漂流少女とダクトテープの海

藤原くう

漂流少女とダクトテープの海

  砂浜から見える、引いては寄せるダクトテープの海にはいい加減飽きはじめていた。


 周囲に広がるは銀色の海。空をわたる太陽の光をグニャングニャンと反射してまぶしい。


 くしゃくしゃにした銀紙みたいな水平線の向こうには何も見えなかった。島もなければ航行する船さえない。


 わたしは無人島に一人だった。



 いつからここにいたのかは自分でもよくわかっていない。気が付いたらここにいた。


 もしかしたら、眼前に広がるのはまったくの夢なのかもしれないと、頬を思いっきり叩いたら、思わず泣きそうになった。


 わたしは立ち上がって、スカートについた砂をぱっぱと払う。熱帯を連想させるような気候に適したセーラー服をわたしは着ている。深紅のタイが目立つ真っ白な上着に、黒いスカート。それからローファーもあったんだけど、それは向こうに転がってる。だって、砂浜じゃあ歩きにくいんだもの。


 銀色の水面へ向けて、わたしは砂浜を降りていく。太陽光線に熱された砂の粒子は、さらさらと足の指の間に入り込んできてくすぐったい。不思議と熱は感じなかった。


 白い波打ち際には無数のダクトテープが打ちあがっていた。ガムテープよりもずっと粘着力が強くて、熱や水にもある程度耐えられるあれ。


 見ているだけでため息が出てくる。水面を埋め尽くすそいつらの一つを手に取って、遠くの海へと放り投げる。だけどもわたしの貧弱な遠投力では、十メートルも飛んでいかない。水のしぶきとともに、とぷんと落ちて浮かび上がってくるのが見えた。


 それを見ていると、また、ため息がこぼれてしまった。


 見上げれば雲一つない空。どこかに鳥がいるのだろうか、ぴゅうろろろっと鳴き声が聞こえるような気がする。そんなさっぱりとした空が憎らしい。


 この際はっきり言おう……わたしをこの無人島を柔らかく照らしてくる太陽が憎らしかったのだ。




  無人島はそれほど大きくはない。出不精のわたしでも疲れることなく一周できるほどだから、狭いといっていいと思う。太陽が出てくる方角――東に面した海岸線には崖がある。わたしがいるのは西側で、こっちは砂浜がある。


 島の中央部には、こじんまりとした森がある。森の中は静かで、そよそよとした風の音と葉っぱがこすれ合う音しかしない。ふよふよとした草の上に横になるだけで、すさんだ心が癒されていくかのよう。何より、打ち付ける波の音や島を埋め尽くさんと押し寄せてくるダクトテープや煩わしい日光を気にしないで済むというのが嬉しかった。


 聖域。


 そう呼んで差支えはなく、実際、わたしの心のよりどころである。


 木々のいくつかには赤い実がついている。口に含んでみれば、ぐにぐにとする。歯を突き立てるとすっぱいような甘いような汁が口いっぱいに飛び散る。あとに残るのは、弾けた風船みたいな不快な果実の皮。


 どれもが夢とは思えないような確かな手触りがあった。


 やっぱり夢ではないのだろうか。


 ぐるりと取り囲む木々を見回す。木々にさえぎられ日光も風も、わたしのいる森の深部にはほとんどやってこない。水面に浮かぶダクトテープは言うまでもない。


 日中だというのに闇に包まれた森の中、わたしは地べたへ横になる。芝生らしき背の低い植物は、ぬるくてくすぐったい。横になっていると、夏の日のプールに浮かんでいるような気さえしてくる。


 目を閉じれば、沼に沈んでいくかのように体が重たくなって、ずぶんと眠りに沈み込む。



 目を覚まして、大きく伸びをする。あくびを噛み殺しながらわたしは森の外へ出ることにする。


 森を出てすぐ、日光がわたしを出迎えるものだから、うんざりする。思わず睨みつけてやったけれども、その光は一向に弱まらない。むしろ強まっているようにも感じられた。そのくせ、熱は感じられない。光だけが、真白の輝きだけが強く瞬く。その聖なる光はザシュザシュわたしを突き刺して、肉体のうちに秘めたつもりのよこしまな心を罰してくる。


