幻想小説・春の夜、ハ、レレレと歌う。 

柴田 康美

第1話 春の夜、ハ、レレレと歌う。 

 どうしてもハ、レレレと聴こえる。最初はその声がどこからするのかわからなかった。眠れないのに眠ろうとして天井をみる。ものみな寝静まった静けさのなかで天井からそれはささやきかけてくる。降りかかる声はしっかりハ、レレレと耳に入ってくる。みなさんねてますか。ゆっくりおやすみしていますか。まるでラジオの深夜番組だ。それがハ、レレレと聞える。どうやら音ではないだれかの声だ。家が泣くときがあるというはなしは建築業者からよくきく。壁のセメントが剥落する音とか風で柱がきしむ音などだ。それともちがう音、ではない、声だ。うす気味が悪い。天井裏に不法侵入者はいないとおもうが眠れないないので困った。どうしたらいいのかな。不眠が極になった真夜中にやはりそれは伝わってきた。もうこうして寝てはいられない。飛び起きた。起き上がって手元にあった掛け軸をかける竹棒で天井を突いた。コツコツ、コツコツ、だれかそこにいるのかな。それですこしのあいだとまるがすぐにまたはじまる。そんなことが何回もしつこくくりかえされる。

 

 どうやら天井裏の物置らしい。高い本棚の本を整理しょうとして玄関ホールに置いてあった長い脚立を階下から運んでくる。こんな閑かな夜にめんどうなことになったがしかたがない。きょうはだあれもいない。自分ひとりだからいいようなものだが。がたごと夜中に音をたてたら父親に何事だと厳しく注意され外へ放り出されたかもしれなかった。父親は細かいことにうるさい。母親は父親に逆らわずいつも黙っている。敷いてあるふとんをどけて脚立を立てる隙間をつくる。それに登って八畳間の北東の角の天井板を人が入れるくらいに工具で四角形にこじあけて外す。なにか動物が鳴くような音がして板が動いた。猛烈にほこりが舞ってきた。カビくさいいやな臭いが部屋に漂ってくる。マスクを片手で押さえる。普段は開けるような場所じゃない密室をがたごとやっとのことで開けた。


 中は真っ暗闇だ。先が見えない。棟はかなり高い。人間がひとり立つだけの余裕はある。懐中電灯を点ける。黄色い丸い光の芯はぼーとしていて焦点が定まらない。目が闇になれてくると屋根に近いところに小窓があり弱い外灯の光が差し込んでいる。ボンヤリした視界の光の輪に白いガウンのような服を着た人間みたいなはっきりとしないものぼーっと浮かぶ。ステージの中央にたつ歌手のようだ。まさかこんなところにひとが?ひとがいるなんて。服の色は白かもしれないし灰色かもしれない。何しろ初めての経験なのだ。いままでみたことがない風景を覗いている。こんなことが実際に起こるなんて。ほんとうは見たくもない光景である。人か人でないものなのか混乱した頭では見定めがつかない。いままで見たこともなく想像もできなかったことだからきもちはすでに動転している。動悸が激しくなる。ばかばかしい。だれか商売人に頼んだほうがよかったかな。ばかな探索をやめようかなと思うが声の主を突き止めなければ終わらないのだ。自分の目で確かめたい。こうしなければこれからいつも夜泣き声になやまされるだろう。

 

 身体の胸までのりだして四角な入り口からおそるおそる慎重に聞いてみた。なにしろいまひとりなのだ。もし相手がなにかなんくせをつけ暴れでもしたら自分で始末するしかない。       

「あのぅーどなたなんでしょうか?」やっとで声をしぼりだした。どうしてもていねいになる。おおごとにはしたくない。                         「・・・・」まったく返事はない。しーんとしている。らしき人影は奥のほうで息をころしているみたいだ。彫像のように輪郭だけが淡い光に縁取られている。突然、首をだしてのぞいたぼくのほうをみて当惑しているようだ。そんな気配を闇のなかで感ずる。

「おはなしがしたいのですが」                     それでも「・・・・」無言。

「どうしても」「・・・・」無言。

もうこうなったらなにがなんでも突き止めなけれならない。

「ほんとーに、どなたでしょうか? 」

 

 ややあって彫像がすこしだけ動いてゆっくりと語り出した。

「わたしは・・・・」若い女性の声だ。                  「わたしのことを故郷のひとたちはパピと呼んでいます」と歌うように抑揚をつけて話しだした。とうとう声がした。ゆっくりしたオペラを聴いているみたいだ。あいづちうつどころじゃない。ジッと聞いている。声もでない。どぎもを抜かれて脚立に足をかけたままただ立っている。びっくりしたがふだんから人間みながつかう言葉がでてきたのですこしだけ安心する。足が痛い。しびれてきた。とても悪人には見えないこの妖精らしき人に明るいところでしっかりと会いたいとおもった。そして、屋根裏で夜泣くわけを聞いてみたかった。

「よかったら、あした、世の中が寝静まったら下へ降りてきていただけますか」と言ってみた。

「ん・・・・」しばらく考えているようすだったが、なにもいわないですーっと消えた。


翌日の真夜中、らしき人はぼくの部屋にいた。窓もドアも閉まっている。どこからともなくやってきたのだ。立っているのだとおもうが足はみえない。空中に浮かんでいる。とても可愛い少女なのでぼくの警戒心はひとまず薄らいだ。といっても顔がはっきり見えたわけではない。不安なのは不安だ。正体がわからないのは変わらない。でも、例えば、いまの世の中、SNSだって相手の存在がわからない。どこの誰なのかそれほど

