6.9 大役は蒼くんに任せましょう
蒼一が去った病室、気心知れた女同士の揃った空間。桃香がこらえきれずにクスクス笑い出したせいで、沈黙はそれほど長く続かなかった。
「あら、どうしたの?」
「いや、まさか君が、あんな冗談をいうなんて思わなかったからさ」
「やだ、私は本気よ? 蒼くんのことは信用してるけど、よそ様のお嬢さんに万が一のことがあったらいけないし」
「そのお嬢さんのこと、君はどれくらい把握してる?」
しばらくのけ者にしていたタブレット端末を手にした友人に応えるべく、真摯にこの数ヶ月を振り返ってみる紫音だが、成果は乏しい。
グロリア・O・ヴァイオレットは、あくまでも魔法少女統括機構が用意した偽りの身分。仕事が一段落したら、本国へ帰る
そんな彼女からみると、学校での紗夜は真面目で、責任感が強く成績優秀で、教師陣はもちろん同級生からも信頼される委員長。大人しく物腰穏やかだが、ただ唯々諾々と他人に従うばかりではない強さもある。友人関係はやや希薄、深い付き合いの間柄となると候補が一気に絞られ、蒼一は数少ない例外――といったところか。
「……たぶん、あなたが思っている以上に、私は何も知らないわ」
返答の中身が薄くとも、桃香が紫音を咎めることはない。彼女の仕事は瘴気や魔物への対処であって、蒼一を取り巻く少年少女たちの調査ではないのだ。
「彼女、もともとはこの街の生まれなんだが、ご両親をすでに亡くされているようでね。親戚に引き取られて、
「よく調べてるのね」
「これも仕事のうちだから」
そっけなく答えた桃香のタブレット端末には、いつ調査したのか、渦中の人物――藤乃井紗夜の情報が集約されている。
「叔父、叔母、それにいとこ夫婦と暮らしてたみたいだけど、関係は良好らしい。高校への進学を機に一人暮らしを始めてからも、ご親戚が経済的な援助をしている」
「それは何よりだけれど、紗夜ちゃんはなぜ、この街にわざわざ――」
戻ってきたのかしら、といいかけた紫音の脳裏に、先程まで大立ち回りを繰り広げていた神社が頭に浮かぶ。
小綺麗に整えられてこそいたけれど、本殿にも、境内にも、宝物殿と思わしき倉にも、年月と風雨にさらされた綻びが強く残っていた。
「あの娘は神社の関係者、ってこと?」
「どうもそうらしい。父が神主、母が巫女、先祖代々あの神社を守ってきたみたいだ」
「退魔の家系、ってことかしら?」
「そこはまだ裏付けが取れてないけど、そう考えると辻褄が合っちゃうんだよね。藤乃井くんの一族は、この街で瘴気を抑え込んでたんじゃないかな?」
古くから地に根ざしていた神社が、紗夜の両親の死を機に寂れた。結果、封じられていた瘴気が徐々に漏れ出し、一連の騒動の発端となった――というのは、まだ仮説の域を出ない。
だが、魔女に堕ちたことで、紗夜が瘴気と魔物に抗する力の持ち主であることは証明済み。彼女が魔法少女統括機構と紫音に先んじて動いていたとすると、突如消えた瘴気の反応も、魔物と何かが争った禍々しい痕跡も、一通りの説明ができる。そこに出自を加えれば、藤乃井の血筋に魔法少女、あるいはそれに類する力の持ち主がいたとしても、それほど不思議ではない。
「紗夜ちゃんは、自分の生まれ育った神社を再興するために、この街に帰ってきたのね」
「両親との思い出溢れる場所ってだけじゃない。街の平穏を保つ要石だってことも、きっと聞かされてたんじゃないかな?」
「一人で剣を取って頑張ってた理由も、そこにありそうね」
夏祭りの夜、紗夜が演舞で披露した一挙手一投足が、紫苑の脳裏で蘇る。
花道を駆け、舞台を踏み抜かんばかりの力強さで繰り出された一閃は、あの場にいた全てによそ見を許さなかった。今となってみれば、小さい巫女から立ち昇る気迫は、黒ずくめの剣士が荒城に向けたものと同質だったようにも思える。一撃ですべてを終わらせる覚悟は、せめて苦しまずに済むように、という慈悲深さの裏返しかもしれない。
