第8話
家に着くと、玄関前で傘の水滴を落としてから引き戸をあける。
いつもはまだ薄暗いはずのダイニングから明かりが漏れていた。
中に入ると、
「おかえり。雨すごいわね。濡れたのなら着替えてきなさい」
母は
共働きもあって、できあいのおかずや惣菜の頻度もそれなりだったが、時間があると母はたいてい長い髪をくくって料理を作る。
「きょう、暇なの?」
と
「ご挨拶ねえ。言ってなかったかしら、午後から半休だったのよ」
「へえ。で、なに作ってるの?」
少し笑った母は、いつものシチューよ、と答えた。
「じゃあ、部屋いってるから。できたら呼んで」
僕は言い置いて、階段を駆け上がった。
ちょうど部屋へ入ったところでスマホが鳴ったので、画面を見ると、〝永田朔太郎〟とあったのでスワイプして電話に出た。
「電話なんて、めずらしいな。なにか用あった?」
「いや、急用ってわけじゃないんだけど。その、『ブック・アラカルト』の原稿は書けたかなって思って」
「まだ、ぜんぜんだよ」
「そうか。でも、題材はもう決めたんだろう?」
と朔はわかったように言った。
「ああ。一応は決めたんだけど……」
「俺には言いにくい?」
「そういうわけじゃないよ。ちょっと気恥ずかしいというか。まあ、アンネ・フランクの伝記なんだけど」
朔は意外そうに、ふむ、と言うと、アンネの話を熱心に始めた。
その不自然な饒舌さに、ほんとうは僕に何か言いたいことがあるんじゃないか、と猜疑してみたりもした。
二十分ほど、朔はほとんど一方的に話したが、階下から夕飯の声がかかったのを機に僕は朔の話をさえぎって、母が呼んでるから、と電話を切った。
スマホをベッドに投げると、シチューの良い匂いのするダイニングへと降りていった。
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