第5章 巫女は夏の夜に舞う

5.1 綺麗だからつい

 お盆明け、週末の昼下がり。

 夏祭りを数時間後に控えた直前の県営運動公園は、普段では考えられない慌ただしさで満ち溢れている。絶えることなく行きかう流れを成すのは、出店の準備に忙しいあんちゃんに、ステージの準備に奔走するスタッフと、ほとんどが祭を運営する側の人間たちだ。

 その人波を時に遮り、時に避けながら、無愛想な少年――花泉蒼一がく。

 日に焼けた肌、どこにでも売ってそうな青いTシャツとオリーブドラブのカーゴパンツ、小物を収めたボディバッグと、その出で立ちは祭りの下働き同然。だが、デカい図体のくせにあたりをチラチラ見回しながら歩く様子からは、場馴れしていないのがまるわかりだ。

 スマートフォン片手の彼が足をむけたのは、公園内の合宿所だ。普段は指導者の研修や選手の宿泊に使われている施設が、祭りのときはステージ出演者の控室に変わる。廊下ですれ違う連中といえば、法被にねじりはちまきといった伝統的な装いに、地元のよさこいサークル、どんな演目を繰り出すか想像し難いコスプレ集団と、百花繚乱よりは混沌といったほうが適切だ。

 その中で一際ひときわ――特に男たちの――注目を集めるのが、これでもかとばかりに攻めたサンバ衣装をまとった一団だ。きらびやかなラメが輝くビキニに秘された大小さまざまな膨らみ、高いヒールのおかげでなまめかしく揺れる魅惑の腰つきには、蒼一もさすがに抗えない。隠す気に乏しい申し訳程度の布きれで覆われた豊かな尻から、太ももとふくらはぎに至る曲線をしっかり目で追いかけているくせに、いくらなんでも見せ過ぎではと余計な心配をしてしまう。

 艶姿に目を奪われたまま先を急いだ少年だったが、それはあまりにも性急で不用意にすぎた。不幸なことに、角から飛び出した何者かとぶつかってしまう。もっとも、年不相応なガタイの蒼一が滅多なことで当たり負けなどするはずがない。現に、可愛い悲鳴とともに尻もちをついたのは相手の方だった。


「すいません、大丈夫です……か……」


 少し腰をかがめ、古式ゆかしい巫女装束に手を差し伸べた蒼一の顔が、みるみるうちに強張ってゆく。


「ええ、大したことないです……」


 固まってしまったのは、座り込んだまま少年を見上げた方も同様だった。

 互いに見知った顔どころか、夏休みに入ってからこっち、毎日のように顔を合わせていた相手だ。想定外の遭遇は、若い二人からしばし言葉を奪う。


「さ、紗夜? ごめん、ちっとよそ見しちまってて」


 引っ張り起こそうと握った紗夜の手は、想像以上に小さく、夏だというのに少し冷たい。マメとタコが積み重なった蒼一の手とは対照的で、不用意に力を込めて包んだら壊れてしまうのでは、と錯覚するくらいに繊細だ。


「わたしこそごめんなさい、場所がわからないんじゃないかって思って、迎えにいくつもりだったんだけど」


 蒼一の助けを得て立ち上がった紗夜の黒い瞳に映っているのは、戸惑いを押し隠そうとする蒼一だけではない。彼の背後で小さくなりゆく鮮烈なビキニスタイルの群れもそこにいる。


「蒼一くんも、やっぱり男の子なんだね……」

「……なんかごめん」


 巫女はすべてを見透かしたように、不敵に笑う。クラスメイトの誰も見たことがないであろう新鮮な表情を独り占めできるチャンスだが、腹の底まで読み切られた蒼一にその余裕はない。


