第91話 許し
リシュールは息を
もちろん、「会うつもりはない」と言ったのだと言うことは分かっている。もし「会いたい」と言っていたら、きっとリシュールはとっくに父と再会していたはずだろう。
「ですが、リヒテルさまは首を横に振りました。『合わせる顔がない』と」
「……」
「ただ私には、やるべきことがありました。ご存じの通り『絵本の挿絵を描いてもらう』ことです。リヒテルさまに描いていただけないとなると、別の人物を探さなくてはなりませんが、見つけた絵描きに近い
「僕?」
クモイは真剣な
「リヒテルさまの芸術の血が、子に受け継がれるかどうかは分かりません。ですが、もし可能性があるならその子に頼みたいと」
そしてクモイは、リシュールが羽織っていた濃い灰色のマントに触れた。
「そして私はこのマントを使って、リシュの描く絵を調べました。とてもやさしい色合いで絵を描く子だなと思った私は、この子に依頼してみようと考えたのです。……どうやらその考えは正しかったようでした」
クモイは、マントからリシュールのほうに視線を移し笑った。
リシュールは思いがけないその言葉に、腹の底からじわじわと温かいものが湧いてきて、顔まで熱くなってくる。
リシュールは
「だけど、父さんは僕とは会わないって言ったんでしょう? どうしてここに連れてきてくれたの?」
「リヒテルさまは、私と
「賭け?」
「そうです。リヒテルさまが生きている間に、リシュが絵本の挿絵を描き上げたら会っていただく。もし間に合わなければ、会わない――そういう約束をしていました」
「でも、どうして……」
「リヒテルさまにも、リシュにも、私と同じ後悔をしないで欲しいと思ったからです」
リシュールはどういうことだろうと、小首を
「後悔……?」
「はい」
クモイはうなずくと、自分の気持ちを
「私は、最後まで妹に自分の存在を許されませんでした。私自身は彼女に寄り添っていたつもりでも、そうはなっていなくてずっと心残りだったのです。人は他者に傷つけられたとき、その人に対して怒りを持ち、
「……」
リシュールは話を聞きながら、クモイがずっと心残りでいるのは、きっと妹との「関係」なのだろうと思った。
たとえマリに「魔法具を無くすように」「絵本を作るように」と
だが、クモイがこれらに向き合うときは、いつも深い部分に「妹に許されたい」「兄として認めてほしい」という気持ちがあることを、リシュールは静かに感じた。
「ですが、『許す』という言葉を、私自身待っていたということは、リヒテルさまを見てようやく気が付いたんです。遅いですよね」
クモイはそう言って
「ですから、リヒテルさまがご子息に許しを求めていたとき、自分と同じようになって欲しくないと思いました。もし和解できる可能性があるなら、できるときにわだかまりを解消したほうがいい。私のように、相手がいなくなってしまってからでは、もう遅いですから」
「……僕」
リシュールは、静かな声で自分の思いを話した。
「父さんのこと、恨んじゃいないよ。そりゃ、あんなに怒鳴って、母さんを傷つけて、そして僕を孤児院に入れることになったのは、嫌なことだったけど、でも……もう怒ってはいない」
「……リシュ」
クモイがほっとしたような表情を浮かべると、彼は
リシュールも同じようにそちらに視線を向ける。
屋根板だけはツタナガ(トタン板のこと)でできているが、それ以外は
「中に入りませんか?」
「入っていいの?」
リシュールはクモイを見上げて聞き返した。
「もちろんです。それに、リヒテルさまはもう長くないのです」
リシュールははっとする。
「もしかして、クモイが最近朝早くに出て遅くに帰っていたのって……」
クモイは主人の話を聞きながら、玄関のドアのほうへ歩き、取っ手に手を掛けた。
「リヒテルさまの看病をしておりました」
「そうだったんだ……」
リシュールはその場で深呼吸をして気持ちを整えると、ドアの前に立った。
「いいですか?」
「うん」
しっかりとうなずくと、クモイがドアを開けてくれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
リシュールは意を決すると、懐かしき自分の家に一歩、足を踏み入れるのだった。
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