兎斗乃依と琴里

 複合オフィスビルであるグリーンヘルズビルの1Fから4Fには様々な店舗と飲食店が入居している。

 その2Fにある某有名コーヒーチェーン店の店内で、密林配信所属のVtuberである楼龍兎斗乃依と、同じく密林配信に籍を置く笛鐘琴里は、顔を突き合わせて朗らかにお茶をしていた。


「いやぁ、ごめんね琴里。用事あるのに私に付き合わせちゃって。ほんとはサウナでゆっくり話したい所だったんだけど、流石にこのビルにもサウナはないからさ。また時間がある時にでも一緒にサウナ行こうね」


「ええっと……私の方はまだ時間があるから大丈夫、です。むしろ早く来過ぎちゃったくらいだったので……サウナはその……機会があれば。楼龍さんは相変わらず元気そうで安心しました」


 さりげなくサウナは遠慮されてしまったが、楼龍にとってはいつものことなので気にはしない。


「そういう琴里はまた痩せた? 大丈夫? ちゃんと食べてる? 悩みがあるなら何でも相談してよ、私達、数少ない同期なんだからさ。密林は上がアレだしフラストレーションも溜まるっしょ。言いたいことがあったら私が代わりに聞いたげるから何でも言って」


「うん……ありがとうございます」


 礼を言いつつも、琴里はやはり何も喋ってはくれない。

 ほんの1年の短い付き合いだが、琴里が徹底的に抱え込むタイプだということは楼龍もよく分かっている。

 先日も有栖原に呼ばれて事務所を訪れていたらしいことは人伝に聞いていたし、しかもどうやら例の屋上にも足を踏み入れていたらしいことも聞き及んでいる。


 そして琴里は、大して間を置かずに今日も有栖原と話をしにきたらしい。

 間違いなく何かはあるのだろうが、しかし琴里は自分から人に頼るということをしてくれない。

 壁を作って、殻に閉じ篭って、いつも全部自分一人で背負い込んで潰されそうになっている。

 同期として、友達として、楼龍は琴里のことが心配でならないのだ。


 だからといって、あまり親切心を押し付けすぎるのも琴里には逆効果だ。

 なので別の話題をなんとか模索する。

 しかし楼龍の会話のレパートリーは9割以上サウナ関連しか揃っていない。

 これはちょっと困った。


「あ、そ、そういえば楼龍さん、昨日FMKのVTuberとコラボしてましたよね」


「ん? ああ、小槌ね」


「楼龍さんはどうしてFMKの人とコラボを……?」


 琴里にしては珍しい質問だなと楼龍は思った。

 そもそも琴里が自分から話を振ってくること自体レアだったが、その内容がまさか他所の箱についてとは驚きだ。

 基本引っ込み思案な琴里は、あまり他所の箱と絡んだりしない。

 コラボも頑張ってはいるが、その実ほとんどは箱内でのコラボばかりだし、たまに他所と絡むことがあっても完全に一期一会なスタイルだ。

 それがどういう風の吹き回しなのか、FMKとのコラボには興味があるらしい。


「どうしてもこうしてもね、いつもの社長の無茶振りだよ。FMKにちょっかい掛けてこいって感じで鉄砲玉みたいな扱いされて困ったもんだ。あのお子様社長もジャングルキングも、いったい小槌の何をそんなに恐れているんだか」


「ちょっかいって……?」


「あ、やべ、口が滑った。まあ聞かなかったことにしなくてもいいけど、あまり言いふらさないでね。実はお子様社長に金廻小槌を炎上させろって言われてさ。出来るかっつのそんなこと。普通に失敗したから問題なしだよ」


 それからあることないこと、楼龍の口から大事な情報が駄々洩れのノンストップだった。

 口の軽さに関しては他の追随を許さないと自負している楼龍だったが、それでもこんなことを話して聞かせるのは同期で気を許している琴里が相手だからだ。

 有栖原からの指令と、マテラテでの小槌とツンとの配信、それとさっきの有栖原との会話内容。

 それら全部を余すことなく琴里に聞かせた楼龍は、コーヒーを一気に飲み干して喉の渇きを潤した。


 話を聞いた琴里は何か真剣に考え込むように、口元に手を当てて目線をテーブルに落としている。

 自分が所属する事務所が、他の事務所のVを燃やそうと画策しているのだ。

 確かに簡単に聞き流せるほど軽い話でもないのは確かだが、それにしても琴里の真剣みはちょっと不自然だった。


「なになに? FMKが気になる感じ? もしかして推しのVでも出来た? それだったら妬けちゃうなー、私の琴里が他のヤツに取られたりしたら流石におこだよ。まあ、琴里に限ってそんなことは――」


