『大王は既に天人の襲来は禍の神が原因であると見通しているはずだ。星神を祀る島にて決戦をする方がいい』


 「うん、そうだね。星神は下は天人の一種。戦えば彼らは虫の息のはずだ。あのアハバでさえ叶わないだろう」


 二人は私を置いて会話する。

 カグヤを守らないといけない。だけどここでチトセと協力したら兄さんは許してくれるのだろうか? 何も分からぬまま黄泉に連れて行かれ一生孤独。

 あそこに生者が行けば時が経てば末恐ろしい異形の化け物になると聞いたことがある。読みから二度と出れない化け物の姿に。


 チトセは私を見下ろす。


 「マカ、僕を恨んでも良いけど。この絶好の機会を逃すと二度とカグヤを守れないよ。それでも良いの?」


 「分かってる。だけど、あんたを許したら兄さんにどう言われるのかが分からない……」


 チトセは少し考える素振りを見ると私の気持ちを考えずに満面の笑みを浮かべた。

 「なんか涙を流しながら尻餅ついて足を広げている君を見るとどこか背徳感を感じるよね」


 「——!」


 私は立ち上がると裾を抑えて足を閉じる。

 腹の中から怒りが湧き出る。


 「——気持ち悪い」


 「その顔も好きだよ。ほら、どうするの? 天人と戦う? 逃げるの? もし逃げるなら君の体に絡みつくよ?」


 チトセの言葉に徐々に拳に力が入る。

 大浜(オオハマ)は痺れを切らしたかのように私に顔を向けると少し息を吸った。


 『マカよ。我からも頼む』


 大浜(オオハマ)からは悪意が見えない。むしろ真剣な眼差しで私を見る。

 その時私の頭の中に源再護男(ミナモトノサガノオ)の声が響く。


 『今歩まなければ全て遅くなる。救いたくば進め』


 その声は今までの渇いた冷たい声と違って懐かしさを感じる暖かい声。

 

 『——お前の兄は絶対お前を恨まない。果敢に愛するべきものを救おうとするお前を見て誇りに思う』


 ——そうか、そうだよね。兄さんは正義感が強い。私が、兄さんの想いを受け継がないと。


 私は深く息を吸う。


 「分かりました。では星神を祀る島について教えてください」


 ——————。


 私は大浜(オオハマ)から島について聞いた。

 その島は安雲から北にある小尾島(オビノシマ)と言うところに星神がいる。

 話を聞いた後私は祠から出るとタキモトさんは火を起こしていた。


 タキモトさんは私に気がつくと振り返った。


 「マカか。どうであった?」


 「神に会えました。そして色々と話も」


 「そうか。なら、戻ろうか」


 私はタキモトさんと共に森の外まで歩き徳田神社まで戻ってきた。

 歩きづらい冬の森を強行突破したものだから足が痛い。

 そして神社の奥に進み屋敷に入るとイナメさんとツムグさんが暖を取っていた。


 イナメさんは私とタキモトさんに気づくと安堵の表情を浮かべる。


 「戻ってきたかい。タキモトあんたも疲れただろう」


 「えぇ、休ませてもらいます。それでは」


 タキモトさんはその一言だけを口にして家へと帰っていった。

 ボーと立っているとイナメさんは困った顔で隣に座りなと仕草で伝えてきたので隣に座るとツムグさんが申し訳なさそうな表情で目を合わさずに口を開いた。


 「あの、マカ? 神様がごめんね?」


 「——別に、大丈夫です」


 「——大丈夫じゃないよね。一応神様も勇者としての覚悟を試したかったのと、久々の人g年だからふざけたかっただけだから」


 「——」


 黙っているとイナメさんが肩を優しく叩く。


 「まぁ、良いだろう。その表情は思うところもあったが色々と情報を得たのじゃないか?」


 私は深呼吸をするとイナメさんとツムグさんに話をする。

 一応狛村で私がタキモトさんと森に入った後に現況をツムグさんたちが報告してくれたおかげですぐに理解してくれた。

 そしてしばらくイナメさんは考える。


 「なるほどなぁ、決戦か。そうなると兵が必要だが時期は分からないだろう。国造、物部、天河、小切谷、そして狛村の兵力を持ってしても苦戦してしまうだろうしな特に天河は甚大な被害を受けたから尚更だ」


 「そうですよね……」


 「だが、そろそろ狛村から東国の戦に出向いてきた強者どもが帰ってくるはずだ。聞くところ戦が終わったようだしな」


 「東国?」


 ——あ、そういえば須和戦っていたって前に聞いた。


 「うむ、反乱も終わったしな。それに天人の襲来を考えたら下手に動けん。もし大王が気づいてくださったら動けるのだが……」


 イナメさんは詳しそうな表情をする。

 だけど仕方ない。


 「取り敢えず国造の方に援軍を要請するを兼ねて先に星神を祀る小尾島(オビノシマ)に向かいますか」


 「そうだな。三日後に向かおう」


 天人との決戦は着々と近づいているのをしみじみと感じた。

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