聖なる夜の願い事

吹雪舞桜

とある夕食にて①

 窓から射し込む茜色の夕日と、甘い香りがする紅茶と食べかけのアップルパイ。

 そして。

『メリークリスマス。ヒロ。素敵な一日を』

 そう言って優しく笑ったあいつを、本当は言いたいことを飲み込んでその背中を見送っていたことも、今だって鮮明に覚えているんだ。




 パチパチと焚き火の薪が爆ぜる音が聞こえる。

 旅の道中、野営地にちょうどいい場所を見つけて野宿のためにキャンプの準備した一行は、焚き火を囲んで夕食をとっていた。

 本日の料理当番はリーダーの勇者ヒロと、ヒロの幼馴染みの薬師レジーナだ。

 本来ならキャンプ時の食事担当は魔法使いのアクセプタなのだが、彼女は先日、暴走する魔物との戦闘中に受け身をとるのに失敗して手首を捻った。捻ったのは利き手じゃないから料理ぐらいできると言い張る彼女をヒロと、ヒロの幼馴染みにして親友の配達員のフリィが二人で説得した結果、捻挫が治るまで食事担当は残りのメンバーが当番制でやることになったのだ。

 今晩のメニューは、以前訪れた町で買い溜めていた燻製肉を串に刺して焼くだけの串焼きステーキだ。料理ができるレジーナが下準備をして、生まれてから一度も料理をしたことがないヒロが焼くという単純明快な完全分担制である。

「これはフリィの分だな。串が少し熱いから気を付けろよ」

「うん。ありがとうヒロ」

 金髪の少年ヒロが差し出した串焼きステーキを、白髪の少年フリィが受け取った。

 そんなフリィの隣では赤髪の少女アクセプタが串焼きを一口食べて首を傾げる。

「んー。誰か七味とってくんねーか?」

 辛味調味料を要求したアクセプタの言葉を聞いて荷物袋を覗き込むのは荷物番をしている橙髪で糸目の青年グローウィンだ。

「七味だね。わかったよ、ちょっと待っててくれるかい」

 その穏やかな雰囲気と裏腹に実は生物兵器であるグローウィンはニコニコと串焼きを食べながら、アクセプタのために荷物袋の中から辛味調味料を探し始める。

「アウトリタ。七味はどこにしまってあったか覚えてるかい?」

「七味ならそっちじゃなくて、その右隣にある料理用の中だな」

「なるほど、こっちは日用品を入れておく袋だったんだね。どおりで見つからないと思ったよ」

 そんなグローウィンと荷物を挟んだ反対側に座るのは自警団の少年アウトリタで、栗色の髪の中に一房だけ濃青色のメッシュを入れている彼は水を飲みながら自分の分の串焼きステーキが焼き上がるのを待っていた。その横では一人だけ両手に串焼きステーキを持つ桃髪の少女モイが、手持ち無沙汰のアウトリタを見やる。

「トリたんの分はまだこないの?」

「ああ。まだ焼いてもらってる。先食ってていいぞ、モイ」

「わかった。いただきます」

 言うが早いかモイは無表情ながらも夢中でボリュームたっぷりの串焼きステーキにかぶりついた。

 小柄な体のどこにそんなに入るのかと言わんばかりの食べっぷりを見せるモイには目もくれず、そのすぐ隣に座る水色の髪の少女レジーナは焼き上がった一口サイズのステーキをせっせと串から抜いて小皿に載せている。

 そんな彼女の隣ではヒロが、最初から最後まで残っていてよく焼かれた串焼きステーキを焚き火の上からアウトリタに差し出した。

「はい、アウトリタ。待たせたな」

「サンキュー。悪ぃな、手間かけさせて。オレ、肉の赤い部分がどうも苦手でさ」

 アウトリタの言葉にフリィが頷く。

「わかるよ。僕もよく焼いたお肉好きなんだ」

 どうやらフリィは彼の言葉にフォローを入れたつもりだったらしいが、それを聞いたアウトリタ本人は不思議そうに首を傾げる。

「ん? でもお前さっき、真っ先に串焼きもらおうとしてたよな? だからオレ、フリィはレアが好きなんかと思ってたんだが」

「うん。赤いのも好きだよ」

 余計疑問符を浮かべたアウトリタにヒロが説明する。

「フリィの好みは極端なんだ。ほぼ生か、黒焦げになるまで焼くのが好きらしいぞ」

 味覚に限らずフリィの感性は常人では理解できないほどにぶっ飛んでいるので、一般的な感性の持ち主であるアウトリタがわからないのも無理はないだろう。何しろ、長年の親友であるヒロですら未だにフリィの感性は理解できないのだから。

