アングレカム

 ルシールが産まれた5年後。ランベールとオルタンスの間に2人目の子供が産まれた。今回は生まれたのは息子で、テオドールと名付けた。フルネームはテオドール・ランベール・ド・メルクール。ミドルネームにはランベールの名前を入れた。テオドールもルシールと同じで、黒に近い焦茶色の髪にヘーゼルの目だった。しかし、ルシールとは違い顔立ちはランベールに似ていた。

 しかし、オルタンスはテオドールを産んだ後の体調が芳しくなかった。オルタンスは日に日に衰弱していた。

「オルタンス……」

 ランベールはベッドに横たわるオルタンスの手を握る。オルタンスの手は細く弱々しく青白かった。

「ランベール……様……」

 糸よりもか細く消え入りそうな声のオルタンス。

「すまない。君に無理をさせてしまって」

 悲痛な表情のランベール。

わたくしが……望んだことでございます。もう1人……子供が欲しいと。だから……ランベール様は……ご自分を責めないでくださいませ」

 オルタンスは弱々しく微笑む。今回はルシールを出産する時よりも体調が優れていなかった。ランベールはオルタンスの体のことを考え、今回の出産を諦めるよう促した。しかしオルタンスは首を縦には振らなかった。

「せっかくテオドールはこの世に生を受けたのです。辛いこともあるかもしれないけれど……テオドールには喜びや幸せを味合わせてあげたいのです」

 オルタンスは儚げな笑みだった。しかしランベールはその表情から母親としての強さを感じ取った。

「オルタンス、では君も私と一緒にテオドールに幸せと喜びを教えてあげよう。君も一緒だ。だから……」

 ランベールはオルタンスの手を握る力が少し強くなった。懇願するような表情だ。

 オルタンスは困ったように微笑む。

わたくしも……そうしたいですわ。だけど……わたくしに残された時間は短いでしょう。……ルシールとテオドールには……伸び伸びと……自分らしく育って欲しいと存じます」

 オルタンスは弱々しいが力を振り絞って言葉を紡ぐ。

「それから……ランベール様、わたくしは貴方と結婚出来て……家族になれてとても幸せでした。ランベール様……本当に……ありがとうございました」

 儚げで美しい笑み。それがオルタンスの最期の言葉だった。

「オルタンス……オルタンス……目を覚ましてくれないか? オルタンス……」

 ランベールは動かなくなったオルタンスの手を強く握った。その目からは涙が零れ落ちた。オルタンスのふわりとした幸せそうな笑顔がランベールの脳裏に浮かんだ。それはいつもオルタンスがランベールに向ける表情だった。

「そうか……。私は……オルタンスを愛していたのか。……今になって気付くとは……」

 ランベールは嗚咽を漏らした。ふんわりと甘く可憐な、ベリーの香りがしたような気がした。






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 あれから20年以上の歳月が過ぎた。

 ランベールは王宮の敷地内にある離宮に来ていた。

 ランベールはとある女性とチェスをしている。

「驚きましたわ。メルクール家当主の座も宰相の座も退いたから、貴方はもうずっと領地に引き篭もるのかと思っておりました」

「必要とあれば私も王都には参りますよ、女大公閣下」

 ランベールはフッと笑い、黒のビショップを動かす。

であった女大公閣下はご夫婦で悠々自適に旅行をなさっていたみたいですね」

 ランベールはまたフッと笑った。

「そうですわね。わたくしは王位をガブリエルに譲り、生前退位をしてから2年。シャルル様と2人でナルフェック国内だけでなく、ネンガルド王国、ガーメニー王国、アリティー王国、ニサップ王国、アシルス帝国、それからシャルル様の祖国ユブルームグレックス大公国……少なくとも10ヵ国以上自由に回っておりましたわ。生前退位したとはいえ、わたくしもナルフェックの王族の血を引いておりますから、それなりに護衛はつきましたけれど、退位前と比べたら気楽ですわね」

