第3話

いつもより少し遅くなったが、図書室に入ると、なかはひんやりとした冷房がいい感じに効いている。


伝統校だけあって蔵書数の多い図書室は、何列にもわたって長い本棚が遠くに延びる。


ここのところ、向かう先は歴史小説の棚と決まっていた。


コーナーへ行くと、永田朔太郎がすでに隣にある純文学の並びで文庫本を物色していたが、僕に気づくと軽く手をあげた。


「海、今日はちょっと遅かったな」


朔はページをめくるのをとめて微笑した。


「食べるのが遅れて……」


「めずらしいな。最近はいつも俺より早かったから」


「そんな日もあるよ」


僕は答えた。


最低限の会話を終えると、再び朔は手にした文庫本へと視線を戻した。


僕も目当ての作家のラインナップを確認していく。


長編はあらかた読んでしまったので、未読の古い短編集を雑然とめくっていくと、半世紀ほども前の文庫本から少しカビた古本独特の臭気が漂ってくる。


それとともにストーリーに没入していく。


しばらくして、


「そういえば、『ブック・アラカルト』の件だけど」


と朔に引き戻された。


「まだ、何も具体的には言われてないよ……」


やや困惑しながら言った。


「司書の中野さんが、そろそろ頼むってさ。前の高校が小説紹介だったから、今度はエッセイか評論めいたものが希望らしいよ」


「わかってる。これから適当に見繕うよ」


答えたものの、内心は憂鬱だった。


『ブック・アラカルト』は近隣の高校の図書室が持ち回りで発行している図書誌で、新刊や蔵書情報のほかに、各校の生徒たちが次々に本の紹介をしていくというのがメインの記事だった。


紹介者や紹介本に特段の基準はなかったが、なんとなく「高校生らしいもの」という暗黙の了解があった。


すでに朔は数号前に、求めに応じた大正時代の作家の名作をとりあげていた。


「当てがなければ、おすすめはあるよ」


朔は親切心を見せて言った。


こういう朔を見ると、去年の入学式の日のことを思い出す。


下駄箱の横に貼り出されたクラス表を見て、自分のクラスに向かったものの、同じ中学の出身者もいなかったので、僕は教室前で不安げにうろついていた。


「A組のひと? なら、一緒に入ろう」


と笑いかけてくれたのが朔だった。


朔には数人の友達がいて、すぐに輪に入れてくれた。


僕は聞こえるかどうかの声で、ありがとう、と言った。しかし、これが朔に聞こえていたのかどうか、未だにわからない。


いま、目の前にいる朔も、去年と同じように微笑んでいる。


僕は手元の本を棚に戻して、いや、大丈夫だよ、と言い切った。


どうしても、自分で決めたかったのだ。


「そっか」


と、朔はやはり想像どおりに笑ったので、


「なんとなくだけど、候補はあるんだ。まあ、好きな作家の随筆のなかから選ぶよ。できれば今はハマっている歴史系がいいけど。なければ、昔読んだものから読みやすいやつをね。」


「余計なお世話だったな」


「そんなことはないさ」


朔の気のつかいように、僕はなんとなく疎隔を感じてしまう。そして同時に、朔にそんなつもりがないこともまた知っている。


僕が本音で言っていることを察したのか、朔は本の世界へ舞い戻っていった。


けれど、休み時間終了、五分前のチャイムが鳴ったとき、


「海の次は、相沢梨亜子が書くらしいよ」


と言い出したので、一瞬、僕の書架をめぐる手が止まりかけた。


驚いたことを悟られないように、下段の本を何冊か取ると、


「なにを書くんだろうな?」


と訊き返してみた。


「さあ」


それだけ言うと、朔は借りる本を持って混雑するカウンターへと向かった。

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