そして男は回顧する。
この世界には、本人の努力だけではどうにもならない理不尽な要素というものが存在している。
例を挙げれば枚挙にいとまがないが、俺はその最もたるを『親』だと思っている。
生まれや親だけは誰にも選ぶことは出来ない。
どれだけ俺がもっと優しい両親の下に生まれたかったと泣き言を言った所で、そもそも子には親を選択する権利すら与えられていない。
ただただ勝手に産み落とされて、親の身勝手な教育を施され、自我らしい自我が芽生えるまでは言いなりになっていることしか許されていないのだ。
今はVTuber事務所の代表なんて立場で、毎日をお気楽に、ほどほどハードに楽しませてもらっているこの俺だが、これでもかつてはかなり面倒な感じの親に色々と厳しく躾けられていた。
いや、親に躾けられていたというのは語弊があるな。
俺を躾けていたのは大抵家庭教師やら雇われの講師だかなんだかで、あの両親達本人から何かを教わったことなど、俺は一度たりともなかったのだから。
どれだけ良い成績を残しても褒めてくれない。
そんなのは取って当然だと塩対応。
仕事ばかりで滅多に子供に会いに来ない。
会っても無駄に厳しい言葉ばかり。
挙句に体罰。
良い思い出なんて一つもない。
ハッキリ言って、俺は親というものが大嫌いだった。
それでも俺は、もしも親を選んで人生をやり直せる権利を得られたとしても、きっとまた、同じ親の下に生まれることを選ぶだろう。
何故か。
決まっている。
俺が居なくなったりしたら、妹がひとりぼっちになってしまうからだ。
アイツは不器用で引っ込み思案だからな。
困ったことがあっても、他人に助けを求めるなんて器用な真似は出来ない。
誰にも相談出来ず、1人で抱え込んで泣き寝入りするのがオチだ。
だからアイツには、まだ俺が必要なんだと思う。
そして俺も、瑠璃を必要としている。
それを――分かっていたつもりだったのに。
『ごめん、おにい。薙切ナキは、FMKを卒業させてもらうから』
「は? お前、突然なに変な冗談言ってんだよ」
『冗談じゃないから、FMKを卒業する』
冗談だとしても何も面白くない発言を、瑠璃はスマホ越しに大真面目なトーンで2度も口にした。
意味が分からない。
理解が追い付かない。
疑問符しか湧いてこない。
「待て、瑠璃。もし本当に辞めるつもりだとしても、せめて理由をちゃんと聞かせろ」
『ごめん、無理』
「無理じゃねえだろ……何があったんだよ。いいから事務所に顔出せ。直接話をさせてくれ」
『無理……』
「ムリムリ言ってないで聞け。……なあ、俺に出来る事があるなら力になるから。悩みがあるなら頼ってくれよ」
『…………』
「瑠璃、頼むから」
『…………ごめん。お兄ちゃんから皆に謝っておいて』
最後にそう言い残して、瑠璃との通話は切れてしまった。
慌ててリダイヤルしても、こちらからの着信は一向に繋がる様子がない。
そしてその電話を境に、瑠璃は俺達の前から姿を消してしまった。
俺は気付けなかったのだ。
2期生オーディションや、FMKに舞い込んで来た案件の数々、そして数多のVTuber事務所が参加する大型企画『Boom Boom Big Bang』……それらの仕事に夢中になり過ぎて、最も大事なモノを疎かにして、そして傷つけてしまっていた。
あの大嫌いだった両親と、同じことを妹にしてしまっていた。
忙しかったなんて言い訳は通用しない。
それは俺が誰よりも身を持って知っている。
だからこそ俺は、ここから先の未来のために、まずは一度状況を整理し直さなくてはならない。
どうしてこんなことになってしまったのか。
何故瑠璃は、FMKを卒業するなんて言い出したのか。
言い出すだけならまだしも、どうして忽然と姿を消してしまったのか。
どこぞの直情バカのギャンブラーに殴られたせいで痛む頬を抑えながら、俺は薄暗いFMK事務所の会議室で思案に耽る。
瑠璃が居なくなった原因。
理由は定かではないが、思い返してみれば確かに予兆のようなものは幾つかあったかもしれない。
例えば、そう。
あれは2ヵ月前だったか。
2期生オーディションの告知から少し経って、そろそろ募集を始めようかという時期の話だ。
スマホのカレンダーで暦を確認しながら、俺は少し前の記憶を掘り起こす。
あの日は確か……奥入瀬さんを連れた一鶴が、事務所に乗り込んで来てギャーギャーと騒いでいたような……。
まずは手始めにその辺りから振り返ってみよう。
瑠璃がFMKを去り、それによって俺が情けなく取り乱したせいで、ここまでの積み重ねを全て台無しにしてしまった、その原因となったであろう日々の記憶を。
■
時間は2ヵ月前の……9月末頃まで遡る――。
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