 フリィは食べかけの串焼きステーキを眺めながら、ため息混じりに言う。

「ヒロは絶妙な焼き加減にするよね。僕としてはもっと焼いてほしいくらいだよ」

 本気か冗談かわかりかねるフリィの物言いにアウトリタは思わずツッコミを入れる。

「いやいや、それはさすがに止めとけって。焦げばっか食ってっと体に悪いぞ」

「焦げの苦味も美味しいのに」

「はは、好みは人それぞれだよな」

 苦笑いを零したヒロは最後に、料理当番である自分たちの分の串焼きステーキを焼き始める。それと同時にレジーナがステーキのなくなった串を焚き火に放った。作業が終わった彼女が持つ小皿には一口ステーキが山のように載っている。

「はい、お待たせ! ティアの分だよ!」

「わーい、ありがとうございます!」

 レジーナが差し出すその皿の受け取り先は、今か今かと料理を待つ緑髪の小さな魔物のティアリーで、そんな彼女の頭上ではグローウィンからアクセプタへ辛味調味料の受け渡しが行なわれている最中だった。

「あったよ、セプたん。七味唐辛子」

「おお。あんがとよ、ニイサン」

 グローウィンから辛味調味料を受け取ったアクセプタの隣で同じようにレジーナから皿を受け取ったティアリーは妖精と呼ばれる、人間よりもうんと小柄な種類の魔物である。だから、一般的な人間のレジーナの片手で収まる小皿もティアリーが持つと盛り合わせ用の大皿くらい大きく見える。

 嬉しそうなティアリーを満足げに見ていたレジーナの服をモイが軽く引っ張った。

「レジーナ、これ、すっごく美味しい」

「ふふ、よかった。モイの分はまだあるから、たくさん食べてね!」

「うん」

 すでに一本を完食したモイが食べ終わった串を焚き火に放ると同時、レジーナが少し離れたところで保温されていた串焼きステーキをモイに渡した。再び串焼きステーキの二刀流になったモイは相変わらず無表情だが、そこはかとなく満足げな様子が伝わってくる。

 その間にほんのり赤みが残りつつも固くならない程度に焼いた、二本の串焼きステーキを手にしたヒロがフリィの隣に腰を下ろした。

「はい、レジーナ。冷めないうちに食おうぜ」

「うん。ありがと、ヒロ!」

 ヒロが串焼きステーキの片方を差し出せばレジーナが笑顔で受け取る。

 図らずも二人の、いただきます、の声が揃った。

 豪快にヒロは串刺しのステーキにかぶりつく。

 中までしっかり火が通ったステーキは最初から一口サイズに切った状態で串に刺さっているうえにハーブの匂いで肉独特の嫌な臭みが消えており、食べやすいよう最大限配慮されているのがわかる。味付けは塩胡椒以外にも、ハーブを使った特製スパイスがアクセントになっているようでとても美味しい。

 独特の味に懐かしさを覚えたヒロがぽつりと呟く。

「そうか、もうすぐクリスマスなのか」

「何言ってんだ勇者、クリスマスまであと一ヶ月もあるじゃねーか」

 アクセプタの呆れ声が間髪容れずに突っ込んだ。

 驚いた顔をしたヒロに、食べ終わった後の串を焚き火に入れながらフリィが不思議そうに問いかける。

「ヒロ、どうしたの? 突然」

「ああ、悪い、勘違いしてたみたいだ。……そうか、まだ一ヶ月も先だったか」

「わかります~。旅してると、たまに日付感覚わかんなくなりますよね」

 アクセプタの隣で一口ステーキを口いっぱい食べるティアリーがフォローするように同意した。

 それを聞いたアクセプタは呆れたような苦笑いを浮かべる。

「だからって一ヶ月も勘違いするやつがあるか。気ぃ抜けてんじゃねーの」

「ヒロのことだから、魔物との激戦が終わって緊張が解けたせいで、うっかり勘違いしちゃったんじゃないかな」

 フリィがフォローなのかそうじゃないのか、よくわからないことを言った。

 妙な沈黙が流れかけたそのタイミングでレジーナが声を弾ませる。

「そっか。もうあと一ヶ月でクリスマスなんだね!」

 楽しげな笑みを浮かべたレジーナにアウトリタが呆れ顔を返す。

「レジーナはクリスマスも好きそうだな」

「もちろん! クリスマスも毎年楽しみにしてるよ!」

「ああ、俺もだ」

 ヒロは微笑ましそうに笑い返しながら、同意するように頷いた。

 今でこそ勇者なんて呼ばれて旅をしているヒロだが、旅に出る前は自分の力で歩くことすらままならないほどに病弱だった。一年のほとんどをベッドの上で過ごしていたからこそ、クリスマスという一大イベントをとても楽しみにしていた。正直なことを言えば、雪が降る時期になると毎年決まって、体に良くて栄養があって血流も良くなるというハーブの特製スパイスで味付けされたステーキが夕食に出てきた。だいたいその数日後にクリスマスがくるから、そういうものなのだとすっかり思い込んでいたのである。