「その件は、とりあえず一旦置いておきます」


 紗夜の可愛らしい空咳は、男の子だからどうしようもないという諦観とも、これくらいにしといてやろうと許す手心にもとれた。


「今日のわたし、どうですか? 変なとことかないですよね?」

「変も何も」


 いつもどおりといいかけて、そんなはずはない、と少年は言葉をひっこめる。

 窓から差し込む陽を浴び、目の前で両手を広げてくるりと回る巫女にあわせて、白衣しらぎぬの袖が、緋袴の裾が、二つに括られたつややかな黒髪が、軽やかに舞う。

 一拍遅れて漂う香にも惹かれて、蒼一は目がを逸らせない。サンバ軍団の艶姿なんて、とっくに意識から消えていた。


「あの、蒼一くん、そこまで熱心にみつめられると、さすがにちょっと恥ずかしいです」

「え、あ、悪い……綺麗だからつい」

「……うぅ」


 不躾ぶしつけ一歩手前の熱視線を受け、居心地悪そうにモジモジしていた紗夜は、蒼一の素直すぎる賛辞に頬を染め俯いてしまう。左右に所在なく目線をさまよわせる可憐な姿は庇護欲をくすぐってやまない。朝方に届いた「本番前に衣装を見せたい」という求めに応じたかいもあったというものだ。


 そこだけすっぽりと世界から切り離されたような、二人きりのささやかでほんのり甘い逢瀬。その終わりはいつだって唐突だ。


 陰から突如、誰かが倒れ込む音に次いで、尻尾を踏まれたドラ猫のようなうめき声が上がる。

 聞き覚えのある声に振り向く少年少女の警戒心と、二人を覗き込んでいた三対の好奇心が、見事に交錯した。


「お、お前ら……!」

「よ、よう、蒼一」


 無様に倒れ伏しながらも、器用に手を上げて答えるのは荒城だ。足元を固めていたはずの雪駄が脱げている上に、深緑色の甚平姿がジャンブし損ねたカエルを思い起こさせるせいで、普段以上に締まりがない。その後ろでは、日奈が転ぶ一歩手前まで体を傾がせながらもどうにか持ちこたえている。


「押すなっつったよな……!」

「アンタが勝手にコケたんじゃん!」


 荒城の申し立てに抗議する日奈だったが、グロリアに支えられていなければ荒城を下敷きにしていたと確信させるくらいに危ういバランスだ。ポニーテールも嘘をごまかすようによく揺れる。


「みなさん、どうしてここに……?」


 三人に問いかけつつ、紗夜はちらりと蒼一に目配せをする。非難の意図はなく、ただ純粋に知りたがっていることはわかるのが、あいにく彼も答えを持ち合わせてはいない。彼の記憶が確かならば、荒城も日奈もそれぞれ夕方まで用事があるといっていた。少なく見積もっても、あと二時間弱は時間的猶予が見込めたはずなのだ。

 もう一つの疑問は、グロリアがどうしてここにいるかだ。待ち合わせには明らかに早すぎる時間に蒼一が家を出たときも「いってらっしゃい」と送り出すだけだった。どこに行くとも誰に会うとも告げていないのに、彼女は友人たちとここにいて、コトの成り行きを楽しそうに眺めている。

 とはいえ、三人の間に何があったのか想像はつくし、きっと大した理由などない。


「そのへんフラフラしてた荒城が俺のこと見っけて、二人に教えたらすっ飛んできたとか、どうせそんなトコだろ?」

「さっすが蒼一ちゃん、わかってるー」

「うるせぇ蹴っ飛ばすぞ」


 日奈とグロリアに引っ張り起こされた荒城は、調子に乗って軽口を叩き、蒼一に睨まれる。もっとも、怖い怖いというのは言葉ばかりで、恐れや反省の色は一切ない。


「ただな、勘違いしてもらっちゃ困んのよ。俺はただ知らせただけ。後をつけようっていい出したのはお嬢さんがただぜ」

「アタシはやめとこう、って提案したよ、一応?」

「私は気になるなぁ、っていっただけなのにね」


 三者三様の答えだが、歯切れの悪さだけは共通しており、互いに薄っすらと責任をなすりつけているのは明らかだ。いずれにしても悪意らしい悪意はないから、蒼一も腕を組んでそっぽを向くばかりだし、紗夜もただ曖昧に微笑むことしかできない。

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