「いや、あの、なんていうか、その……」


「世界一分かりやすいな」


 思わず素でツッコんでしまった。

 楼龍の推測に、琴里は恥ずかしそうにモジモジと俯いている。

 どうやら本当にFMKに推しがいるらしい。

 だから小槌とコラボした楼龍に話を聞いたり、FMKが密林の標的にされていると知って考え込んだりしてしまっていたのだろう。


「え? 誰? まさか小槌とか言わないよね? おいおいアイツは止めときなって。さっきの話でもチラっと触れたけど、あの有栖原とジャングルキングでさえ一目置いて警戒しているような女だよ、小槌は。そりゃ話しやすくて気のいいヤツではあるけどさ」


「あ、私が気になってるのはその人じゃなくって、姫様……幽名姫依ってひとで」


「誰それ」


 聞いたことのないVTuberだ。

 というかそもそも楼龍は、小槌以外のFMKのVを知らなかった。


「えっとね、姫様はとっても美人で可愛くて、ザ・お嬢様って感じの空気感を纏った人で、でもでも全然私みたいな庶民にも優しい人で、ヴァイオリンの演奏も上手だし、ちょっと天然なところもあるけどそこが面白くって、しかも美人で可愛くて――」


「OKOK、落ち着いて琴里。私より長台詞になってるしループ入ってるから」


 幽名姫依の話になった途端に琴里が饒舌になった。

 そのことを楼龍が指摘してやると、琴里は恥ずかしそうに赤らめた顔をいつもの角度に俯かせる。

 得意分野になると早口になるのはいつものことだが、それでも琴里が熱くなるのは音楽の話題の時だけだと思っていた。

 それがなんと、他所の事務所のVTuberに夢中になるとは。


「ちょっと意外だなー、琴里がVTuberの話でそんなに熱くなるなんて。こう言ったらアレだけど、琴里ってVの活動にも、Vそのものにもあんまり興味がなさそうっていうか、ずっと本気になりきれてない感じがしてたからさ」


 なのに無理して我慢して、有栖原の命令で流行りのゲームやらなんやらばかりをやらされて、でもそれが琴里には悉く合っていなくて、同期なのに楼龍と琴里で差が開いてしまっていて、そのことで琴里は更に落ち込んで……。

 琴里のことをずっと何とか助けてあげたいとは思っていた。

 だけど楼龍も楼龍で自分のことで精一杯だった。

 この業界で生き残っていくために、これでも苦心していたのだ。

 決してサウナで遊んでいただけではない。神に誓って。


 サウナは本来ただの趣味だったのだが、サウナを配信に取り入れることによって楼龍は一定の成功を収めた。

 今ではVTuber界でサウナと言えば楼龍と言われるほどの地位と名誉を得た。

 サウナクイーンだ。


 サウナがあったからこそ、ここまで楼龍はVを続けてこられた。

 でも琴里にはそういうモチベーションに繋がる何かがなかったから、このままではいつかポッキリと折れてしまうのではないかと懸念していた。

 だが、


「確かに私、ついこの間まで――姫様に会うまでは、ずっと停滞してました。自分の進むべき道を見失ってた。熱がなかった。やりたいことを忘れかけてたかもしれない。でもね、思い出したの。私が本当にやりたかったことを」


