さっぶい男のエンドロール
八岐ロードショー
My (bad) Endroll
死後の世界を考えたことはこれまでに何度もあった。
視界いっぱいの真っ白な世界に連れていかれるのか。煌びやかな楽園に連れていかれるのか。
あるいは、何者かに点数を付けられて天国か地獄か、どちらに行くか審判を受けるのか。仰々しい動物のマスクを被った半裸の人間に命を計られるとか。……昔、世界史の授業か何かでそんな審判の絵を見た覚えがある。
人間が死んだ後、どのようなことが起こるのかは誰も──少なくとも命がある限りは──分からない。死人に口なしという言葉通り、それを語る者がいないからだ。
そして今、俺は何故か映画館の座席に腰掛けている。理由は分からない。何故か。それまで何をしていて、どこにいたのかを思い出せないあたり、ここが異質な場所だということは理解出来る。死後の世界。そんな言葉が頭をよぎると、ここがそうなのかもしれないと思った。
なんとなくの知識だけれど、地縛霊などは死んだ場所に残留して彷徨うという。この映画館が自分にとって、霊体を縛られる場所なのだろうか。真っ暗な劇場にでかでかと存在しているスクリーンには何も写っていない。真っ黒な画面のまま、静止している。薄闇の中で何となく映画館だと予測できるくらいで断定は出来ない。
周囲は耳鳴りがするほど静かだ。五感が異様に働くこの場所が死後の世界には思えない。キャラメルポップコーンの匂いはしなかった。ならば、ここは映画館では無いのかもしれない。あるいは、嗅覚が失われているのかもしれない。
辺りを見回してみる。誰も観客はいない。俺だけが劇場の最前列の、ど真ん中の席で腰掛けていた。もし俺が映画を見るなら、こんな座席には座ろうともしない。首が痛くなるだけだ。
立ち上がろうとするが、思うように身体に力が入らなかった。無理に立ち上がろうとすれば、その気がじわじわと抜けていく。穴の空いた風船のように。やる気が萎んでいく。
目線を落とすと、自分の裸体が目に入る。いや、厳密に言うなら自分の裸体ではない。可動域を持たないフィギュアのように、椅子に座る姿勢に造られたマネキンのような身体をしている。これでは確かに動く気がしない。
やることもなく、ただ真っ黒なスクリーンを見つめていた。そして今さらに気づいたことだが、スピーカーでもあるのか劇場内に音楽が微かに流れている。どこかで聞いたことのあるクラシック音楽だった。どこでも聞けるようなクラシック音楽。一度聞けば忘れないクラシック音楽。口ずさむことは出来ても曲名を思い出すことは無かった。思い出せるような記憶が無いことは明らかだった。
何分くらい経っただろうか。ここには時間という概念が存在しているのか。それを証明してくれるのはクラシック音楽だけだった。この世界で変化しているのは、耳から聞こえる音楽だけ。
スクリーンによく目を凝らしてみたり、何度も瞬きしてみたり、色々と試して見たが依然として何も起きない。なんとなく、声を出してみようと思った。
「あのー、すみません。ここどこですか」
声は出た。しかし全く響かない。誰も返事をしない。それはまあ、誰もいない映画館だから誰かが返事をするわけも無い。誰かに聞こえている気もしない。
クラシック音楽が、段々とフィナーレに向かっているのがわかる。この音楽が終わった時に何かが起こるのでは無いだろうか。突然スクリーンが暗転して、そのまま何も無い闇の中に取り残されるのでは無いだろうか。
そう思うと、焦りが沸き起こってくる。
「おい! 誰かいるんだろ!」
クラシック音楽の激しさに感化されるように、俺は怒鳴り声を上げ始めていた。叩きつけるような管楽器の音に胸を突き刺されるようだ。
「こ、ここから出せ!」
「……なんなんだよ一体」
「なん……なんだよ」
「誰か」
聞きなれたクラシックの曲が終わりを迎える。
曲が終わる。終わったら、どうなるっていうんだ。
「……助けて」
ふと、目元から一粒の涙がこぼれた。悲しみ。何も出来ず、ひたすらに終演に向かう音楽。
俺は死んだんだ。俺の人生が、終わったんだ。
山口光太役
山口光太
真っ黒のスクリーンに映し出された自分の名前が、画面の下から上へゆっくりとスライドしていく。白く、不格好で、何の意味も持たなかった名前。何も残せなかった、哀れな男の名前。
後悔。生への執着。罪悪感。怒り。悲しみ。自分自身への憎しみ。様々な感情が胸の中を埋めつくした。その名前を、必死に目で追った。上に昇っていった名前が、画面外へと切れかかる。
「い……行かないで」
ふっ。と、自分の名前が消える。無慈悲に、等速に。真っ黒な画面は光を放つのを止めた。そして、静寂と闇が残った。
何も見えない。何も聞こえない。静止された世界。
「さっっっっぶい人生やな。君」
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