 彼らの会話を聞いていたモイが首を傾げた。

「クリスマスって何?」

 その問いに答えたのは、屈託なく笑うレジーナで。

「聖女クリスティーナさまの誕生日をお祝いする日だよ。その日は家族や大切な人と一緒に美味しいご飯を食べるの」

 彼女の説明にクリスマスについて大雑把に理解したらしいモイは、不思議そうな顔から一変して期待に満ちた表情を浮かべる。

「美味しいご飯……!」

「ただの美味しいご飯じゃないんですよ、モイちゃん。ご馳走を食べるんです!」

「ご馳走!」

「しかも、いい子にしてるヤツんとこには聖女からのプレゼントが届くんだとさ」

「プレゼント!!」

 そして、続いたティアリーとアウトリタの説明に一層モイの目が、これでもかと期待に輝く。

「ワタシもご馳走食べて、プレゼントもらえる?」

「もちろんだよ! モイはとってもいい子だもん!」

 首を傾げたモイを、大袈裟に頷いたレジーナが抱きしめて頭を撫でる。されるがままのモイは変わらず無表情だが、抵抗しない辺り別に嫌ではないらしい。

 そんな二人を微笑ましそうに見ていたグローウィンが言う。

「ところで、その聖女クリスティーナというのは何者なんだい?」

 その質問にヒロは焚き火を挟んだ向かい側のアウトリタと顔を見合わせた。無言のアイコンタクトで互いに質問の答えを知らないことを確認し合う。

 記憶喪失で何も知らないモイからクリスマスについて問われた時、兵器としての生き方しか知らなかったグローウィンもこういった行事ごとには疎いだろうと想像はしていた。が、そんなことを聞かれるとは思っていなかったのである。

 ヒロが知っているクリスマスについての内容は、レジーナとティアリーとアウトリタがした説明が全てだ。聖女クリスティーナという名前ぐらいは知っていても、どんな人物なのかなど、案外世間知らずなヒロや一般教養に疎いアウトリタに答えられるはずもなく。おそらく、人間とは違う社会で生きている魔物のティアリーも聖女のことは知らないのではないだろうか。

 誰よりも先に、朗らかな笑みで堂々とフリィが答える。

「とてもすごい昔の人だよ!」

 薪が燃える音がとてもよく聞こえた。

 焚き火の向こう側ではアウトリタ、そしてグローウィンがポカンと呆気にとられたような顔をしているのが見えた。その程度の知識ならヒロもアウトリタも知っているし、誕生日が祝日になるくらいだからグローウィンも察しているだろう。どうやらフリィの知識もヒロたちと同程度だったらしい。

 沈黙が流れる中、その空気に耐えられなくなったアクセプタがため息を吐く。

「あー……確か、医療関係の偉人だよ、聖女ってのは。興味なかったから何をしたのかまでは詳しく知らねーけど、なんか歴史的偉業を成し遂げたんだとさ。その辺、薬屋なら詳しく知ってんじゃねーの?」

 アクセプタの言葉に全員がレジーナを見やった。

 七人分の視線を一身に受けた彼女は朗らかに笑う。

「もちろん知ってるよ! うーんと、そうだね。簡単に言えば、医療衛生の価値観に革命をもたらした看護界の勇者みたいな人間だよ」

「革命をもたらしたって相当すげーやつじゃねーか」

「すごいな、それは。同じ勇者として尊敬するよ」

 レジーナの説明に食いついたのはグローウィンではなく、革命という単語に反応したアクセプタと、同じく勇者という肩書きを持つヒロだった。

 そんな二人に続く形で、質問者であるグローウィンが納得した様子で頷く。

「なるほど。だから誕生日を祝われるんだね」

 その雰囲気からはまだまだ質問し足りない様子が伝わってくるが、空気を読んだのだろう、グローウィンは今はそれ以上質問をすることはなかった。

 すると、口いっぱいに頬張った一口ステーキを食べ終えたティアリーが高揚させた顔を上げて楽しそうに言う。

「あ! それなら、ヒロが世界を救ったらヒロの誕生日も祝日になるかもですね!」

「それは……、どうなんだろうな……? 祝日になるとは思えないけどな」

 だが、当のヒロ本人は首を傾げて否定した。

 勇者として世界を救うなんて途方もないことを、ヒロは成し遂げられないとは微塵も思っていないし、生涯をかけてでも成し遂げる気でいる。だが、もし世界を救ったとしたらそれはヒロ一人の力ではなく、こうして一緒に旅をする仲間たちと力を合わせた結果だろう。ただ、その先導役であるヒロだけが偉業を成し遂げたと称えられるのは何か違うのではないかと、ヒロはそう思ったのである。

