最終話


 長く、長く続くエンドロール。


 山口光太の名前から始まった、人生の立役者たち。その名前。


 それらが、画面を覆い尽くしている。馬頭は、ただ、それを眺める。下から上へ消えていく名前たちを一つ一つ見ていると、山口光太の人生が、どれほどの優しさに満ちて、幸福で、大切なものに囲まれていたのか察しがつく。


 闇を明るく照らす、白い光の文字。


 馬頭は、歓声を上げていた。スタンディングオベーションだ。


「ヒョー! やったな! あの野郎!! 大成功や! アッハッハ! デロリアンが未来に帰って、取り残されたドクの気持ちが痛いほど分かるで!!」


 その馬頭に、金棒が振り下ろされる。「痛ッ!?」突然の不意打ちに、劇場のカーペットを舐めるかのようにうつ伏せに倒れる。


「……あぁ、あんたか」


「あんたはねぇだろ。こんなナリでも立派な神だ。獄卒のお前が間違っても逆らっちゃいけねぇ相手だ、馬頭鬼」


 馬頭は、起き上がって背広を手で払う。不動明王と呼ばれているその神は、力士と同じような廻しを巻いて、髪を結っている。というか、ほぼ力士の姿だった。


「すまんすまん。ちょっと興奮しとったんよ。今、ありえへんことが起こって。再映戯リバゲー初のクリア者が出よったんよ」


「そのエセ関西弁、まだ治んねえのか。馬頭」


 馬頭は、座席に腰掛ける。不動も、同じように腰掛けた。が、尻が収まらなかったため再び立ち上がる。チッ、と舌打ちを鳴らす。


「関西弁はええで。なんちゅーか、距離感考えへんでええからな」


「獄卒のお前が距離感なんて考えんのか」


「いや。特に」


「あぁそう」不動は腕を組み、咳払いをする。「話があるんだが」


「なんや。……まあ、大体の検討はついとるけど」


 馬頭は劇場のスクリーンを向いたまま、不動には顔を向けない。


「だろうな。死んだ人間を死んでないことにするなんて、前代未聞だ」


「せやな」


「せやな、じゃねえんだよ。……というか、そもそも、どうやったんだ」


 馬頭は、両手を挙げて首を振る。「それがさっぱりや。私にもよう分からん。何かが起こった、いうんは分かるんやけど」


 不動は、馬頭の背広に掴みかかる。「……馬頭鬼。お前、舐めてんのか」


 馬頭は、ゆっくりと不動の顔に視線を向ける。「舐めてねえよ」


「ひとまず、場所を変えよう。仔細を話せ。……まあ、お前の処分はそれからだ」


 不動は背広から手を離し、掴み掛った部分を整える。


「お前はもう、何百年もこの仕事やってんだ。少し、飽きが来たんだろう。焼きが回ったのかもな。仕事はいくらでもあるんだ。掛け合ってやるよ」


 馬頭は、放心した状態で立ち尽くしている。不動は、その姿を見て目を凝らす。死んでいるかのように、微動だにしない。


「おい、馬頭鬼?」


 不動が手を伸ばす。馬頭鬼の頭に触れかける。その瞬間、「あっ! なるほどそういうわけか!」と声を上げる。


「おぉ、びっくりしたな。不動明王を脅かすな。カッコつかねえだろ」


「自分で王とか言うなや、恥ずかしいオッサンやな。……いや、オスモウさんか」


 不動はその悪口には取り合わず、パチンと指を鳴らす。劇場の至る所から、火が上がった。座席が燃え、スクリーンに燃え移り、一面の真っ赤な世界が広がる。いつもの地獄の風景だ。また、退屈な日常。いや、獄常に舞い戻る。


「なぁ、何がわかったんだよ」


 不動が、馬頭に尋ねる。


「あ? ……あぁ。いや、あいつ、多分生まれた瞬間から運が良かったんや」


「何?」


「そう思わんと、不公平やろ? 不動明王さんよ」


 不動にそう言い、自らの足で地獄を歩き出す馬頭鬼。軽快な足取りだが、その進む先には長く、険しく、苦行の毎日が待ち受けていることを、不動も、そして馬頭鬼も承知している。


