第40話 一緒に

「どうぞ」


 居間にある横長のラクチュア(布のかかった柔らかい椅子のこと)に座っていると、クモイが目の前の低いテーブルに、白地のカップを置いてくれる。これも引っ越しをする際にクモイが買ってくれたものだ。内側には子どもが描いたような、翼が青い小さな白い鳥が一匹と、茎と葉っぱが付いた一輪の黄色い花がえがかれている。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 そう言うと、彼は調理場のほうへ行ってしまう。


「あれ? クモイは飲まないの?」

「私はいいのです」

「でも帰ってきたばかりなのに」

「夕食の支度もありますので、お気になさらず」


 リシュールはその一言に、むっとした。

 それはもちろん、主人である自分のためにクモイがしていることであるのはよく分かっている。


 だが、今度はこそこそ隠れたりしないで、堂々と一緒に過ごせるのだ。それなのに、一緒のテーブルについてお茶を飲むことさえできないのが、リシュールの心の中でもやもやとしたものとして渦巻うずまいていた。


「クモイ」

「はい、何でしょう」


 リシュールは自分の隣を指さして、「座って」と言った。

 クモイは主人の指示に狼狽ろうばいする。


「しかし……」

「いいから座る。僕が君の主人でしょう?」


 リシュールが座るラクチュアに、クモイが遠慮して座ろうとしないので、主人の持っている力を初めて使った。クモイはリシュールの「命令」になると断れないはずである。


「そうでございます……」


 クモイは「それとこれとは別だ」と言わんばかりの顔で、納得していない様子ではあったが、おずおずとリシュールの隣に行き、そっとラクチュアに座った。リシュールはそれを見て微笑んだ。


「これから普通にクモイもここに座るように。お茶も僕の分と自分のを一緒に出すこと。でなかったら、僕がクモイのお茶を準備するからね。いい? 分かった?」

「……分かりました」


 うなずくクモイを見て、リシュールはほっとする。


「ですが、今回はご勘弁を。私のお茶を入れるのをお待たせするのは、心苦しく思いますので……」

「分かった。じゃあ、次からは一緒に飲もう」

「はい」


 彼が入れてくれたお茶を飲む。


「おいしい……」


 リシュールは驚いた様子でカップの中を見る。クモイが入れてくれたロフトニーを初めて飲んだが、香りも良く、味もほんのり甘みがあっておいしかった。


「それはようございました」


 リシュールとソファに隣り合わせに座るクモイが嬉しそうに笑う。


 その様子を見て、リシュールはきゅっと胸が締め付けられるような心地になった。


 主人と従者の関係で、リシュールが今後クモイのために絵を描いてあげるとしても、まだリシュールはクモイに何もしてあげていない。


 それにもかかわらず、リシュールが喜ぶと嬉しそうに笑う彼を見て、何とも言えない気持ちになってしまったのである。


「クモイ……、ありがとう」


 改まって主人がお礼を言うのを、クモイは不思議そうな顔をして見ていた。


「お茶のことでございますか? 従者にとって当然のことをしただけでございますから、そんな風に改まっておっしゃらなくても大丈夫ですよ」


 だが、リシュールはどうしてもクモイにちゃんとお礼を言いたかった。


「当然のことじゃないよ。だからありがとう」


 クモイは主人の心のこもったお礼に、わずかに灰色の瞳を大きくする。驚いているようだったが、リシュールは気にせず言葉を続けた。


「それとね。僕、あのマントを買ってよかったってすごく思っているんだ。生活が豊かになったこともそうだけど、何より毎日の話し相手ができたのが嬉しい。ちょっと前まで一人暮らしをしていたけど、振り返ってみると意外と寂しかったんだなって思って。それに困ったときに相談できる人がいるのも心強いよね。おかみさんは、根は悪い人じゃなかったけど、頼ったり、何かを相談できるような人ではなかったから……。だから、本当にありがとう。そして、これからもよろしくお願いします」


 するとクモイの灰色の瞳に、水の膜がゆっくりと張られていくのが見えた。だが、それがしずくとなってこぼれ落ちる前に、クモイは袖でそれをぬぐった。


勿体もったいないお言葉です。こちらこそ、どうぞ今後ともお願い申し上げます」


 リシュールは嬉しくてにこっと笑った。

 クモイとならば、色んなことに挑戦できるような気がして、これから自分がどうなっていくのかが楽しみでもあるのだった。

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