警部の疑念

リージョン、エンドポイント、バケット名、ファイル名などなど、情報捜査官のような人物にとっては、宝の山のような情報が助手が作成したメモには書かれていた。


だが、警部は、昔気質のIT音痴であった。


パソコンはおろか、スマートフォンで、大好きな忠臣蔵や任侠映画の動画を見るといった作業をするだけでも、娘の手を借りなければならなかった。


だから、助手によって書かれている貴重なメモが、意味のない無秩序で乱雑な怪文にしか見えなかった。


「こんなものが床に落ちていた?だからなんなんだ」


「卒業研究のファイルの所在と毒物の買い物情報が書かれています!これが、本当に実在する情報ならば、犯人への手掛かりになるかと」


「いいか。ITだとかサイバーだとかそういう高等な技術は俺にはさっぱりわからん。だが、一つだけ言える昔からの鉄則がある。出所が明確でない文書はなんの証拠能力も持たない。ガキにでもわかることだ」


「もし、業者のサーバにこのデータが存在したら、動かぬ証拠になります!」


「もしなかったら、出鱈目なデータだったらどうなるんだ?裏付けがない怪しい証拠品に基づいてIT業者とやらに開示請求を迫るのか?警察だって信用で成り立っている組織なんだ」


そのやり取りをみた少女は、苦渋に満ちた顔をしていた。


何か、何かこの警部の心を動かす情報はないのか。


少女は、ウサモフの方を見る。


検索のチャンスは最後の1回だった。


劇物購入時のカメラ映像?


いや、インターネット購入のはずだから、そんな証拠は残っているはずもない。


クレジットカードの番号履歴。


それならば、残っているかもしれない。


だが、そもそも端から怪文書として取り合おうとしない警部に対して、さらなる情報を提示したところで、決定的な証拠として突きつけたところで意味がない。


もっと、即物的で誰にでも講師が怪しいと分かる情報。


そんなものが活字として残っていないのか。


ネット上じゃなくてもいい。


手書きでもいい。


彼女が購入した毒物は、シアン化カリウムだ。


だが、この毒物がテレビの三面記事ニュースとして報じられるときは「青酸カリ」と呼ばれることがある。


彼女が、仮にこの毒物について言及した書類を残していたとする。


どちらの名前で呼ぶだろうか。


通常ならば「青酸カリ」だろうが、彼女も学者の端くれだ。


学術的な名前を使うかもしれない。


そもそも、薬物の名前と自分の名前を併記したような動かぬ証拠を残すような間抜けなことをするだろうか。


色んな疑念が頭を渦巻いた。


決定的な証拠じゃなくていい。


警部が怪しいと思うきっかけになる程度でいいんだ。


「あの。すみません。トイレに行っていいですか?」


講師が言った。


明らかに動揺している。


先ほどからのクラウドの情報の話によって自分に疑念の眼が向くことに恐怖しているのだ。


トイレ。


何のために行くのか。


用を足すためか。


いや、違う。


証拠隠滅だ。


「女性捜査員を同行させよう」


「今日は女性はいないですよ」


「仕方ないなあ。警部にちょっと聞いてみます」


その場にいる女性は講師とそして少女だけだった。

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