 そう思っているのは自分だけなのかもしれなかったけれど。だって、太陽は動きを変えることなく、いつも通りわたしの頭上を通り過ぎていく。太陽が空を通っていくことは当たり前のことではあるんだけども、ダクトテープの海を見るたび、その当たり前にホッとしてしまう自分がいて、嫌になる。


 わたしは太陽に背を向けて、浜辺へと歩いていく。どうして、そんなことをしてしまうのか、自分でもよくわからない。


 青いはずの水面にはやっぱり、憎らしい銀のテープが浮かんでいる。隙間なく浮ぶその集団が上下し、うごうごする様一つの生命体のよう。何らかな意図を持っているようで、見ているだけで吐き気がこみあげた。


 だけども、目を離すことができなかった。太陽の反射を受けてチカチカ光るダクトテープ。それはどこかモールス信号にも似ていて、ある種のコードがそこには仕込まれているようにさえ感じられた。


 どうしてお前は――。


 頭が痛い。肉を切ってしまった時のような嫌な音が胸の奥の方で聞こえた気がした。体は血の気が抜けてしまったみたいにふらつく。だけども、血液は一滴だって滴ってはいなかった。


 錯覚。


 怪しく光るダクトテープにあてられて、わたしは幻聴を耳にしてしまったらしい。そうに違いない。


 わたしは砂浜を蹴り上げる。砂のつぶてが舞って、きらきらと音を立てる。その音は、こすれあうダクトテープの音にまぎれて消えていった。




  無人島そのものはそれほど大きくはない。出不精のわたしでも疲れることなく一周できるほどだから、狭いといっていいと思う。太陽が出てくる方角――東に面した海岸線には崖がある。わたしがいるのは西側で、こっちは砂浜がある。


 島の中央部には、こじんまりとした森がある。森の中は静かで、そよそよとした風の音と葉っぱがこすれ合う音しかしない。ふよふよとした草の上に横になるだけで、すさんだ心が癒されていくかのよう。何より、打ち付ける波の音や島を埋め尽くさんと押し寄せてくるダクトテープや煩わしい日光を気にしないで済むというのが嬉しかった。


 聖域。


 そう呼んで差支えはなく、実際、わたしの心のよりどころである。


 木々のいくつかには赤い実がついている。口に含んでみれば、ぐにぐにとする。歯を突き立てるとすっぱいような甘いような汁が口いっぱいに飛び散る。あとに残るのは、弾けた風船みたいな不快な果実の皮。


 どれもが夢とは思えないような確かな手触りがあった。


 やっぱり夢ではないのだろうか。


 ぐるりと取り囲む木々を見回す。木々にさえぎられ日光も風も、わたしのいる森の深部にはほとんどやってこない。水面に浮かぶダクトテープは言うまでもない。


 日中だというのに闇に包まれた森の中、わたしは地べたへ横になる。芝生らしき背の低い植物は、ぬるくてくすぐったい。横になっていると、夏の日のプールに浮かんでいるような気さえしてくる。


 目を閉じれば、沼に沈んでいくかのように体が重たくなって、ずぶんと眠りに沈み込む。




 目を覚まして、大きく伸びをする。あくびを噛み殺しながらわたしは森の外へ出ることにする。


 森を出てすぐ、日光がわたしを出迎えるものだから、うんざりする。思わず睨みつけてやったけれども、その光は一向に弱まらない。むしろ強まっているようにも感じられた。そのくせ、熱は感じられない。光だけが、真白の輝きだけが強く瞬く。その聖なる光はザシュザシュわたしを突き刺して、肉体のうちに秘めたつもりのよこしまな心を罰してくる。


 そう思っているのは自分だけなのかもしれなかったけれど。だって、太陽は動きを変えることなく、いつも通りわたしの頭上を通り過ぎていく。太陽が空を通っていくことは当たり前のことではあるんだけども、ダクトテープの海を見るたび、その当たり前にホッとしてしまう自分がいて、嫌になる。