 目の前の女性ーールナは品のあるミステリアスな笑みで白のルークを動かす。

 歳を重ねても神々しく風格ある雰囲気は全く変わっていない。女王として国を牽引した経験から、何事にも動じない余裕すら感じられる。

「お祖母ばあさま!」

 小さな少女がルナの元へ駆け寄って来た。

「ディアーヌ、貴女は王太女ですのよ。落ち着いて歩きなさい」

「申し訳ございません、お祖母ばあさま。気を付けます」

 ルナに注意され、ディアーヌと呼ばれた少女はゆっくりと歩く。

 ディアーヌ・ルナ・ガブリエラ・ナタリー。今年6歳になる少女だ。ルナの孫であり、王太女。つまり王位継承順位1位である。真っ直ぐ伸びた、月の光のようなプラチナブロンドの髪。アメジストのような紫の目。ルナにそっくりである。

(うむ……。祖母と孫ではなく親子と言っても過言ではない)

 2人の様子を見てランベールはそう思った。

「ディアーヌはルナ様の所に来ていましたか」

 ブロンド髪にサファイアのような青い目の男性が入って来る。シャルルだ。歳を重ねても若々しさがある。シャルルはアッシュブロンドの髪に紫の目の少年ウジェーヌと、プラチナブロンドの髪にアンバーの目の少女メラニーと一緒にいた。この2人もルナとシャルルの孫だ。

「ランベール殿もいらしてたのですね」

 相変わらず明るく若々しい笑みのシャルルだ。

「ええ。お久しぶりでございます、大公配閣下」

 ランベールは穏やかな笑みを浮かべた。ルナに恋焦がれていた気持ちも、シャルルに対しての嫉妬心もとうの昔に消えていた。

 少し談笑した際に、ランベールはルナからあることを聞かれた。

「ランベール、テオドールのことですわ。貴方はあれ程テオドールをナルフェック王家に養子入りさせることや、ユブルームグレックスの大公室に婿入りさせることを反対しておりましたのに、なぜいきなり賛成に意見を変えましたの?」

「それは……」

 ランベールの脳裏に浮かんだのはオルタンスの姿。彼女は幸せそうに微笑んでいる。

「オルタンスは、ルシールとテオドールには伸び伸びと自分らしく育って欲しいと願っておりました。だから私はテオドールの件に反対したのです。テオドールが自由に出来ないのではないかと。しかし、テオドールは自らの意思で王家養子入り、それからユブルームグレックスの大公室に婿入りすることを決めたのです。自分の意思で決めたのなら、オルタンスは反対せず背中を押すだろうと思ったからでございます」

「そう。ランベールはオルタンスのことをとても愛していたのですわね」

 ルナは微笑む。

「ええ、私はオルタンスを愛しています」

 ランベールは大きく頷いた。






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 ランベールは離宮を後にし、メルクール領のにあるオルタンスの墓に向かった。

 手にはアングレカムの花を持っている。

 ランベールはオルタンスが亡くなった後、周囲から勧められても決して後妻を迎え入れることはなかった。

「オルタンス、私は君を愛している。この気持ちに気付くのは遅かった。本当にすまない。……ルシールはとても優秀で、メルクール領の領地経営を私以上に上手くやっている。彼女の夫のフランソワくんとも上手くやっているようだ。ルシールのミドルネームに君の名前を入れたことが私にとって救いである気がする。……テオドールはもうすぐユブルームグレックス大公国のベルナデット大公世女殿下と結婚する。テオドールは自分の意思でそれを決めたんだ。……オルタンス、多分私が君の元へ行くのはまだ少し先だろう。私がそっちに行った時はまた色々と話をしよう。……オルタンス、愛している」

 ランベールはアングレカムをオルタンスの墓に供えた。

 風が吹き、ランベールはふんわりと甘く可憐な、ベリーの香りに包まれたような気がした。

(オルタンスの香りだ……)

 ランベールは優しげな表情で天を仰いだ。



アングレカムの花言葉:いつまでもあなたと一緒

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