エーデルワイス

 あれからルナはすぐに目を覚まし、健康状態にも異常がなかった。それにより、ナルフェック王国中は安堵に包まれた。もちろんオルタンスもだ。

 そして時は過ぎ、オルタンスは17歳になる年の春。この年には宰相などの重要な役職の代替わりが行われた。それによりランベールは宰相、キトリーは医務卿になった。そしてキトリーとマルセルの結婚式があるなど、オルタンスにとってはこの春だけで出席するイベントがたくさんあった。

(女王陛下は重要な役職に女性を登用しているし、家督や爵位は女性も継げるようになった。だけど……私わたくしに出来ることは、結婚して家同士の繋がりを強くすることだけだわ。それに、体が弱いから子供を産めるかも分からない。……出家して修道院に行った方がいいのかしら?)

 オルタンスは少し暗い気持ちになった。

 しかし、オルタンスにも縁談が全く来ていないわけではない。ヌムール公爵家との繋がりが欲しいと思っている貴族は多いのだ。そんな中、オルタンスはある1通の縁談書が目に止まった。

(嘘!? このお方が!?)

 オルタンスは自分の目を疑った。

 ランベール・ブノワ・ド・メルクール。オルタンスがずっと想っていた相手との縁談だ。

 ランベールとの縁談はトントン拍子に進んでしまい、ついに結婚するまで至ったのだ。家同士の繋がりを重視する政略結婚ではあるが。

(ランベール様はきっとまだ女王陛下を想っていらっしゃる。だけど、それも含めてわたくしはランベール様をお慕いしているわ。愛されなくてもいいというわけではないけれど……ランベール様と結婚出来るだけでわたくしはもう満足だわ)

 オルタンスはランベールの隣で満ち足りた笑みを浮かべていた。






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 ランベールと結婚してしばらくしたある日。オルタンスは庭でエキザカムの花を愛でていた時、ランベールが帰って来たことに気づく。

「ランベール様、お帰りになられたのですね」

「ああ。ところでオルタンス、一体何をしているのだ?」

 ランベールは優しげな笑みをオルタンスに向けた。オルタンスは嬉しそうに微笑む。

「花を愛でておりましたの。エキガサムの花でございます」

「この花はエキザカムというのか。オルタンスは花の名をよく知っているのだな」

 ランベールは青紫色の小さな花をたくさん咲かせている鉢植えを見ていた。

「お姉様に植物図鑑を見せてもらったことがございましたので」

 オルタンスはふふっと笑った。

「そうか。……オルタンス、外にいては体を冷やしてしまう」

 オルタンスは肩にランベールのコートをかけられた。

「ランベール様、お気遣いありがとうございます」

 オルタンスはランベールを見る。少し物憂げだが真っ直ぐオルタンスを見つめるアメジストの目。オルタンスはランベールが自分を心配してくれた嬉しさなどが溢れ出した。

「ランベール様……わたくしは、たとえお互いの家の為の政略結婚だったとしても、ランベール様と結婚出来たことが……とても嬉しく存じます。わたくしは、幼い頃からランベール様のことをお慕いしております」

 気持ちが溢れ出した結果、オルタンスは伝えるつもりのなかった自分の想いを告げてしまった。

(何を言っているのよわたくし! ランベール様が困っているじゃない)

 オルタンスは先程の発言を少し後悔した。

「まさか……オルタンスが私のことをそう思ってくれていたとは……その、驚いた」

「ランベール様も同じようにわたくしのことを想って欲しいわけではございません。ただ、わたくしはランベール様のお側にいることが出来るだけで満足でございます。たとえ、ランベール様に想い人がいらしたとしても」

 オルタンスは切なげに微笑む。

(女王陛下を想ったままのランベール様で構わないわ。誰かを好きだという気持ちは、簡単には捨てられないもの)







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 その後、オルタンスとランベールは共に過ごす時間が長くなった。

