怪社日誌
星雷はやと
第1話 清掃作業
「緊張するなぁ……」
爽やかな朝、僕は鞄を握りしめるとオフィスビルを見上げる。僕の名前は聖川透。今日からこの会社が僕の職場になる新人社員である。初出勤の緊張から少し早くに出社してしまった。メインエントランスの扉へと近づけば、自動ドアは静かに僕を招き入れる。
「ゴミ袋……清掃作業中かな?」
磨き上げられた白亜のエントランスホールに僕の靴音だけが響く。ホールの中央には、黒いゴミ袋の山が築かれている。僕が出勤時間よりも早く到着してしまったが、如何やら会社は朝の清掃作業中のようだ。配属先へと進もうにも、清掃作業を邪魔するわけにもいかない。少しこのホールで時間が経つのを待つのが良いだろう。
「……あ。おはようございます!」
「おはようございます」
エレベーターの到着音が響き、扉が開くと掃除用具が入ったカートを押す男性が現れた。彼は作業着と帽子を被り、爽やかな笑みと共に挨拶を口にする。帽子で顔はよく見えないが、中年男性のようだ。
「すいませんねぇ。ゴミが邪魔だったでしょう?」
「いえ、大丈夫です。お仕事お疲れ様です。僕が時間よりも早く出勤してしまっただけですから……作業中にすいません」
カートを押しながら彼は近付いてくると、申し訳なさそうに眉を下げた。朝の清掃作業を知らずに会社に入ってしまったのは僕である。彼の邪魔になっていないか、その方が心配になる。
「はは、大丈夫だよ。君は真面目だね。……あれ? 見ない顔だけど新人さんかな?」
「あ、はい。本日から働かせていただく……」
彼は瞠目すると、首を傾げた。清掃業者ならばこれからも関わることがあるだろう。僕は名を名乗ろうと口を開いたが、それは最後まで紡ぐことはなかった。乾いた音がホールに響く。男性が柏手を打ったことにより、僕は驚き口を止めた。
「名前はそうそう名乗らない方がいいよ? 口にするなら苗字か名前かどちらかだ」
「……え?」
人差し指を唇に当てると、彼は内緒話をするかのように囁いた。今まで言われたことのない指摘に困惑し、思わず首を傾げた。
「此処で働く先輩からのアドバイスだよ。フロアは全部、綺麗にしてあるから。お仕事頑張ってね!」
「え? あ! はい、ありがとうございます」
彼は初めの時の爽やかな笑みを浮かべると、エレベーターを指差した。清掃作業が終了しているならば、部屋に向かっても大丈夫だろう。男性に会釈をすると、エレベーターに乗り込む。
エレベーターの扉が閉まる瞬間、黒いゴミ袋が動いた気がした。
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