鈍く輝くもの

石島時生

会社での大野

 重苦しい朝だった。最近越してきたばかりの家で目が覚める。枕には涎の跡が付き、布団はめくれている。どうやら夜中暑くてめくったらしい。あー、朝が来てしまったと大野は思いながら、洗面所に足を運び、顔を洗い、歯を磨き、髭を剃る。しんどい毎日が始まる。会社までは徒歩、電車で40分。電車も満員だし、都心なので歩いていても人が多い。そんな人混みに紛れるのが大野は嫌いだった。今の会社で3社目で働いて4年目。慣れてはきたが、しんどいのはしんどい。

 

 家を出る。晴れているのが唯一の救いか。駅まで15分の道をとぼとぼ歩いていく。途中に新しい発見があるわけでもなく、ただひたすらに歩いていく。駅の周辺に着くと、出勤らしき人混みが現れる。大野もその一員だった。日比谷線直通東武スカイツリーラインに乗り込むと、今日も満員だった。何とかスマホをいじるスペースは確保できた。Twitter、Instagramなど各種SNSをチェックする。特に真新しい情報はなかった。いつものことだ。アッと驚くニュースなどそうはないのだ。会社の最寄駅の仲御徒町駅に到着する。この辺りは会社も多く、その流れに入って会社までの道を歩いていく。

 

 会社に着いてしまった。いやいやながら自分のデスクに向かう。チャイムが鳴り、仕事の開始を告げる。大野の仕事は本人にとって本当につまらない仕事だ。以前は人事系の仕事をしていたが、派遣社員から正社員になったのをきっかけにシステムの開発に携わる部署へ異動になった。この仕事が大野にはまったくあっておらず毎日つまらないと感じている要因なのだ。

 

 今日もクライアント向けにシステムを開発する仕事に取り掛かる。今回のクライアントは大学で、入学前の学生向けのeラーニングシステムを開発する。大野も今の仕事が嫌いながら、誇りは持っていた。どうすればわかりやすいか、どうすれば使いやすいかを念頭に置いて仕事に取り組んでいる。そんな仕事を1、2時間もしていると部長から呼び出された。

 

「大野君、ちょっといいか」

 

 大野はため息をこらえながら部長のもとに向かう。どうせ細かな指摘に決まっている。その指摘が長いこと長いこと。大野は部長にうんざりしていた。

 

「このシステムの文字の色味なんだけどね。もっと見やすい色味の方がいいと思うんだけど……」

 

 それはさんざん大野が考えて決めた色味だった。大野は内心、その色でいいだろ、本当にこの部長とは好みが合わないな。そんなことを思っていた。毎回のようにこのような指摘を受けており、これこそ仕事の妨害だよな、無駄だよなと思いながら聞いている。前は何を言われたっけ。そうだ、システムの納期についてちゃんと確認したか聞かれたんだ。何回も確認したって言っているのになんで何回も聞くんだろう。確かに納期が変わることはままあることだけども、毎回聞く必要はないよな。ほんと、こんなんで俺より高い給料もらっているのか。真面目な俺に還元してくれよ。なんでこんな会社のこんな人で偉くなれるなら俺もなれるよな。早く代替わりしてくれ。無能部長さんよ。

 

「大野君、聞いてる?」

「……あ、はい。聞いています」

 

 そこからまたお説教が再開される。お前の話なんて聞くわけないだろ。毎回こうやって現実逃避してるんだから。しかし、こいつ肌汚いし、口もくせーな。こんな醜いおっさんにはなりたくないね。俺のように清潔感を意識しろよ。俺はオーラルケアもスキンケアもしてるんだ。さらには髪のケアだってしてるんだ。お前のような人間には絶対ならねーぞ。あー、でも俺つむじのあたり薄いんだよなあ。育毛剤でも使おうかな。悲しいがハゲきるよりはマシだ。こいつは頭もハゲてるな、本当にみじめだな。こうはなりたくない。それがすべて。

 

 そこから10分ほど部長が何か言っていたが、大野は覚えていない。あー、やっと終わった。そんな感想しか浮かんでこない。部長の説教をやり切った大野は自分のデスクに戻ると仕事を再開した。

 

 仕事をまたも1、2時間もしていると後ろから声をかけられた。山本昌子さんだった。大野は野球選手の山本昌と名前が似ているので、こっそりマサと呼んでいる。

 

「大野君、うちの部署に中途社員が入るんだけど、どういう申請をしたらいい? 人事に聞いたら大野君に聞いてくれって言われて」

 

 大野はいまだに前の部署である人事部の仕事もしていた。引継ぎが完全に終わっていないのだ。会社のそんなところも大野という男をイライラさせる。しかし、大野は嫌な顔をせずマサに返事をする。

 

「そしたら、ワークフローで入社の申請をしてください。正社員だったらここのチェックを入れて……」

「ありがとうございます。そしたらそのように申請しますね」

 

