【第一稿】非の無いところに煙を立てよう

詩織(カチューシャ時々ツインテール)

四月

ep1 雪乃下

 中学一年の四月。入学式の翌日。私は頬杖をついて窓の外を眺めていた。


 雪乃下という苗字は出席番号で最後になることはほぼないが、それでも後ろから数えたほうが圧倒的に速いので、廊下側から出席番号順に並べられる学年最初の席では、確実に窓際だ。


 しかし……試験の度に移動したり、先生方もプリントを並べ直したり席を覚え直したり、私には席替えというイベントのメリットを感じられない。

 まあ、色々な人と人間関係を築くとか、クラス全体でのつながりを深めるとか、気分転換を図るだとか、そんな意図があるんだろうし、その通りに陽キャ共はギャーギャー一喜一憂する。

 が、私のような陰キャと呼ばれるような人にとっては、隣の席がだれであろうと大して会話しない。

 むしろ、馴れ馴れしく話しかけてくる陽キャは非常に迷惑だ。


 逆に、席替えをしないことによるデメリットは何だろうか。

 冷暖房の効き、授業での当てられやすさ、ロッカーとの距離……等々。席が一年間固定されると、これらに不平等が……ってその程度しか思いつかない。



 正門脇に植えられた桜はソメイヨシノではなく河津桜なのでとうに散っているが、その樹すら、四階の一年生の教室からは見えない。


 一年生に四階までの階段……

 一階から踊り場まで十三段、

 一つ上の階へ行くまでは二倍して二十六段、

 四階まで三回登るので実に百十八段、

 この首相の虚偽答弁の数と同じ段数を、毎日往復させる苦行を強いているとみるか、この中学校の誇りかどうかは知らないが素晴らしい眺めを一年生に与えたとみるか。


 結局のところ、三年間通えば何階を一年の教室にしても、階段を昇降する段数も、この景色を眺める日数も、大して変わりはしないだろう。



 キーンコーンカーンコーン……


 チャイムの音。そして、ドタドタと小走りの足音。


 ガラガラガラ……


「ふぁー、間に合った。おはよーっ!」

 チャイムの最後、「コーン」の音とほぼ同時に、教室のドアのレールを踏み越え、足が床に着いた。


「野球ならセーフ、陸上競技ならまだゴールしてないっす!」

 隣の席、といっても机と机の間は若干離れているが、短髪のスポーツ少年といった印象の生徒が呟く。呟き、というには些か声が大きいが、たぶん呟き。


 ゴッ……!


 鈍い音。

 その巨躯のせいで、額を上枠にぶつけたらしく、「痛ってぇ~……」と手で押さえながら呟いている。

 そのまま教卓の前まで進み、クラス全体を軽く見まわして、


「えーと、担任の京菜一です。一年間よろしくっ!」



「何か質問あるか~?」

 一通り京菜先生の自己紹介も終わって。


「京菜センセーって身長何メートルっすかー?」


 教室の反対側から、早速訊ねる声がする。


「えーと、明日ヶ原さん、で合ってるな?」

 京菜先生は座席表を見て確かめる。


「それは俺です」

「ごめんごめん、明日原、柘さんか」

 明日原柘。私がほぼ唯一会話する陽キャ。明るくノリが良いから、人気も高い。


 が、実は……実は?……何だっけ。思い出せない。

 頭を小突いてみる。まあ、考えが煮詰まったときとかにする、私の癖。



 明日原……


 アスハラ……


 通称パワハラ……


 廊下側二列目最前列の空席。

 確かあの席は、雉隠甘藍。

 入学式でも見かけなかった。

 何故?

 小学校のとき、彼が彼女にした所業。あんなことされたら、そうなるのも当然。むしろ登校を拒否した勇気、尊敬する。

 私も、誰も彼も、その時の担任も、傍観者で加害者。

 彼女が不登校になって、次の標的になったのは、矛先を向けられたのは……?

 ユキウサギちゃん、つまり……


 嫌な記憶が濁流のように、脳裏にフラッシュバックする。

 忘れてはいけない。でも思い出したくない。

 ごめんなさい雉隠さん。「あの時……」などと言っても、何を言っても相手のことを思っているふりをして、自分を守るための言い訳になってしまう。謝罪すらも。

 でも謝らせてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……忘れさせてください。



 ……?