 わたしは太陽に背を向けて、浜辺へと歩いていく。どうして、そんなことをしてしまうのか、自分でもよくわからない。


 青いはずの水面にはやっぱり、憎らしい銀のテープが浮かんでいる。隙間なく浮ぶその集団が上下し、うごうごする様一つの生命体のよう。何らかな意図を持っているようで、見ているだけで吐き気がこみあげた。


 だけども、目を離すことができなかった。太陽の反射を受けてチカチカ光るダクトテープ。それはどこかモールス信号にも似ていて、ある種のコードがそこには仕込まれているようにさえ感じられた。


 どうしてお前は――。


 頭が痛い。肉を切ってしまった時のような嫌な音が胸の奥の方で聞こえた気がした。体は血の気が抜けてしまったみたいにふらつく。だけども、血液は一滴だって滴ってはいなかった。


 錯覚。


 怪しく光るダクトテープにあてられて、わたしは幻聴を耳にしてしまったらしい。そうに違いない。


 わたしは砂浜を蹴り上げる。砂のつぶてが舞って、きらきらと音を立てる。その音は、こすれあうダクトテープの音にまぎれて消えていった。




  その現象をダクトテープの侵略と名づけることにした。


 砂浜に打ちあがり、山となしていたダクトテープたちは、ついに上陸してきた。最初からそれが目的だったに違いない。


 無人島を征服する。


 その手始めとして、波に乗ってどこからともなくやってきて、ついに実を付けた。どういう仕組みでそうなっているのか、わたしにもわからない。たぶん、そういうことになっているんだろう。


 そのうち、この島はダクトテープに覆われるのではないか――。


 もさもさとした一面の銀色。


 その中にいるわたしもまた銀色のものに成り果てている。テープにがんじがらめにされ、ミイラのようにこの島で朽ちていく……。


 浮かんできた光景に首を振る。そんなことがありえるわけがない。


 そう思いつつも、居ても立っても居られない。動かなかったら、ダクトテープにからめとられるような気がしてきて、わたしは島を見て回ることに決めた。




 侵略は思ったよりもすばやい。


 ダクトテープを実らせているのは樹木だけではなく、それよりも小さな植物もだった。いや、実際は逆なのかも。


 島の南側。岩肌が多くあまり訪れることのないこの辺りには、木々は生えず、植物が生い茂っていた。その中にはセリ科の植物であったり、ウリ科の植物であったりもあったんだけども、その一群に混じって見慣れない――この島に来てからは見慣れるようになった――あいつが輝いていた。


 ふかふかの土から顔をのぞかせるアーチ。あるいはツルの中に埋もれるような形で転がった、タイヤほどのダクトテープ。既存の物体を乗っ取るような形で、ダクトテープはそこここに転がっている。


 見ているだけで鳥肌が立ってくるような、異様な光景だった。先ほど頭に浮かんできた妄想もあながち外れていないのかもしれない。宿主を乗っ取っていくような何かそういう力でもあるというのか。


 そしてわたしもまた――。


 プッツンと何かがきれるような音がしたのを覚えている。それから先のことはよく覚えていない。たぶん、切れたのはわたしの自制心とか理性とかそういったもので、わたしは暴れてしまったんだろう。


 我を取り戻した時には、あたりはぐしゃぐしゃのダクトテープと植物のきれっぱしと赤い果汁の滴りがなす殺人現場のようだった。




  その日の海は時化のような様相を呈しており、わたしの背丈ほどの大波が南側の崖にダクトテープをぶつけていた。太陽が柔らかな光を降り注いでいるのが、どうにもミスマッチだった。


 ぎらつく海。押し寄せる津波のようなダクトテープ。そのほとんどはしぶきとともに海へと戻っていったけれど、一部は崖上へと上がってきた。その一つ一つを蹴って落としても、ざざーんと次から次に押し寄せてくる。これではきりがない。それどころか、舞い上がった銀色のバームクーヘンのような物体は、雨あられとばかりにわたしへ降り注いできた。

 

 こぶしよりも大きな物体が結構な高さから落ちてくる。背中に痛みが走った。頭にぶつかったらたんこぶでもできそう。頭を抱えながらその場を離れて、遠くから崖の様子を観察することにする。


