第6話 恋はしない

 高校の入学式を終えて帰ってきた藍田桜子に、バラの花束が届いていた。


 数えてみれば十六本。


 十三歳の誕生日から始まって、今年で四度目、年齢の数だけ毎年一本ずつ増え続けている。


 送り主の名前もメッセージもない花束であるが、桜子はそれが誰からなのか予想がついていた。


 ――はずだったのだが、今日、それが送られてきたところでにわかに自信がなくなった。


「誰が送ってくれてるのかな……」


 桜子は自分の部屋のチェストの上に置いた花瓶の花束を眺め、見栄えがいいように整えながらつぶやいた。


「何を今さら。ヨリくんからだって言ってたじゃない」


 ベッドに腰掛けて桜子の様子を見ていた二つ年下の妹、薫子かおるこが呆れたように言う。


「そう思ってたんだけど、違うかなって。同じ学校に通うようになったんだから、今日、久しぶりに会うと思ってたんだよね。でも、結局、顔合わせることなかったから」


「まあ、中等部と高等部では校舎が違うから、そう簡単には顔合わせないんじゃない?」


「でも、会おうと思えば会えるでしょ?」


「なら、桜ちゃんの方から会いに行けばよかったじゃない」


「別にあたしの方から会いに行く理由はないし」


「幼なじみなんだから、『久しぶりー』ってあいさつしたっていいでしょ?」


「それはすれ違えば、普通にあいさつするけど、『わざわざ』はできないよ。

 それに向こうも『わざわざ』会いに来なかったってことは、あたしとのことはすでにケリがついて、過去のことになってるのかなって」


「とどのつまりは、花束を贈ってきたのは別の誰か、ということになる、と」


「そう考えたほうがつじつまが合うでしょ? 三年前に振っちゃった時点で、実は全部終わってたんだよ、きっと」




 三年前の小学校の卒業式の夜、一つ年下の幼なじみのヨリ――杜村もりむら貴頼たかよりが桜子の家を訪ねてきた。


 卒業のお祝いにバラの花束を届けに来てくれたのだ。


 そして、お礼を言う桜子の目の前で、貴頼は今にも泣きそうなくしゃくしゃの真っ赤な顔で叫んだ。


「桜ちゃん、大きくなったら、僕のお嫁さんになってください!」と。


 貴頼とは小学校は別だったが、親同士が知り合いで、低学年の頃からよく遊んでいた。


 弟のあきらとは同学年だが、貴頼は彬よりずっと小柄。

 もともとの性格もあるのか、とにかく泣き虫で何をやらせても要領が悪く、モタモタとした子だった。


 何をやるにもそつのない弟と妹に比べ、桜子にとっては世話のかかる貴頼の方がずっと弟のような気がしていたものだ。


 だから、いきなりこのように告白されたところで、桜子としてはまったくもって『異性』として意識をすることはできない。


「気持ちはうれしいけど、あたしは結婚するなら年上で背が高くて、頼りになる人がいいんだ。ごめんね」


 変な期待を持たせないためにも、はっきり断った方がいい。


 案の定、貴頼はわっと泣き出し、そのまま逃げるように帰っていってしまった。


 もう少しやさしい断り方もあったのではないかと桜子の胸はチクリと痛んだが、これ以上誠意ある断り方も見つからなかった。


 貴頼はそれっきり桜子の家に遊びに来ることはなくなり、会うこともなかった。


 ただ毎年桜子の誕生日に花束を贈ってくるのは、『気持ちは変わっていない』ということを伝えようとしていたのだと思っていた。


 ――が、どうやらそれは勝手な思い込みだったようだ。




「花束の送り主、ヨリくんじゃなくて残念?」


 薫子に声をかけられて、桜子は我に返った。


「どうして?」


「ほら、ヨリくんだって、いつまでも子供のままじゃないんだし。大きくなってカッコよくなってたら後悔したりしない? 逃した魚は大きいって」


 薫子の試すような口ぶりに、桜子は乗せられないように微笑んだ。


「もしかして、薫子は今日会ったの?」


「会ったっていうか、見たよ。ヨリくん、中等部の生徒会長だから入学式で祝辞述べてた」


「へえ、生徒会長? あのヨリが? なんか、意外だねー。カッコよくなってた?」


「カッコよくなってたら、改めて付き合うことを考える?」


「それはないよ」


 桜子が即答すると、薫子は不満げな顔で口を尖らせた。


「まだ恋するつもりないの?」


「『まだ』じゃなくて、『絶対に』だよ」


「でも、男の子、寄ってこなかった?」


「普通に敬遠された。いったい噂って、どこまで広がってるんだろうね」


 やれやれ、と桜子はため息をつく。


