第9話 学徒衝杖

 百三十五。


 数字とは不思議なもので、それ自体はただの記録でしかないはずなのに、見た人に特定の記憶を呼び覚ます効果があるらしい。

 例えば、オリデンス神聖帝国民に『百三十五』と見せれば、おそらく聖句百三十五章『邪流ボルデと青輝の槍』の逸話を思い出すだろうし、イタヴォル国民ならオリデンス神聖帝国国王ガンゴームがイタヴォルへ攻め込んだ回数を思い浮かべるかもしれない。


 しかし、私は事情が違う。

 今は転生して魔族の一員で、そもそもオリデンスでも国を統べる皇族の一員だったのだ。流石にこれではオリデンス神聖帝国民とは言えないだろう。

 となれば、唯一性の高い私の脳内に思い浮かぶ情景は私自身の資質によるモノであるはずであり、記憶や想い出、風土、文化よりも、むしろ目の前の出来事に影響を受けていると断言するほかないのである。


 そして、目の前の出来事は個人ではいかんともしがたいことが多かったりする。

 とすれば、先程から『百三十五』と同時に『拷問しながら高笑いするビャクレン師匠』の情景が浮かんでしまっているのは、私個人の問題でありながら、もはや私には対処できない事項である。


 つまり何が言いたいかというと

 …この後の拷問授業が怖いので、助けてください、アストン先生。


 「道案内までかな、助けられるのは。さて、ここが学院中央棟。通称『大講堂』だよ。」


 このように、友アストンから冷たくあしらわれ、これから待ち受ける拷問地獄に一層気持ちを沈み込めた私ではあるが、この時だけは思わず我を忘れ、『おぉっ!』と感嘆符が口から漏れ出したのだった。


 そう、目の前の建物は講堂なんてチンケなモノでなく、城と呼ぶべき、そんな私好みの巨大建築物だったのである。


◆◆◆

 学院四つの学寮に囲まれた場所にある芝生溢れる中央広場。

 その緑鮮やかな広場中央に聳える大楠。

 『大講堂』はその大楠よりもひときわ高い真っ白な建物で、深緑色の屋根の尖塔がいくつも生えるまさに城だった。


 また、広場から扉までは石畳の通路が敷かれており、その先ある十数段の白い階段を上ると正面には黒光りした観音開きの扉、その左右には7.62mm機関銃、おまけに建物全域には排斥結界が三重に展開されている。

 メンテナンス費とか国家宮殿並みにかかっていそうな造りではあるのだが、『巨大建造物こそ正義である』という造り手のロマンを感じざるを得ない。


 中へ入ると、講堂内部も見事な造りだった。

 特に、中央が低く沈み込んだ、おわん型に成形された大広間。

 半円のコンサートホールをつなぎ合わせた、一万人は収容できそうな部屋の中央には、授業を行う教授用の舞台が設置されており、受講席はそれを囲うように何層にも設置されている。

 席にはそれぞれに丁寧に作られた机とディスプレイがあり、右上に設置されたデバイスに指をあてると、生体認証で出席確認と授業に必要な書物が目の前に転送されてくるのであった。


 ...しかし、こういった夢溢れるギミックはもっと積極的に採用していってほしい。

 金貨を積めばもっと学校も近代チックになってくれるのだろうか?


「ここに座ろう。」


 さて、そんなふざけたことを考えるぐらい余裕の出てきた私は、アストンの声に従い、舞台正面の最前列の席に横並びで陣取ることにしたのだった。


 前を遮るものは何もなく、周囲に他の生徒の数も少ない。

 まさに、ベストポジションである。


 勿論、一番講義が見やすい位置は『全科生』専用の部屋中腹席に違いないのだが、そもそも、拷問前に師匠に泣いて許しを請うために、舞台と近い方が何かと便利なのだ。


 それに――、

「あ、あの子じゃない?」


 と周囲を気にし、小声でささやくアストンの指さす方角へ視線を向ける。


 私たちの場所から北西に三百メートルほど離れた場所。

 目視で確認するにはやや距離がある。にわかに騒めき始めた周囲の声をどうにか無視し、脳内で視覚矯正術式を展開し、視野の解像度を上げ、確かめる。


 間違いない。

 確かに、お目当ての白髪少女であった。


 その少女は明るい青緑色のローブに身を包み、胸には雪組所属の全科生の証である金を下地にした『青氷結晶』のブローチをつけており、どうやら、隣に座る友人らしき赤茶髪の少女と談笑しているようだった。


 陰りのない満開の花びらのような可憐な笑顔に、健康的な顔色。

 私は、その光景に視界を少し潤ませていた。


 彼女に会えたから?