「あら、ランベール様、お帰りなさいませ。今日はお早いのでございますね」

「ああ、ただいまオルタンス。宰相としての職務が早く終わったのでね」

 オルタンスは自分がランベールに想いを告げてしまったからランベールは気を使ってくれているのではないかと考えた。しかし、ランベールからは「そうではない」と言われた。

(それがランベール様の本心かは分からないけれど……ランベール様がこうしてわたくしとの時間を取ってくださるだけで十分だわ)

 オルタンスはランベールを見て微笑んだ。

 また、ランベールとの時間が増えただけでなく、時々花やお菓子や小物などを贈られることもあった。

 初めて贈られたのは、ピンク色のチューリップ。それはテーブルに生けていた。花弁が1枚ひらりと落ちたので、オルタンスはそれを押し花にした。そしてそれをエーデルワイスが描かれた箱に大切にしまう。オルタンスの宝箱だ。ランベールから贈り物を貰うたびに、宝箱の中身は増えていった。オルタンスは宝箱の中身を見て満ち足りた笑みを浮かべていた。

 翌年、オルタンスは娘を産んだ。出産はオルタンスの体に負担がかかるので、ランベールは親戚筋から子供を迎え入れることを提案された。しかし、オルタンスは自分で子供を産みたいと少し我儘を言ったのだ。こうして産まれたのが、ルシール・オルタンス・ド・メルクール。折角だからミドルネームにオルタンスの名を入れようとランベールが言ったのだ。

(ああ、大切なものがどんどん増えていくわね)

 オルタンスは細く弱々しい手で、ルシールの頬をそっと撫でてランベールを見つめた。

 エーデルワイスが描かれた箱には、ランベールからのプレゼントやルシールが詰んだ花を押し花にしたものなど、どんどん入れる物が増えていた。

 そして、5年の時が経過した。

 オルタンスは2人目の子供、テオドールを産んだ。しかし、産後の体調が芳しくなく、日に日に弱っていた。

(わたくしは……きっともうすぐこの世を去るのね。……これからのルシールやテオドールの成長を見られないこと、これ以上ランベール様のお側にいられないのは心残りだけれど……ランベール様と時間を共に出来、ルシールとテオドールを産むことが出来た。それだけで十分だわ)

 オルタンスは自分の運命を悟り、穏やかに微笑んだ。

「オルタンス……」

 オルタンスの細く弱々しく青白い手を、ランベールが握る。

 ほんのりスモーキーで男性的な薔薇の香りに包まれた。

「ランベール……様……」

 オルタンスはランベールを心配させまいと、声を振り絞った。

「すまない。君に無理をさせてしまって」

 悲痛な表情のランベール。どことなくラッパスイセンを彷彿とさせた。

わたくしが……望んだことでございます。もう1人……子供が欲しいと。だから……ランベール様は……ご自分を責めないでくださいませ」

 オルタンスは自身の力を振り絞り、精一杯微笑んだ。せめて、最期くらいランベールに笑顔を見せたいと思ったからだ。

「せっかくテオドールはこの世に生を受けたのです。辛いこともあるかもしれないけれど……テオドールには喜びや幸せを味合わせてあげたいのです」

「オルタンス、では君も私と一緒にテオドールに幸せと喜びを教えてあげよう。君も一緒だ。だから……」

(ランベール様……。そんな顔をするなんて、安心して天国へ行けないじゃない)

 懇願するようなランベールの表情を見て、オルタンスは困ったように微笑む。

わたくしも……そうしたいですわ。だけど……わたくしに残された時間は短いでしょう。……ルシールとテオドールには……伸び伸びと……自分らしく育って欲しいと存じます」

 オルタンスは最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。

(後……これだけはランベール様に伝えたいわ)

 オルタンスはゆっくりと深呼吸をする。

「それから……ランベール様、わたくしは貴方と結婚出来て……家族になれてとても幸せでした。ランベール様……本当に……ありがとうございました」

 オルタンスはランベールにきちんと自分の想いを伝えることが出来て、とても満足気に微笑んだ。

 こうして、オルタンスは24歳でその生涯を終えた。しかし、彼女の人生に1つも悔いはなかった。

 永遠の眠りについたオルタンスの隣には、エーデルワイスの花が優しげに咲いていた。



エーデルワイスの花言葉:大切な思い出

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