 嵐でも来るのだろうか。それにしても天気はバカみたいに穏やか。怒っているのは、海とその上を漂っているダクトテープくらいのもの。南国みたいな底抜けに明るい雰囲気がどこまでもどこまでも広がっている。


 だけども。


 スカイブルーを銀色が塗りつぶそうとしている。おだやかな空気を、硬質なものが覆っていくのを肌で感じる。


 それがたまらなく嫌で、わたしはその場へへたり込んでしまった。


 ダクトテープはわたしへとその銀のテープで絡みついてこようとしている。太陽はこんななさけないわたしに対しても慈愛に満ちた日の光をさんさんと注いでくれている。外界からは何もやってこない。でも、ときおり視線は感じる。わたしの行く末を憂うようなそんな視線。


 ――放っておいてほしい。


 呟いた言葉に返事はない。相も変らぬ波の音が聞こえる。ダクトテープは、バカの一つ覚えみたいに同じことを繰り返している。自然現象だから当たり前のような気がするし、ダクトテープが浮かんでるだなんて自然じゃないんだから、それもおかしいという気もしてくる。


 どっちにしても、わたしを取り囲む環境は転がり落ちるように悪くなっている。それは紛れもない事実だ。




「……最悪だ」


 口をついたのは、誰かに対する謝罪。その誰かはこの無人島にはいない。声に出したって相手に届きやしないのに、わたしは何度も呟いていた。


 島は不気味な静けさに包まれていた。


 海は荒れ狂って、ダクトテープは岸壁や砂浜を侵食する。だというのに、不思議と騒がしくはない。


 風はいつになく凪いでいて、島にはどんよりとした空気が漂っている。


 何より、いつだってわたしを照らしてくれていた太陽の姿がなかった。空には星一つ見えない闇が広がっていた。のっぺりとした漆黒はブラックホールを連想させた。わたしを、わたしがいるこの安寧の無人島を吸い込んでばらばらに分解しようと手ぐすねを引いているのではないか。


「最悪。ホント……」


 太陽が姿を隠してしまったのは、ほかでもないわたしの責任だった。わたしがあんなことを言わなければ――。


 衝動的に地面を殴りつけた。そうすれば、何かこの状況が変わるのではないか。


 でも、何も変わらない。


 無風状態。海は大時化。銀色の水平線から太陽が顔をのぞかせるということもない。


 ため息がこぼれた。


 どうしてあんなことを言ってしまったのか。理解できない。今まさに地面を殴りつけてしまったように、わたしはつい口走っていた。


 いつだってやさしい光で照らしてくる太陽のことが苦手だった。


 ……わたしはやさしくされるような人間では決してない。褒められたって嬉しくない。むしろ、心がぎゅっと締め付けられて、呼吸ができなくなってしまう。


 陰に生きるキノコみたいな人間に、日光はあまりにもまぶしすぎる。毒と一緒だった。


 それに、わたしは太陽と比較される月みたいなものだ。自ら光を放つ存在ではないし大きさだってずっと小さい。だというのに、月と太陽などとまるで同等のもののように並べられる。それはおかしいじゃないか。


 根本から違うものだってのに同じ事をしろ、というのは無理だ。月には光を放つだけのエネルギーはなくて、わたしもそうだ。


 バチン。


 不意に海の弾ける音がした。ダクトテープとともに崖にぶつかり、白波となってあたりに散らばっているのだろう。ざぶんざぶんという苛烈な音は幾度となく繰り返される。砕け散るとわかっているというのに、どうしてそうできるのか、わたしには理解できない。


 自分が壊れるのが怖くはないのだろうか。……わたしは怖い。でも、海とダクトテープは違うらしい。何度も何度も、ぶつかっている。そうすることでいつかは崖を侵食できると確信しているかのように。


