転機

 ローズが15歳を迎える年になった。

 相変わらず虐げられてボロボロのローズ。成人デビュタントの儀でも、流行遅れの古いドレスを着て行くしかなかった。また、婚約者の、ショワズール侯爵家次男ドナシアンは同じく15歳で成人デビュタントするペネロープをエスコートするようだ。

「ローズ、お前は相変わらず見窄らしいな。俺はそんなお前をエスコートなんて絶対に嫌だからな。俺はペネロープをエスコートするぞ。お前も俺以外の奴にエスコートしてもらえばどうだ? ま、お前のような見窄らしい女をエスコートしてくれる男がいたらだけどな」

 成人デビュタントの儀前、ドナシアンはそう言いローズに蔑んだ笑みを向ける。

 ブロンドの髪にタンザナイトのような紫の目で、オーバンと同じく見た目はいいのだがそれだけの男だった。

 ローズは何も言わず俯いていた。

 大公宮でおこなわれる成人デビュタントの儀。誰のエスコートもなく会場入りしたローズは、見窄らしい見た目のこともあり嘲笑の的であった。誰からもダンスに誘われず、1曲目すら壁の花となっていたローズ。その後、ローズは会場を抜け出して大公宮の庭園のガゼボのベンチに1人座っていた。

 その時、誰かがこちらに向かってくることに気が付いた。

(あのお方は……!)

 その人物を見たローズはアメジストの目を大きく見開くものの、慌てずに立ち上がりカーテシーで礼をる。それは美しく洗練された優雅な所作であった。

「とても美しいカーテシーだね。楽にしてくれて構わないよ」

 頭上から、上品で心地のいい男性の声が降ってくる。ローズはその言葉を聞き、ゆっくりと頭を上げた。その所作も優雅で美しかった。

咫尺しせきの栄誉賜り光栄でございます、アルベール大公子殿下。ラ・トレモイユ侯爵家長女、ローズ・セレスティーヌ・ド・ラ・トレモイユでございます」

 ローズは落ち着いてそう挨拶をした。

 ローズに声をかけたのは、ユブルームグレックス大公国の第1大公子、アルベール・テオドール・オーギュスト・ド・ユブルームグレックス。年齢はローズと同じ15歳。艶やかな黒褐色の髪にヘーゼルの目の、中性的で甘めな顔立ちだ。

 アルベールはローズを見て黙り込んでいる。何かを考え込んでいる様子だ。

「……殿下、どうかなさいました?」

 ローズはほんの少し不安そうに首を傾げる。

「……いや……その……上手い言葉が見つからなくて。……正直に言うよ。失礼は承知だけれど、ローズ嬢、君はその……見た目は……不健康で野暮ったいのに、所作は洗練されていて美しい。それに、ラ・トレモイユ侯爵家の令嬢である者が、何故なぜそのような見た目なのか、何か理由があるのではないかと気になってね」

 アルベールは真っ直ぐローズを見ている。ローズはその言葉にアメジストの目を見開いて少し黙り込む。

「ローズ嬢? ……もしかして気に障ってしまったかな?」

 少し不安気なアルベール。だがローズはそれをやんわりと否定する。

「実は……」

 そしてローズはゆっくりと自身の身の上を話し始めた。女侯爵であった母セレスティーヌが亡くなって以降、父オーバン、義母デジレ、義妹ペネロープから虐げられながら生活していることを。オーバンから仕事を押し付けられて睡眠時間が少なかったり、デジレから難癖つけられてぶたれたり食事を抜かれたりすること。ペネロープからドレスやアクセサリーを奪われ続けていること。そして所作やマナーはセレスティーヌが亡くなる前にきっちり学んでいたこと。全てをアルベールに話した。

「ローズ嬢の今の家族はなんで酷いんだ……!」

 話を聞いたアルベールは険しい表情で、拳を強く握り締めていた。

「ローズ嬢、何か僕に出来ることがあれば遠慮なく言って欲しい。とても放っておけることではないからね」

 アルベールのヘーゼルの目は、強く真っ直ぐローズを見つめている。

「アルベール殿下……。ありがとうございます。わたくしの代わりに殿下がそのように怒っていただけるだけで心が救われました」

 ローズは儚げに微笑む。

「いや、だけどこのままではローズ嬢が死んでしまうかもしれない。この国の大公子としてもそうだけど、僕個人としても放っておけない」

「殿下にそう仰っていただけて、大変光栄でございます。でしたら……畏れ多いことではございますが、時々こうして、手紙でも構いませんのでお話を聞いていただけるだけで、わたくし十分じゅうぶんでございます」