「ほぼ200だぞー」

 ああ、京菜先生の身長の話だったか。


「えッ、200メートルっすか?」

「バカ言え、センチだよセンチ!」



「じゃ、今度はお前たちの方の自己紹介な。そうだな、普通に出席番号順でいいか」

 めんどくさい。幸い後ろの方だから、可もなく不可もなく……みたいな感じのことを、考えておくか。



「ぇっ……ぁっ、青薔薇、真理……ですっ!ぁの、よろしく、です……」

 名前負けしてる……トップバッターなのもあるんだろうけど、華やかな名前と真逆なおどおど具合。


「明日ヶ原葉です。なんか後ろに俺と似たような名前の奴がいますけど、次は間違えないで下さい、先生?」


「明日原柘っ!みんな、よろしく!仲良くしてくださいっ!」

 あ?「みんな、仲良くして」?どの口が言う!?

 ……っ、落ち着け、こんなところでキレたら中学校三年間台無しだ。忘れろ忘れろ忘れろ……


 ……?何故か私の方を見ている人が一人。気のせいか?



 その後も、ウケ狙って変なこと言ってスベる奴とか、ずっと読書してるやつとかもいたけど、「雪乃下仁です。よろしくお願いします」とだけ言って、特に目立つこともなく自己紹介は終わった。


 ……これ、やる必要あるのだろうか?まあ、顔と名前と声を一致させるのは必要な作業かもしれない。どうせこの後、自己紹介カードとやらを書くのだろう?

 ほら。

 京菜先生はB5サイズの画用紙をトントンそろえている。その画用紙の束を教卓に置き、右人差し指の爪を束の上で、「の」の字を書くようにくるくる回す。すると、画用紙の束が徐々にずれていく。


「ししょ……じゃなかった、母さんと同じだ……」

「センセー、それどーやってやるんすか?」


「ん?あとで教えてやるよ。大学のときの友達に教えてもらってな」


「男?女?」

 明日原の無遠慮な問いかけに、真後ろの席から「人類を男と女とウォークマンの三種類で分ける時代は、いつになったら終わるんだろう……」と呟く声が聞こえる。


「女友達だよ」

「えー?もしかして、これ、っすか~?」

「ないないないない。違うよ」


 視界の端で、自己紹介によると趣味は人間観察の黒木赤木さんが、大きな丸眼鏡をキランッ、と輝かせ、口元を年季の入ったノートで隠しながら怪しい笑みを浮かべていた。笑い声が「ふふふ腐腐……」と聞こえるのは気のせいだろう。



 係決め……か。


 五教科と保体の係は大変そうだな。

 黒板係と数学係は定員に達してるし、環境整備もなんかめんどくさそう。

 副教科の係にしようか。週に一回二回の授業の内容とか持ち物とかを確認するだけだし。


 とん、とん。


 悩んでいると、突然後ろから肩を叩かれる。

 振り向くと、大きな漆黒の瞳を持つ……確か桑祓朝顔だったっけ。なぜか「朝顔」と書いて「キキョウ」って読むらしい。


 彼が私の目をじぃー、と無言で見つめる。


 視線が、


 逸らせない。


 視界の端で黒木が、だらしなく涎を垂らしながら「これは……最高のカップリングかも……」と呟き、浦島百合郎が詩織から分厚い文庫本を借り、その黄色い背表紙で黒木の頭を殴打。「るぴるぴ~」と呟きながら倒れ、杉菜もぐさが受け止め支える。


 そういえば自己紹介のとき、詩織は詩織としか名乗ってないけど、苗字は何なんだろう。

 朝顔が微笑んで頷き、立ち去る。何だったんだろう。

 割とどうでもいい疑問が幾つも頭を過ぎる。


 係……技術・家庭係にしようか。



「えーと、次は……学年委員ぎ……」

「雪花菜くん!!」

 言い終わる前に、推薦の声。叫んだのは豆府さん。


「みつあみめがねのイインチョー……ふふふふふ……っ」

 黒木がボソッと呟く。


「各クラス二人ずつだから、もう一人必よ……」

「あたしやります!」


「じゃあ、このクラスの学年委員は雪花菜高野介さんと豆府漆子ちゃ……さんでいいな?ほかにやりたい人いるかー?」

 その訊き方で手上げる奴いないだろ。



「あとは……各種委員会か。行事とかの実行委員はその都度決めるけど、基本的に兼任できるから安心しろー。あと、委員会は全員じゃないっていうか定員あるからな。一応配っとくか」


 また爪をくるくる回して、プリントの束をずらす。

 よく見るとプリントの真ん中あたりに、その跡と思しき物が残ってるが、指先を舐めるて捲るよりはマシだろう。

 委員会同士の兼任の可否、それから定員がまとめられたA4の紙。

 早速詩織が折ってブックカバーとして文庫本に巻いている……


 定員に達せず、「誰かやりたい人いないのかー?」という京菜先生の声は無視。私は知らぬ存ぜぬで通し、黒木赤木が「風紀委員ジャッチメントですのー」とか言いながら立候補した以外には特に何事もなく……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る