「桜ちゃん、あきらめちゃダメだよ。そのうち、『呪い』なんてものともせずに、桜ちゃんに恋する男の子が現れるって」


「まあ、その時になったら考えるよ。今のところ、新しい高校生活に慣れるだけでいっぱいいっぱいになりそうだから……」


 桜子は入学したばかりの青蘭学園の一日を振り返って、忘れかけた疲労感がどっと押し返してくるような気がした。




***




 青蘭学園は初等部、中等部、高等部、大学までエスカレーター式の学校。


 中学まで公立に通っていた桜子が、突然そのような私立の高校に行く予定はなく、もともとは都立高校に行こうと思っていた。


 ところが高校入試当日、桜子が試験会場の高校へ向かう途中、胸を押さえてうずくまっている老女に遭遇。


 声をかけても返事もままならない様子で、桜子はすぐに救急車を呼び、そのまま一緒に病院までついていったのだ。


 老女の命に別条はなかったのだが、家族との連絡がなかなか取れず、桜子もそのまま放置して帰るわけにもいかない。


 結局、桜子が医者にもう帰ってもいいと言われて病院を出た時には、試験開始時間は過ぎてしまっていた。


 試験をすっぽかしたのだから、当然、都立高校進学はそこで断念するしかなかった。


 あいにく都立一本に絞っていた桜子は、私立の併願をしていなかった。


 つまり、その時点で高校浪人が決定。


「まあ、人の命を助けたと思えば、一年くらいのんびりしていればいいさ。来年は受験さえすりゃ、受かるんだろ?」


 家に帰ってきた父親が慰めなのか、よくわからないお気楽なコメントをすると、母親が目を吊り上げた。


「のんびりなんて冗談じゃないわよ。せっかく一年も時間があるなら、私の仕事を手伝ってもらうわよ。桜子、私の仕事に興味あるんでしょ? 働かざる者、食うべからずよ」


「そうだね。一年、プラプラしててもしょうがないから、バイトでもしようかと思ってたんだけど。お母さんのところでやれることがあるなら、それでもいいよ」


 慈善事業で学校や児童施設を運営する母親は、常々できる限り人件費を減らして、その分を支援に充てようとしている。


 母親がその仕事を手伝ってほしいと言うのなら、桜子も望むところだ。


「そしたら、来年は僕と一緒に高校に通えるんだ。楽しみだなー」


 彬に心底うれしそうな顔をされて、桜子は複雑な気分だった。


「一緒にって言っても、あたし、青蘭には行かないし」


 彬は中等部から青蘭学園に通っている。


 お金がバカ高くかかるのを承知で、将来のために上流階級の人間とのコネクションがほしいとゴリ押ししたのだ。


「姉さんが都立に行くなら、もちろん僕もそっちに行くよ。中学三年間で青蘭は充分だし」


「彬くん、ずるーい! あたしだって、桜ちゃんと同級生になりたいのに! 桜ちゃん、もう一年浪人して、あたしと一緒に高校に行こうよ」


「薫子、冗談はやめて……」


 あまりに薫子が真面目な顔で訴えるので、桜子は笑顔が引きつってしまった。


 このいつまでも姉離れしない弟と妹をかわいいと思う一方で、この先、このままだったらどうしようという不安がある。


 二人ともよく似ていて、父親譲りのさらさらの黒髪と目じりがほんのり上がった猫目。姉の欲目を除いても整ったきれいな顔立ちをしている。


 薫子は小さい頃、髪が短かかった上、彬のお下がりをよく着ていたせいか、二人は双子に間違えられたものだ。


 そんな薫子も中学に入って制服のスカートに合わせて髪をおかっぱにしたせいか、モテるようになったらしい。


 すでに何人もの男子に告白された話を桜子は聞かされていた。


 しかし、当の本人は『男の子には全然興味がない』と、あっさり振ってしまう。


 友達もたくさんいるはずなのだが、桜子と一緒にいることを優先して、どこに行くにもくっついて歩こうとする。


 彬も毎年のバレンタインに山ほどチョコレートをもらうくらい女子に人気があるらしいが、誰かと付き合っている様子はない。


 中学に入ってから、桜子のことをそれまでの『桜ちゃん』から『姉さん』に呼び方を変えたので、てっきり誰かに恋でもしたのかと思っていた。


 が、どうも違うらしい。


 この二人が誰かに恋するには、まず姉である桜子が何とかしなければと思うのだが、それは単純な話ではない。


 結局、恋愛には程遠い世界で、兄弟仲よくやっているしかないのだ。

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