 まあそれもあるが、彼女はついに、夢を叶えたのだ。

 幼少期病に伏せ、息絶え絶えに語っていた、『普通の学生生活を送る』という夢を。

 

 「やっぱり、ここからの方がよく見えるでしょ...って、どこいくの?」


 と横で得意げな顔をしているだろうアストンに頷いて賛辞を伝え、目尻の雫をこっそり拭き取ると、私はそのまま椅子から立ち上がり、彼女の元へと足を急がせた。


 感動的だが、私には感傷に浸っている暇がない。

 この後の授業で私は十中八九ノックアウトされる...ならば、この授業前のわずかな時間が、彼女へ話しかける唯一の機会なのだ。


 そんなこんなで、私は大広間の階段を二つ飛ばしで駆け上がっていく。


 一層、二層、そして十五層。


 部屋中腹の高さまでくると、できるだけ良い席を探してウロウロする『全科生』の群れをかき分け、ついに授業開始前に彼女の元へとたどり着いたのだった。


 「あら...焔寮の...もしかして何か御用ですか?」

 と私の妹もこちらの存在に気づいたようで、首をかしげてこちらを見つめて質問してくる。


 チューブも呼吸機器もつけていない。

 元気そうで何よりだ。


 喜びにあふれる反面。

 しかし、思わずふと私の胸中に、『ああ、本当に『私』と気づかれていないのだ』と寂しさが過ってきてくる。

 

 彼女の声色はこちらを探るようなものだったし、よく見ると彼女の左手はローブの裾をキュッと握りしめている。

 明らかに私を警戒しているのが、少し悲しいのだ。


 荷車の上で彼女を見かけた時、私は気づいたが、彼女は全くこちらを一瞥すらしてこなかったし、正直私はこうなることを予想も覚悟もしてきていた。


 それでもなお。

 会えばいつも私の胸元に飛び込んできてくれた人懐っこい妹ですら、この扱いだから、余計に、である。


 しかし、それも仕方がない。

 私は、名前、姿、声、想い出も、全て残さず奪われたのだ。 


 見た目だけで考えてみても、私の身体には翼と角が生えており、金髪は深緑に、背は縮み、今や妹と同年齢。

 こんな変わり切ってしまった風貌をみて、誰が『カーネリアン・ヴァイス』だと気付けるだろうか。


 などと、しんみりと思いつつ、私は頭を振って、どうにか沈黙を断ち切ろうと口を開いた。


 とにかく時間がない。

 不審がられず、かつ『カーネリアン・ヴァイス』だと気付いてもらえるような、言葉と言えばあれしかないだろう。


 「リルル・ヴァイス様、あなたに――」

 「リアン・アルバァトォッ!!!!」

 

 と直後、私の腹に岩をも砕くような強烈な一撃が飛んできた。


 その完璧なフォームで繰り出されたボディーブローは、完全に油断してユルユルだった私の腹部を的確に抉り、貫いた。

 おまけに、アッパーのような上方向への力も加わっていたのか、結果として私の身体は宙に数秒浮いた後、ゴム毬のように無様に席後方の通路上で三バウンドし、壁にぶつかり沈黙した。


 「よぉくも、ぬけぬけと私の前に現れやがったわね。」

 『悲痛な面持ちで一世一代の大告白をしようとしている男児に、横槍を入れるとは何事か』と、どうにか無礼者を睨みつけようと上体を起こして私は目を疑った。

 そこにはいたのは、血がにじむまで拳を握りしめ、怒髪天を突く勢いの修羅。

 ではなく。


 闘技場で同じようなパンチを繰り出した師匠。

 でもなく。


 「『学徒衝杖≪レ・バルテ≫』に応じなさい。今、すぐにっ!」


 先程まで、私の妹と仲睦まじく会話をしていた赤茶髪にサイドポニーが特徴的な少女。

 今日初めて会ったに違いない、そんな見ず知らずの品のよさそうな女の子が、修羅のような形相でこちらを射殺さんばかりに睨みつけてくる。

 そんな異様な光景だったのである。


◆◆◆コメント◆◆◆

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