「それは?」


「私の音楽でみんなを笑顔にすること」


 迷いも惑いも躊躇いすらも置き去りにして、琴里が真っ直ぐに楼龍の目を見て言う。

 その目を見てハッキリと理解した。

 自分の懸念は杞憂に終わったのだと。


「そっか……そりゃ良かった。私も琴里がやる気になってくれて嬉しいよ」


 本当なら、やる気を出させる役目は自分がなってやりたかったが、どうやらポッと出の知らない女に出番を取られてしまったようだ。

 小槌といい、幽名姫依といい、FMKに色々とプランを引っ搔き回されてる気がしなくもない。

 まあ、こんな理由で恨んでいたら有栖原なんかと同類になってしまうので、仕方ないと割り切るしかないのだけれど。


「うん、楼龍さんも心配かけてごめんね。これからは私もちゃんとするから。音楽に強いVTuberとして生まれ変わる……!」


 そうは言ってるものの、今まで後ろを向いていた気持ちが前のめりに変わっただけで、琴里の今後に対する不安材料がなくなったわけじゃないのは確かだ。

 まずはそもそも大前提として大きな壁がある。


「琴里、人前でちゃんと演奏出来る?」


「う……」


 楼龍の問いに琴里が言葉を詰まらせた。

 琴里の音楽センス、知識、演奏の腕前が人並み外れていることは楼龍も知っている。

 だけど琴里は、とあるトラウマが原因で、人前だとその実力を1%程度しか発揮出来ない。


 だから配信で生演奏や弾き語りをした時も、リスナーから『微妙』『まぁまぁ』『普通』などのパっとしない評価を受けてしまっていた。

 そのリスナーの評価を知った有栖原に『音楽はお前に向いてないからやめるのよ』なんて、何も分かってない言葉をぶつけられたせいで、更に琴里は委縮してしまっていた。


 やる気を出したのは結構だが、次はそのトラウマを乗り越えなくてはならない。

 でなければ、音楽でみんなを笑顔にするなんてことは到底成し得ないだろう。


「曲作るくらいなら出来ますよ……? というか最近は曲いっぱい作ってるし……」


「作曲だけだと打ち込みDTMの作業配信ばかりにならないかな? 作曲配信してる人はたまに見かけるけど、正直絵面が地味だしずっとそれだけで続けていくのは苦しくない? そりゃ需要はあるだろうし、良い曲を作れるって周知されれば興味ない人でも覗きに来ることもあるだろうさ。でも作業枠は作業枠、よほどトークスキルがないとやっぱ同接が上がらないと思うよ。もし音楽やりながらVTuberも両立させていきたいって考えてるなら、配信で演奏出来るようになった方が間違いなく幅が出るし、人気も上げやすいんじゃないかな」


「はい……」


 琴里がみるみる内に小さくなっていく。

 そんな萎みに萎んだ同期を見て、またやってしまったと楼龍は自分の額を強めに小突いた。

 思ったことを長文で捲し立ててしまうのは自分の悪い癖だ。

 体がもっと暖まれば口数も多少はまともになるのだが、やはりサウナスーツ程度だと火照りが足りないらしい。

 尤も、暖まれば口数は確かに少なくなるが、その代わりに言動が全てぐにゃぐにゃになってしまうのだけれども。


「だから……だから私、頑張って克服します」


 だけど琴里は折れることなく、自らの意志で立ち上がって来る。


「姫様が勇気をくれたから……いつかあの人とコラボすることがあったら、その時は胸を張って笛鐘琴里は音楽系VTuberだって自己紹介したいから」


 瞳に宿るのは熱い炎。

 何がそこまで琴里を燃えさせているのか。

 それほどまでに幽名姫依とやらが好きなのか。


「やだなぁ――本当に妬けてきちゃったかも」


「え?」


「いやいや何でもないよ気にしないで。ただの虚言、妄言、独り言。私ってまーじで口が勝手に動いちゃうから困ったもんだね。喋るのが好きだから将来は落語家になろうかとも思ってたんだけど、どこをどう間違って配信者になっちゃったんだか。まあ、あのまま実家の古旅館で燻ってるよかずっとマシだけれども。あそこにはサウナもなかったし」


「あ、そういえば楼龍さんの実家って旅館なんでしたっけ?」


 うまい具合に話を逸らせたのでそのままお喋りで場を取り繕う。

 言葉を隠すなら言葉の中だ。


「そうそう。私これでも女将の一人娘で、ゆくゆくは婿を取って夫婦で旅館を継ぐみたいな人生設計を親に勝手に組み立てられてたんだけど、あんなジジババしかいない田舎に永住するのに堪えられなくて上京してきたんだよね。で、東京でサウナ巡りして狂ってた所を有栖原にスカウトされたみたいな?」


「社長もサウナ行くんですね……」


 もっと他にツッコミどころを用意していたが、琴里的に気になったのがそこらしかった。


「あ……もうこんな時間だ。そ、そろそろ社長の所に行かないと」


 そして有栖原の存在を意識したことで、グリーンヘルズに来た本来の目的を思い出したらしく、琴里があたふたと席から立ち上がる。

 どうやら長話に付き合わせ過ぎてしまったらしい。


「ごめんごめん、また時間ある時にでもゆっくり話そうね」


「うん、ありがとうございます。社長と会う前に楼龍さんと話せて良かったです。お陰でちょっとだけ落ち着きました。社長との話が無事に終わったら、また」


「無事にって……大げさだなぁ。そういうの琴里の悪いクセだよ? ほらスナフキンも言ってるでしょ、『あんまり、おおげさに考えすぎないようにしろよ。なんでも、大きくしすぎちゃ、だめだぜ』ってさ」


「えっと……」


「ムーミン読んだことない?」


「す、すみません」


「ムーミンはいいぞ」


 最後に雑にムーミンを布教すると、琴里は苦笑いしてから一礼して店を出て行った。

 この後自分はどうしようかと一瞬だけ悩んでから、楼龍は二人分のトレイとカップを持って席を立つ。

 サウナで一汗流して、それからサウナで配信でもするくらいしかやることが思いつかなかった。


 いつかは琴里ともサウナ配信したいのだが、あの距離感だとそれはまだまだ先の話になりそうだ。

 会ってから1年も経つのに未だに敬語も取ってくれないし。

 東京に来てから一番最初に出来た友達を、どうやってサウナに連れ込もうか考えながら、楼龍は楽し気な足取りでグリーンヘルズビルを後にする。


 そして楼龍は後日知ることとなった――、




 ■



 


 密林配信プロダクション。


『笛鐘琴里』契約解除のご報告。


 



 ■




  ――琴里の『無事に』という言葉が、決して大げさではなかったことに。


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