 ローズの笑みは相変わらず儚げだった。

「ローズ嬢……」

 アルベールは何も言えなくなる。

「あら、アルベール。そちらのご令嬢と何をお話ししているの?」

 そこへ、別の声が聞こえた。

 するとローズは再びベンチから立ち上がり、カーテシーをする。寸分の狂いもなく、美しく洗練された優雅な所作である。

「あら……ここまで完成されたカーテシーは初めて見たわ。お顔を上げてちょうだい」

 頭上から、絹糸のような滑らかな女性の声が降ってくる。

咫尺しせきの栄誉賜り光栄でございます、エヴリーヌ大公世女たいこうせいじょ殿下。ラ・トレモイユ侯爵家長女、ローズ・セレスティーヌ・ド・ラ・トレモイユと申します」

 ローズはアルベールに挨拶をした時と同様に落ち着いていた。

「まあ、ラ・トレモイユ侯爵家のご令嬢だったのね」

 エヴリーヌは優しく目を細めた。

 エヴリーヌ・ベルナデット・グレース・ド・ユブルームグレックス。アルベールの姉でユブルームグレックス大公国の大公世女であり、次期女大公だ。艶やかな黒褐色の髪にサファイアのような青い目の凛とした美人である。

 ユブルームグレックス大公国は元々大公位や家督・爵位は男性しか継げなかった。しかし、生前退位した先代大公と先代大公妃の間には現女大公ベルナデットしか子供がいなかった。親戚筋にも大公家に養子入り可能な男児がいなかった為、ユブルームグレックス大公国ではやむを得ない場合のみ女性も大公位や家督・爵位を継げるようになった。そして女大公ベルナデットに代替わりした際に、大公位、家督・爵位は男女問わず第1子が継ぐように制度を変えた。よって、今年17歳になるエヴリーヌが大公位継承順位1位である。

「ローズ、貴女はラ・トレモイユ家でどのような生活をしていらっしゃるの? 健康状態があまりよくなさそうだわ」

 エヴリーヌは心配そうな表情である。

「それは……」

 ローズは俯きがちに、エヴリーヌにもアルベールと同じように自身の身の上を話した。

「まあ……愚かな家族を持つと本当に気の毒ね……。それに、ラ・トレモイユ侯爵家がそのような状況だと国としてもあまりよくないわね。何せ、ラ・トレモイユ侯爵領は国内唯一の希少金属の産地だもの」

 エヴリーヌは深刻な事態だと捉え、考える。

 ラ・トレモイユ侯爵領は先程もエヴリーヌが言った通り、ユブルームグレックス大公国唯一の希少金属の産地である。よって、かなりの財力があるのだ。野心ある他家にラ・トレモイユ侯爵家が乗っ取られてしまうと国を揺るがしかねない危険因子になりうる。

「……しかし、大公世女殿下や大公子殿下のお手を煩わせるわけには」

「いいえ、ローズ。正直な話、これは貴女の範疇を超えてしまっているわ。それに、貴女が何も望まなくとも、アルベールは動き出してしまうわよ」

 エヴリーヌはアルベールを見て意味深に微笑んだ。するとアルベールはエヴリーヌから目を逸らし、ローズを見て微笑む。

「お話を聞いていただけるだけでわたくし十分じゅうぶんでございましたが……大公世女殿下と大公子殿下がそこまで仰るなら……」

 ローズは控えめに微笑んだ。

 アルベールとエヴリーヌという心強い味方が現れ、ローズは少し明るくなった。

 アルベールはよくローズに手紙をくれる。しかし、オーバン、デジレ、ペネロープに内容を見られてもいいように点と線のみのモールス信号を使用してのやり取りだ。手紙では日常の些細なことを話したり、アルベールがローズの為に自ら動いて得た情報を手紙でやり取りしていた。モールス信号に気付かないオーバン達は、それをローズへの悪戯いたずらの手紙だと思うだけであった。

 そして、ローズが16歳になる年に、アルベールはとある2つの情報を手に入れた。1つ目は、ドナシアンが公の場でローズに婚約破棄を突き付けて、新たにペネロープと婚約を結ぼうとしていること。そして2つ目は、オーバンがローズを殺害しペネロープをラ・トレモイユ侯爵家の次期当主にする計画を立てていること。

 アルベールからそのことをモールス信号の手紙で伝えられ、ローズは数少ない母の形見とアルベールからの手紙のみを持って秘密裏に大公宮の敷地内にある離宮で保護されることになった。

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