6.10 一番特別なのはあんただ

 件の少女の目覚めはあまりにも静かで、そばにいた少年すら、彼女が目を覚ます瞬間を完全に見逃した。

 紗夜の病室にやってきた蒼一は、何をしていいやらわからず、ただ途方に暮れていた。尋ね人は行儀よくシーツにくるまり、規則正しい寝息を立てたままだ。手近に丸椅子を引っ張ってきて腰を下ろしたまではいいが、女の子の寝顔をずっと見続けているのも照れくさい。なんとも手持ち無沙汰になってしまった少年は、上京したてのおのぼりさんさながらに、キョロキョロと病室をみまわしていた。

 紗夜が体を起こしたのは、そんなさなかだった。自分のおかれている場所と状況をすぐに把握できず、視線をあちこちに彷徨わせているうちに、やがて蒼一と目が合う。


「おぉ、よかった。気がついたか?」

「蒼一、くん?」


 紗夜の顔に浮かびかけた望外の喜びは泡沫と消えた。少年の額に巻かれた包帯を認めた途端、両眼から堰を切ったように涙を溢れさせ、手のひらで顔を覆ってしまう。


「ごめんなさい、蒼一くん、ごめんなさい……!」

「いいんだ」

「わたし、わたし、そんなつもりじゃなかったの!」

「それもわかってる」


 グロリアの活躍のおかげで、二人はこうしてここにいる。関わった者は、誰一人として命に関わる怪我を負っていない。全ては終わったことだ。

 泣きじゃくる紗夜に寄り添った蒼一は、真相はひとまず伏せておきつつも、小さな背をそっとなでてなぐさめる。


「悪いのは俺の方だ」

「違う、蒼一くんは別に」

「あんたに変な誤解をさせなかったら、そもそもこうはならなかった。今更だけどちゃんといわせてもらう。俺にとって一番特別なのはあんただ。そうじゃなきゃ、毎日のように神社に来て、ろくに動かない肩で、慣れない大工仕事なんかするもんか」


 一息でいい切っても返事はない。紗夜はただ、泣き腫らした目で見つめ返してくるだけだ。

 否定も拒絶もない、と目一杯に都合よく解釈した蒼一は、慎重に、精一杯の誠意と真心を詰めて言葉を選ぶ。本心を伝えるなら、今をおいて、他にない――。


「俺は、紗夜と一緒にいたい。あのとき、神社でたまたまあったときから、たぶんそう思ってた」

「わたしも、蒼一くんと、一緒がいい」


 涙声であることは変わりないが、ようやく、紗夜から後悔と謝罪以外の言葉をきけた。

 自然と互いの手が伸ばされ、指先が触れ、絡み合う。ちょっと緊張した面持ちの蒼一と、目を赤くしながらもいつもの微笑みを取り戻した紗夜が、互いの瞳に映る。

 薄くもつややかな紗夜の唇と、緊張に心なしかかさついてみえる蒼一の口元が綻び、同じ言葉を紡ぎ出そうとしたその時。


「失礼するよ、藤乃井くん、蒼ちゃん」

「紗夜ちゃん大丈夫?」


 二人の世界に浸りきった少年少女にとって、唐突に開く病室の扉は天変地異にも似ていた。互いにおののき、飛び跳ねんばかりに距離を取るさまは落雷にでもあったかのような疾さだ。特に蒼一の慌てぶりは相当で、元の丸椅子に収まろうとして目測を完全に誤り、どこぞのコメディのようにひっくり返る。


「そ、蒼一くん!?」


 とっさに手を伸ばした紗夜の目の前で少年を助け起こしたのは、よりによってグロリアははおやだった。巫女の表情は一転してかげり、先程まで泣いていたとは信じられない力が瞳に宿る。


「最悪の事態でなくて安心した。無事で何よりだよ、藤乃井紗夜くん」

「そんな怖い顔しないで。私はね、本当のことを話しに来たの」

「今さら何を」

 

 桃香の軽い調子と、グロリアしおんが誠意をたっぷり込めた口ぶりに、紗夜は目一杯反発する。


「嫌といってもきいてもらうわ」

 