明確ではない。本人かどうかどこで判断するのか。わからないことはわからないでよい。そんなことどうでもいいじゃないかと思う。会いたければ会う。ぼくはこの妖精に会いたかった。それでいい。


「どちらからこられたのですか?」深いフードに顔を隠すようにしているらしき人に向かって話しかけた。

「わたしの先祖は北欧にあるセントバージニア王国なんです。冬は深い雪が辺りをおおいつくします。白一色になります。わたしたちはどこの国へも飛んでゆくことができてどの国の言葉も話せます。だから、こうして日本語もかんたんにできるのです。わたしたちはとても悲惨な地獄のような目に遭ってきています。小国なので隣の大国にいつも攻められて国民の多くはとても惨めな死に方をしています。ある村は村民がどうでもいい命令に従わなかっただけで半数が銃殺され掘ったおおきな穴にうめられました。それで、いつからか、理不尽な攻撃から身を守るため危険な状態になるまえにその家に知らせるようハ、レレレと泣くようになったのです。敵に攻撃されれば必ず死人がでるのでその場合の死の予告人といういやな役目です。いや知らせですがわたしたちが死人が出ると予告した家にはかならず間違いなく死人が出ます。かならずね 」

ほんとうにそうなのかと半信半疑で聞いていた。


 

「ところで、あなたが、亡くなろうとするときどなたがそれを予告をされるのですか」と聞いてみた。すると、いままでの妖精少女パピの顔色はその一言で、一瞬のうちにこわばった。表情は妖精から妖怪に急変した。恐ろしい形相だった。そんなことをどうしていま聞くのか。口がおおきく裂けた老婆の顔が迫ってきた。猛獣のように吐く息は炎のように熱くなった。赤い髪の鋭く青い目玉がよけいなことを聞くなとこちらを、視た。聞いてはならないことを聞いたかもしれなかった。髪の毛は逆立っていた。怒りの顔面のそこかしこから血管が浮き出し脈打ち青くなってきた。いつの間にか頭の両側に角がはえた。例えるなら夜叉である。夜叉は仁王立ちになっていた。

「わしたちは死なないのだよ。永久ーに。いつまでも死なないのも苦しいもんだよ。死にたいとさけんでのたうち回ることもあるのだ。わしもはやく死にたい 」

「ケッ、ケッ、ケッ 」低く嗤った。

押し殺したすごみのある巨身の腹からの声だった。いままでとは違った地のそこから沸き上がる声におそろしさでぼくは身動きできなかった。

「いままで必死に生きてきたわしなのだ。わしが何歳なのかわかるだろう。何十万年まえからづっと生きてきた。いや、むりやりみなの都合で生かされてきた。なんの死の予告などだれがしたがるものか。わしたちは先祖からおしつけられた。否応なしに。反対はできなかった。絶対神のおおせだった。雨の日も風の日も戦いながら血をみながら。苦しいだけで楽しいことなどなにもなかった。だが、だれがわしの苦しみを癒やしてくれたのか。勝手な人間たちはだれも知らないふりではないか 」

「もうこれで会うことはない。わしがこの家にきたこと、わしが予告にきたこと、わかってくれたのかな」

最後は低いハ、レレレの歌声とともに消えていった。



 翌朝、階下からお手伝いさんの呼ぶ声で目が覚めた。

「警察のかたがみえています」 

あくびをしながらおりてゆく。窓から入る光がまぶしい。


 「昨夜、零時ごろ、お父さんが殺されました。お父さんを殺害したのはかつてお父さんの愛人だった女性とお母さんです。刺し傷は何十カ所にもおよぶ惨殺だったと鑑識から報告されています。現場は愛人のマンションです。なにか知っていることはありますか? 」

刑事がいう捜査の質問を他人ごとのようにぼんやり聞く、ぼく。

ああ、やっぱりかと思った。ぜんぜん予想されないことじゃなかった。まったくなにをやってるんだ。いい気なものだあの親は。いつも家を放り出して遊びまわっていて。あげくにこのざまなのか。


でも、災難はこれだけではすまなかった。不吉な事故がいろいろ起きた。それはいまも続いている。

葬式に参列しようとした叔父が駅の階段から落ちて重傷となり入院した。

法事にくるために伯母が乗ったバスが歩行者を轢いた。遠くの親戚が父の葬られたお寺にお参りしょうとした日に家が全焼した。父親の経営していた会社は大雨で洪水にみまわれ再起不能となり倒産を余儀なくされた。幹部のひとりは入水自殺した。たたりかとおそろしくてと葬式にもこなかった父親の親友は常用していた薬の中毒になって倒れた。母親は刑務所で発狂して病死した。父親の愛人だった女性はいまも取り調べ中で見る影もなく衰弱したという。係の人のいうには一日中死にたいと呟いてふらふら歩いていたが寝たきりになり全身が黒く変色してなにか原因不明の病気のようだという。

 

 家と土地はすべて始末した。悪いうわさが世間に流布されてなかなか買手がつかなかった。しかたなく競売で売りはらった。とうとう更地になった。そこに立つと夢だったんじゃなかったのかとおもった。



 いったいぼくたちがなにをしたというのだ。どうかゆるしてやってくれ。やむことはない呪いにぼくの身体はすっかり疲れきった。。






               (了)

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