「普段はおとなしくて誰にでも優しいって評判だけど、なかなか強気なところもみせるじゃないか、彼女」
「優しいのはその通りでしょうけど、単にそれだけじゃないのは、たしかにそのとおりかもね」
「あの細腕で神社の再興を
だが、その巫女が瘴気に魅入られ、魔女と化したことは覆しようのない事実だ。どう落とし前をつける、と水を向けられた紫音だったが、返答に迷いはなかった。
「もちろん、万が一の対処は、私がやります」
「酷なことばかりまかせてすまない」
「でも、紗夜ちゃんが私のように、試練を克服できたなら――手伝ってもらいましょう」
「ふむ……君のリクエストに答えたいのは山々だが……」
紫音の考えは、桃香の予想どおり。だが、現場の責任者である以上、簡単に首をたてには振りづらいのも事実だ。
「君たち自身に証明してもらわなきゃいけないんだよ。魔女の誘惑は克服できるって」
桃香の期待を真正面から受けて、紫音は自らを省みる。
魔女に堕ちた彼女を救ったのは夫、そして魔法少女としての任を退いた後に生まれた蒼一だった。
神社で紗夜に説いたように、魔法少女の強さは心の強さ。その礎には大切な人の存在がある。
今の紗夜ちゃんに、そういう人はいるかしら――?
両親はすでに亡く、優しい親類も遠い。
「私は、あの子の母親にはなれない」
さりとて、実の娘でもないのに過度に干渉するというのも違う。少女の境遇と現状に思いを馳せた紫音の言葉選びは、どうしても慎重になる。
「でも、魔法少女として……先生とか、せめて先輩くらいなら、なれるんじゃないかなって思ってる。自惚れかもしれないけど」
「そっか」
紫音のささやかな、しかし熱のこもった宣言を受け、桃香はタブレット端末に指を走らせる。
魔法少女グロリアは、藤乃井紗夜にしてみれば恋敵。事態が収集しても、わだかまりはしばらく残るだろう。二人の関係は当面、師弟止まりだ。
「整理しよう。藤乃井くんに魔女化の後遺症がなければ、魔法少女としてスカウト。本人の承諾が得られた際の先導者は君。その方向で手続きを進めて構わないね?」
「お願いします」
「とはいえ、彼女は誰か、心の安らぎをもたらしてくれる人がいるのか……ああ、すまない、愚問だったな」
楽しそうに笑う友人を見て、桃香は愚問を引っ込める。
紗夜は確かに、友人たちとは広く浅い付き合いだ。不仲ではないにしても一線を引いた関係である。ただ一人の例外を除いて。
「大役は蒼くんに任せましょう」
「了解」
紗夜と一夏を過ごした少年には、互いに心を通わせられる可能性がまだ残されている。若い二人の恋心を利用するのに後ろめたさがないといったら嘘だが、誰も犠牲になることなく大団円を迎えられるなら、それに越したことはない。
「とはいえ、問題は眠り姫がいつ目覚めて、どちらの色に心を染めてるかなんだが……!」
「どうしたの?」
桃香の言葉は、音もなく滑り込んできた一通のメッセージによって制される。いい方に向かうか、悪い方に転がり落ちるかはともかく、状況は変わった。
「藤乃井くんが目覚めた。蒼ちゃんには悪いが現場に向かう。万が一があるといけないから準備を頼むよ」
「いわれるまでもないわ」
ジャージ姿できびきびと歩く桃香の後ろを、いつの間に変身したのか、診察衣の裾を持て余し気味にした薄紫色の髪の魔法少女・グロリアがついてゆく。
魔法少女と魔女の間で揺らぐ巫女のもとへ向かう二人の足取りは、見かけに似合わぬ、鍛え抜かれた兵士のような迅速さだ。
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