 マサは笑顔で去っていく。大野はわずかな充足感を得ていた。マサはなかなかの容姿端麗で、大野のような卑屈な人間にも平等に接してくれるので大野はマサが好きだった。それが恋愛感情かどうかは、恋をしたことのない大野にはわからなかった。

 

 だが家での自慰行為の際には結構な頻度でマサが登場していた。マサが大野の至る所をなめまわし、大野はマグロ状態。大野の気分は殿様だった。キスすらも経験のない大野はどこまでも童貞だった。いっそ風俗やソープに行って経験してみようかと思ったこともあったかもしれない。しかし、大野はその考えへ至るたびに、純粋な恋愛をして経験したいと躊躇していた。いっそ経験してみれば楽なのにとは仲の良い友人には言われるし、自分でもそう思う。だがしかし、大野の安いプライドはそれを許していなかった。初めては可愛い女の子ときれいな自室でお互いをケアしながら、それが大野の理想の童貞喪失だった。しかし、30になった大野にしては陳腐で情けない妄想だった。

 

 その妄想にぴったり当てはまる女の子がマサだった。明るくて可愛いし、従順そうだ。なんでも言えば聞いてもらえる気がする。やすっちい大野の考えに束縛する相手はマサがぴったりだったのだ。だが、大野はマサとはうまく話せない。それどころか会社のあらゆる人と交友関係を築くことができていなかった。大野は自分を出すことを恐れ、必要以上にバカ丁寧に接してきた。周りの人から大野さんは固い人という印象だった。さらには服装自由にもかかわらず、ファッションがわからないことからスーツで出社しているのもその考えを助長していた。とにかく大野はお堅いアラサーの童貞男性という地位にとどまっているのが現状なのだ。そんなマサを今日はどんな妄想で犯してやろうか、そんな考えを持った大野は獣だった。今日はレイプしている妄想で抜くか、乱暴に犯したいのが今日の気分だな。今日はレイプ妄想で行こう。大野のずりネタが決まった。

 

 仕事が終わり、家に帰る大野。早速、マサで一発抜こうかと考えていると、友達の山上からLINEが入っていた。しかし、いったんLINEを無視する大野。この山上とは長い付き合いだが、嫌いだった。なにも取り柄がなく、俺に依存している哀れな人間なのだ。スマホを置くと、すぐに下半身をあらわにする。右手で陰部を握りながら、マサの後をつけ、レイプする妄想に入る。マサがやめてくださいというが大野には関係がない。そんなうろたえる姿が大野の大好物だった。一気に下半身を脱がせると、いきり立ったいちもつでマサの陰部を貫く。マサは愉悦の声を上げ、大野に服従する。その光景が大野にとって何物にも代えがたい至福の瞬間だった。マサの中で大野が果てると、マサの耳元で囁く。「また犯してやるからな」マサは涙を流しながら、走り去っていく。妄想していた大野自身も果て、ティッシュで精子を拭う。なかなかいいオナニーだったと大野は思う。大野は山上からLINEが来ていたことを思い出し、スマホを開く。

 

「今度、飲みに行かない?」

 

 大野はまたこいつかと思いながらも、「いいですよ」と返信していた。もう二十年近くの付き合いなのに敬語を使ってしまう大野。そこには大野の自分をさらけ出せないという人間性が見え隠れしていた。

 

「こいつと居てもあんまり楽しくないどころか、むかつくことも多いんだよなあ」

 

 そんな独り言を言う大野。大野は山上の名前を呼ぶことができない。タイミングを逃してしまい、いつも貴様とか、おいとしか呼べなくなっているのだ。山上もまた、大野に対し、むかつきを覚えている。しかし、両者はそんな踏み込んだ話をしないので、ずっと悪い関係が続いているのだ。

 

 この前、山上と飲んだ時も腹立つこと言ってたな、なんだっけ。そうだ、彼女作らないの、と聞かれたんだ。あいつ毎回聞いてくるけど、俺に彼女なんてできるわけないだろ。バカにしてるんだろうな、自分は彼女いたことあるから。あー、腹立つ。俺は一生彼女できないんだろうか。いや、いつか俺を好きになりくれる人ができるはずだ。それまでは自分を磨いておくしかないな。と言っても面倒だからやりたくないけどな。オタクやってるのが一番楽しい。好きなアイドルを追いかけたり、最近買ったバイクでいろいろ旅するのが一番楽しい。なんなら彼女どころか友達もいらないくらいだ。あいつなんかと飲みに行くんじゃなくて、バイクで出かけた方がましだよな、絶対。でも、友達0人になるのもな。まあ、会ってやるか。あいつも友達いないんだろうな。見下すにはちょうどいい相手だ。あいつは服が大好きだから、また何か買った自慢が始まるんだろうな。面倒だな。話すこと他にないのかよ。俺、服なんて興味ないし。興味ないこと話されても、どうでもいいんだわ。あいつから誘っておいてほとんど何も話さないんだもんな。あいつみたいな陰キャは一生這いつくばってろ。俺が踏み台にしてやるよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る