 そんなヒロに続くように、フリィがぽつりと言う。

「祝日になるならヒロの誕生日じゃなくて、世界が救われた日なんじゃないかな」

 ヒロの心境を察したのか単に同じことを考えただけなのかその真意はどうであれ、それでもヒロは、親友も同じ考えだったことが単純に嬉しくて笑みを浮かべた。

「だよな! やっぱりフリィもそう思うよな。世界を救うのは俺一人じゃなくて、みんなで力を合わせてやり遂げることだからさ」

「うん。それに、世界が救われた日とヒロの誕生日が半年も違うなんてことになったら変な感じになっちゃうしね」

 彼らの微妙に噛み合わない会話に堪えきれずレジーナが笑う。

「あははっ! それじゃあお祝いしてもらうためにも、勇者ヒロが世界の常識を変えた、って世界中のみんなにちゃんとわかってもらわないとだね!」

 レジーナは楽しそうに笑いながらあっけらかんと言った。

 その言葉に呆れたようにアクセプタが肩を竦める。

「世界の常識変えること前提じゃねーか」

「そりゃそうだよ! だってヒロが目指す世界は、人間も魔物も関係なくこの世界に生きるみんなが仲良く平和に暮らせる世界だもん!」

「そーいやそーだった。アタシらは差別も戦争もない世界を目指してんだもんな」

 毒気を抜かれたようにアクセプタも笑みを浮かべた。

 顔を見合わせて笑うレジーナとアクセプタを眺めて、アウトリタがしみじみと呟く。

「改めて聞くととんでもねえこと言ってんだな、オレら。まだまだ世界じゃ人間と魔物はいがみ合ってるってのに」

 そんなアウトリタの言葉にグローウィンは静かに首を横に振る。

「そんなに難しいことじゃないと思うよ。だって、アウトリタは魔物恐怖症だけど、こうしてティアリーとも一緒に楽しく夕食を囲んでいるんだからね」

「うん。みんなで食べるご飯は美味しい」

 グローウィンとモイの言葉に目を丸くしたアウトリタは、思わずといった様子で笑みを零す。

「確かにそうだな。ティアリーとこんなに仲良くなれるなんざ、オレも旅の仲間に入れてもらった頃じゃ考えらんなかったしな」

「そうですよ~。わたし、トリたんと仲良くできて嬉しいです!」

「オレも嬉しいぜ! ただできれば、背後から突然話しかけてくんのは控えてほしいけどな」

 嬉しそうに笑うティアリーに爽やかに笑い返したアウトリタだったが、その最後に、明るい口調に似合わないほどに切実な言葉が付け足された。

 それを聞いたフリィとレジーナが悪戯っ子のように笑い声を上げる。

「トリたん、ティアリーが話しかけるといつもすっごい悲鳴あげるよね」

「怖そうな見た目の魔物と戦う時だって、そんな悲鳴あげないのにねー」

「戦う時と普段の不意打ちは違えんだよ」

「うふふ、たまには気をつけますね」

 二人の笑いにつられるように声を弾ませたティアリーが羽をパタパタさせている。

「妖精アンタ、確信犯だったのか」

 呆れ顔のアクセプタと嬉しそうな表情のグローウィンが、冗談混じりに怒るアウトリタと悪びれた様子もなく謝るティアリーを、そんな二人へ楽しそうに茶々を入れるレジーナとニコニコと相槌を打つフリィを微笑ましそうに見ている。

 そんな彼らの会話に一切口を挟まずヒロは、楽しそうに笑い合う仲間たちへ、貴重なものを見るかのように眩しそうな視線を向けていた。

「ヒロ」

 名前を呼ばれて振り向けば、食べ終わった串を焚き火に放り投げたモイがジッとヒロを見つめていた。同じように会話に加わらない彼女の、無垢ながらもその内面を見透かすような眼差しにヒロが何か言うよりも先にモイが言葉を続ける。

「ヒロが世界を救った日、どんなお祝いするのか楽しみだね」

「ああ。楽しみだな」

 そう答えてヒロは柔らかく笑った。

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