第86話 ウーファイアの姿
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電気を使った明かりが、頼りなく部屋を
その中で、リシュールは調理場にある暖炉の前で
しかし、緊張のせいで眠くはなかった。
明日は仕事なので、いつも通りに早く起きて行かなければならない。
だが、今は何よりも、クモイから頼まれた挿絵の件について、一つ区切りを付けなければならないと気が張っていた。
だが、クモイはまだ帰宅していない。
「……はあ」
リシュールは、重いものをはきだすように、ため息をつく。
クモイの帰りが遅いのは分かっているのに、まだか、まだかと思う自分がいる。
時が過ぎるのが、これほど遅く感じるのは初めてだ。
孤児院にいたときのリシュールは誰かを待つことがなかったし、下宿屋の屋根裏部屋で生活していたときは、毎日が必死であっという間に一年が過ぎてしまっていた。
クモイが来てからは、これまでとは違った時間の過ごし方だったが、いつの間にか春である。
それなのに今は、これまでに経験したことがないくらい、時間がとても長く感じていた。
「クモイもシルヴィスさんも、すごいな……」
リシュールは、小さく呟く。
彼らは長く生きられる分、待っていることも多いはずだ。挿絵のことも数年待つと言っていたくらいである。
だが、待つことは辛抱強さが必要だ。きっと彼らは色んなことを、人との出会いを待ってきたに違いない。
そう思うと、これくらいの時間は大したことではないんだろうなと、リシュールは思うのだった。
「まだかな……」
リシュールがそう呟いてから、
リシュールははっとして立ち上がると、クモイが調理場に入ってきたところだった。
「おかえり」
「た……、ただいま戻りました」
クモイは主人が起きて待っていると思っていなかったのだろう。灰色の目をぱちくりさせて、リシュールを見ていた。
「まだ、寝ていらっしゃらなかったのですね」
「うん」
「眠れませんか?」
「それもあるんだけど……」
リシュールはそこまで言うと、意を決して「クモイ。今、いいかな?」と尋ねた。
何を言われるか分かっていないクモイは、疲れた顔に笑みを浮かべつつも、普段通りに「大丈夫ですよ」と言う。
リシュールはいつも通りのクモイに少しほっとすると、言うべき言葉を口にした。
「挿絵が、完成したんだ」
するとクモイの表情が真剣なものに変わる。
「本当ですか?」
「うん。見てもらってもいい?」
「是非」
リシュールの問いにクモイがすぐに返事をしたので、「部屋から持ってくるから待っていて」と言って、今朝シルヴィスに持って行ったあの箱を、自室の机の上から持ってきて居間のほうに戻った。
居間には、コートなどを脱いだクモイが立って待っていたので、リシュールはラクチュア(布のかかった柔らかい椅子のこと)を軽く指さして「座って」と言う。するとクモイは、主人が座った隣に腰を下ろした。
「はい。これ」
リシュールは、箱ごとクモイに渡す。箱を包んでいた油紙は必要ないと思い、家に帰ったときにすでに外してある。そのため
「この中に、クモイが僕に頼んだ絵本の挿絵が入っている。七つの場面、全部だよ」
「開けて……よいのですか?」
「うん」
クモイの問いに、リシュールは大きくうなずく。
「……分かりました」
クモイはゆっくりと息をはき出すと、彼は目の前にある低いテーブルに箱を載せ、
すると
しかし、絵はすぐには見えない。
紙に
「これは、
クモイの質問に、リシュールはちょっと笑って答える。
「もちろん。そうじゃなきゃ見れないよ」
「そうですね」
挿絵はクモイに頼まれた順に並べられている。そのため、一番上にあるのが「ウーファイアが村の人々に寄り添っているところ」だ。
――クモイは、気に入ってくれるだろうか。
リシュールが挿絵に対して、最後にそう思ったときである。クモイがついに、油紙をすっと
「ウーファイアが村の人々に寄り添っているところ」という依頼を受けて、リシュールが描いたものは、木で作られた質素な家々が立ち並んだ中に広場があり、そこにいる村の人々が一人の女性を取り囲んでいるという構図である。もちろん、彼らの中心にいるのがウーファイアだ。
黒くて長い髪に黒い瞳のウーファイア。そして、周囲の村の人々が笑って話しかけているが、彼女だけは笑っていない。ただ、穏やかで静かな表情を
ウーファイアの髪の色と瞳の色を黒にしたのは、彼女が実際にいた村のことは分からないが、ウーファイアだけが「違う存在」、つまり「魔法使い」であることが分かるようにするためだった。
リシュールが住むこの地域や、孤児院のあったところでは、茶色か
「……」
クモイは食い入るようにして挿絵を見ていたが、何も発しない。
何を考えているのか。
どう思ったのか。
表情もまるで動かないので、分からない。
そしてクモイは、何も言わないまま、次の挿絵と移ってしまう。
——駄目だったのだろうか。
そんな気持ちがよぎったが、見ているときの邪魔をしてはいけないと思い、リシュールは彼が最後の一枚を見るまで、黙ってその様子を見守るのだった。
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