 微笑みに鋼の意思を込めて、グロリアしおんは少女の拒絶をこじ開ける。

 桃香が一歩退いたところで見ているのは、大人たち二人の間で何らかの合意が取れているからだろう。丸椅子に腰を据えた蒼一は、成り行きに任せ、まずは様子を見守ることにしたのだが、


「私は蒼くんを愛してるわ」


と、グロリアがのっけから大きめの爆弾を放り込むものだから、再び転げ落ちそうになる。


「……わたしだって、負ける気はないです」


 もう少しマイルドないい方があったはずだろと蒼一が睨みつけても、消えかけた火に油を注ぐ気かと桃香が気色ばんでも、言った当人は暖簾に腕押し糠に釘といった風情で、まるで気に留めていない。

 喧嘩を売られる形になった紗夜は、強く真っ直ぐな愛情表現にたじろいだものの、すぐに自分を取り戻す。眉こそ美人が台無しにならない程度に吊り上がるだけだが、唇は真一文字に引き結ばれていた。そっちがその気ならこっちも、といわんばかりだ。

 そんな鋭い気配を、グロリアは柔らかく受け止める。


「安心して。あなたの思っている意味とは違うわ。蒼くんと付き合うとか、そういう話がしたいんじゃないの。そもそもそうはなれないもの」

「だったらどういう関係なんです?」

「ちゃんと証拠もあるのよ」


 不信に凝り固まった紗夜を、話し合い以外の手段で納得させるために、グロリアは小さく指を鳴らす。


 変化する瞬間は、少年少女がどれほど目を凝らしても捉えられなかった。

 もともと豊かだったグロリアの胸がより一層存在を主張すると同時に、背も手足も蒼一と同等まで伸び、診察衣の袖にも裾にも余裕がなくなる。魔法少女の象徴たる白銀の髪は、長さこそそのままだが、艶めいた濃紫を帯びた黒へと早変わり。そのくせ、顔立ちだけがちょっと大人びた程度にとどまるものだから、紗夜の混乱はいたずらに深まってゆく。


「えっと、あの、え……? グロリアさん、でしたよね……?」

「ええ。まあ、それは世を忍ぶ仮の名前なのだけど」


 ちょっとした悪戯いたずらでもするような気安さで、魔法少女は大人しおん少女グロリアの姿を生きつ戻りつする。その一部始終を目の当たりにした紗夜が、時折助けを求めるように蒼一の方をみるのだが、あいにく助けにはなれそうもない。

 最終的に大人の姿に紫音は、人々を魅了しとろかしてやまない、夜会の淑女もかくやとばかりの笑みを浮かべた。


「私にもちょっと事情があって、この街を守る活動をしてるの。あなたと同じね」


 戸惑いもせぬままの紗夜は、びくり、と身を震えせると、恐る恐る尋ねる。


「いつ、気づいたんです? ……まさかお祭りのとき?」

「もっと後。ついさっきよ。だから偉そうなことはいえないわね」


 荒城が魔物化したときは、言葉をかわす余裕はもちろん、互いの姿をじっくり見定めるいとまもなかった。祭で紗夜が披露した舞は、巫女らしくないという点で印象に残れども、魔物を討つ黒い姿と結びつけるには至らなかった。紫音が結論を出せたのは、巫女が魔女に堕ちた段になってようやくだから、答えも自然と控えめになる。


「さ、他にききたいことは?」


 なんでもどうぞ、とばかりに両手を広げる紫音から醸し出される包容力は、徐々に紗夜の頑なさを解きほぐしつつあるようだ。ほんの少しだけ、頬のこわばりが緩んだように思える。


「グロリアさんも、退魔の家系なんですか?」

「あなたたちの――神道のならわしで呼ぶなら、そうなるわね」


 真相をむやみにつまびらかにせずとも芯は捉えている回答に、納得させられた紗夜も成り行きを見守る桃香も小さくうなずく。ただ一人、次の質問と回答が気になって仕方ない少年だけが、檻の中の熊のように落ち着きなくそわそわしていた。


「遠慮しなくていいのよ。もっと他にききたいこと、あるでしょう?」

「……そうおっしゃるなら、お言葉に甘えます。あなた、結局蒼一くんとどういう関係なんですか?」

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