「あぁ。よく分からんが、お前が言うなら、そうなんだろう」


 地獄の炎の中に、二つの影が消えていく。その後の彼らを知る者はいない。地獄では他者の動向など糞ほど興味が無い者ばかりだ。


 人間の死に理由は無い。だが、生きていることに理由はある。あの山口光太は、その後者だった。


 ただそれだけの、B級映画も真っ青な話だった。せやろ? 山口光太よ。






「せやな」


 山口光太が病院に運ばれ、目を見開いたのは、窓から転落して2日後のことだった。


「え! ……お母さん! お兄ちゃん起きた!!」


 死人のようでもあり、穏やかな午睡を楽しむ少年の寝顔のようでもあった光太を眺めていた光里ひかりが、病室から出ていく。


 あれ。なんでここにいるんだっけ。光太は、すっかり記憶を無くしている。思い出せる記憶を探そうにも、全く頭が働かない。


「光太!」


 母の光代が、光太の身体にしがみつく。「うっ! ……なんか、ごめんなさい」


「死んじゃったかと思ったのよ! ……やめてよ、ほんとに」


 母の涙を見た光太は、自分が何か事故に遭ってこの場にいるんだと察した。何の事故で。身体を起こそうとすると、背中に激痛が走った。


「駄目だよ、まだ完治してないんだから。あと一ヶ月くらいはここだよ」光里が目力で訴える。


「え、一ヶ月も」


「良かったじゃん。学校行かなくて良いんだしさ」


 それは良いことなんだろうか。


「今度、先生が来るって言ってたよ」母が言う。


「先生? 担任の川原?」


「イジメが発覚したんだって。今回の件で、お兄ちゃんが自殺未遂だったんじゃないかって。警察が学校に調査とか言って入ってきて」


「イジメ」光太は、俯く。駄目だ。何も思い出せない。


「私が全部洗いざらい話してやったおかげだよ」光里が、耳元で口早に囁く。「何の話?」母が訊ねると、光里は素早く離れる。


「具合はどう?」母が言う。


「問題しかないよ」光太は頭を搔く。


「光太くん」病室に、医者が入ってくる。看護師たちもやってきて、光太は突然、人気者になったかのような心持ちになった。





 医者によれば、記憶は一週間もすれば戻るらしい。学校には、やはり一ヶ月の入院とリハビリを終えてから行くことになった。


 退院を終えて、記憶は殆ど元に戻った。そう、殆ど。母や妹には隠しているけれど、何か、大事な記憶が抜けたままの状態だった。まあ、生活に支障はないので、上手くやっている。


 教師陣と母の話し合いにより、光太は別の学校へ転入することになった。それまでの間、授業と同じ内容を自宅で行うということで、家庭教師がやってきた。


 関西弁をよく話す人なんだけど、生まれは遠い場所らしい。びっくりするくらい遠く。らしい。


「これ、家族写真かいな」


 勉強を教わっている途中、家庭教師の先生がふと家族写真を指さした。


「はい。この前行ってきたんですよ。沖縄」


「ええやん。行ってみたいなあ、沖縄」


 この先生は、とても好奇心が強いというか。遠慮をしないというか。たまに夕食も食べて帰る。いや、ほとんど毎回。少し図々しいけど、何故か嫌いじゃない。寧ろ、どんな大人よりも接しやすかった。喋り方が関係してるのかな。


「ほな、帰るで!」


 夕食を終え、デザートまで召し上げた先生を玄関で見送る。


「ほんま、ええ家族やわ」


「また来てくださいね」これはよくあるお世辞などではなく、本心だ。この先生が来ると、家族が一気に和やかになる。


「あー。それがな。私、ちょっとここから離れなあかんねん。やから、今日が実は最後やってん」


「別のところで、家庭教師やるとかですか」


「んー、ちょっと、ちゃうな。うん、だいぶちゃうわ」


「そうなんですか。……でも、また会えますよね」


 先生は、にっこりと笑顔で笑った。「当たり前やん」


 先生と別れ、その間際に握手をした。




「ねえ、このマスク。あたしがお兄ちゃんに買ったんだよね」


 皿洗いをしながら振り向くと、光里が馬の頭を象ったマスクを手に嵌めて遊んでいる。


「そうだっけ」


「……あれ、でもこのマスク。お兄ちゃんが窓から落ちた時に破れてたはずだけど。治ってるね」










「お前の人生、全然、さっぶくなんてないで。私もお前も、これからなんやから」


 男は、そう呟いて歩き出す。


 春が近い。始まりを予感させるような匂いが微かに漂う、そんな、ぼんやりとした夜が空に伸びていた。

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