 痛くはないのだろうか。それとも痛みを我慢しているのだろうか。わたしとは決定的なまでに違う、海と太陽とダクトテープのことを、わたしはまったく理化できない。


 そんな世界なんて、どうでもいい。わたしには生きづらい世界なんて。


 その場で大の字に寝っ転がれば、背中がチクチクとする。居心地のよかったはずの芝生は、わたしの心のようにとげとげしいものへ変わっていた。


 いつからそうなってしまったんだろう。かすかな痛みを感じながら考えてみるけれども、はっきりとしなかった。


 耳を澄ますと、聞こえなかった音が聞こえてくる。音だけではなく、ありとあらゆるものがわたしを責め立ててきているように感じられて、目をぎゅっと閉じる。


 見えていた世界が闇に包まれる。頭上の闇のように、光のない世界。


 その中に、ぼんやりとした光が浮かび上がってくる。ヒトの形をしたそれは、陽だまりのような香りと光を闇へ放出している。


 わたしに似ていて、全然違う人。子どもっぽいわたしよりもずっと大人びたその人は、いつだってわたしに笑顔を向けてくれた。


 でも。闇は、光よりもずっと強く深く濃く、塗りつぶされることはない。


 闇は脈動し、言葉という形で光に牙を立てた。


 光に亀裂が走り、そして消えた。


 わたしは闇の中に浮かんでいた。真空のように無味乾燥で、闇の中には何もない。ぽっかりとした虚無だけがそこにあった。




 浮いているのか沈んでいるのかもわからない中で、わたしは膝を抱えていた。


 先ほどのことばかりをずっと考えている。昼でもなく夜でもない黄昏時に、闇が光を切り裂いたその瞬間のこと。


 わたしが発した言葉によって傷ついたあの人の表情。


 その時に込み上げてきたのは、卑屈な達成感だった。紛れもなく、わたしはあの人を傷つけて悦んでいた。


 ざまあみろ――わたしの中のケモノが咆哮した。


 沼のような虚無に浸っている今なら、その理由がわかる。

 

 わたしはあの人に嫉妬していた。太陽のようにみんなを照らしているあの人が、太陽のように誰からも感謝され憧憬の的となっているあの人が羨ましかった。


 誰とも比較されないあの人が憎らしかった。


 わたしはあなたに比較され続けているというのに。


 ずっと、わたしはほの暗い感情を押し殺してきた。そんなことを言うのはどうかと思った。だってあの人はわたしにとって太陽のような存在には違いなかった。


 なにより、あの人はわたしにとって大切な、血を分けた存在。


 嫌いになれるわけがない。


 嫌いになりたくなんか、ない。


 わたしは閉じていた目を開く。


 無人島の様子に変化はない。太陽はどこかへ姿を隠し、海は荒れ狂っている。ダクトテープは稲光のように散っては砕けた。


 わたしは崖へと近づいていく。大波によって打ち上げられたダクトテープがしぶきを受けて魚のように飛び跳ねている。その一つを手に取ってみる。


 これは、わたしを𠮟りつけてくる人が使っているもの。銀に光るそれには、わたしの顔がよく映る。


 銀の帯にフィルムのように映像が浮かび上がっている。わたしが誰かに叱られている瞬間。その手には模試の結果が記された紙があった。C判定という文字が、銀色の世界でもよく見えて、わたしは胃が痛くなってきた。


 それこそは、わたしを縛り付けてくる鎖。でも、今ならわかる。ダクトテープは鎖なんかじゃない。


 ダクトテープは素手で切ることができるんだ。


 わたしはいつの間にか張り付いたダクトテープを一枚一枚はがしていく。そのたびに体は軽くなっていく。……周囲の環境は相変わらずだったけれども、気持ちは軽かった。


 遠くの水平線へ目を向ければ、闇と銀とが交わるラインがほのかに明るい。もじもじと東の海から上がるのをためらっているかのように、光がうごめいている。


 そこにいる存在が、わたしと顔を合わせるか悩んでいるかのように。


「ごめん」


 呟いて、大きく息を吸う。


 島を出たら、わたしを守ってくれるものはない。海は過酷で、息が続かないかもしれない。


 恐れは際限なく込み上げてきた。キリがなかった。


 わたしは恐怖を駆り立てる銀の海から目を背け、ただひたすらに走った。


 崖から身を投げ出し、柔肌のような心を巌のように厳しい海へとさらす。


 焼け付くような冷気に包まれても、波がわたしを覆おうとしても、ただひたすらに、前も向いて進む。


 銀の海の向こうの、柔らかな光が微笑みを向ける方へ。

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