2.3 これまで以上に気をつけてくれたまえ

 青葉繁る木々の合間を薫風が縫い、開け放たれた窓を通って初夏の訪れを告げる、爽やかな土曜日。

 蒼一は自宅のリビングに留め置かれていた。

 隣に座るのは母・紫音、対面に陣取るのはその友人・桃香。ガラステーブルには例によって紅茶とケーキが並んでいる。こんな時の話題は決まって、魔法少女絡みのあれこれだ。


「これからしばらくの間、オフクロは一人で、瘴気やら魔物やらを相手にしなきゃいけない。だからオフクロが魔……法少女としてやっていくには、昔の力を取り戻す必要がある。そこまではわかった」

「ご理解が早くて助かるよ」

「日常生活から根本的に見直すってのもいいんだけど……」


 言葉に詰まった息子は、困惑を露骨に浮かべながら、隣に座る母をちらりと見やる。その気配を敏感に感じ取り、小首をかしげて微笑み返してくるのも相変わらずだ。


 問題は――今の紫音が明らかにことだ。


 薄紫色の装束ドレス姿で魔犬を【救済】したあの魔法少女ははおやと、蒼一の隣で微笑む少女グロリアは、同じ顔をしている。違うのは髪の色だけだ。歳を重ねてなお艶を失わない、濃紫を帯びた黒から一転し、光の反射の具合によって銀色とも、自身の魔力に似た薄紫にもみえる、繊細で複雑な色合いをしている。


「そもそもさ、オフクロが若くなるのって、魔法なのか?」

「ちょっと違うわね。自分の内に秘められた力を開放したら、自然と姿形が変わるんだけど」

「魔法の性能を底上げするには、より高い純度と活性の魔力が必要だ。その過程で、魔法少女の肉体は最も効率よく魔法を使う姿にんだけど」


 聞き慣れた声よりも若干高いトーンで、感覚頼みの説明をするグロリアしおんを、桃香が噛み砕いてフォローする。

 温度差に目を白黒させた蒼一は、聞き慣れない単語と馴染みのない現象を受け入れるので手一杯だ。理論を解するなどとうに諦め、こういうもの、とひたすら自分にいいきかせ続ける。


「若くなる魔法があるワケじゃねぇのは、とりあえずわかった。あのドレスも似たようなモンか?」

「魔力で編まれた戦闘服、と思ってくれたまえ。ただ華やかなだけじゃなく、ちゃんと実用面も優れてる」


 実用面ねぇ、と蒼一は首を傾げるが、それ以上藪はつつかない。

 グロリアの魔法少女装束ドレスが花嫁衣装にはんをとっているのは明らかだが、ホルターネックの宿命で背中は大胆に開き、肩から先も特に覆うものがのない。そもそも体のラインが如実に出るデザインをしている。そんな装いは魔物や瘴気に立ち向かうのに適しているかは疑問だが、特に深追いせずにおく。魔法少女には旺盛な治癒力があるし、防衛機構の一つや二つくらいがあっても不思議ではなかろう、と自分を納得させた。


「私の場合、魔法少女としてのピークは、今の蒼くんぐらいの年齢としだったの。魔力活性を高めると、ちょうどその頃の姿に戻るのね」

「ま、すごい魔法を使うために身体を全盛期の状態に戻す、ってくらいに考えておいてくれたまえよ」


 同級生にこんなやつがミドルティーンがいたらとんでもねぇことになってるぞ、と蒼一は頬を引きつらせる。

 長袖のシャツ、タイトな黒のデニムは袖裾が余るらしく、何巻きか折り返しているが、それでも蒼一に並ぶ長身。出るところと引っ込んだところのギャップは強烈なまま、世の男どもを魅了してやまないスタイルの良さも健在。ある意味理不尽な変貌を遂げている。


「私たちが子供の頃の漫画に、似たようなキャラクターがいたわね。覚えてる? ほら、普段はおばあさんなんだけど」

「あったあった。男の子たちが読んでたやつだろ? 作者の奥さんも漫画家で、元・魔法少女って噂されてたね……おっと、失敬、蒼ちゃん。話を続けよう」

「ごめんあそばせ」


 意図せぬ方向へおしゃべりがそれても、二人があまり悪びれる様子はない。息子は息子で、そういうもの、と割り切っている。


「紫音――もといグロリアにはね、これから極力、魔力活性を高めたまま過ごしてもらうことにした」

「それって、普段からこのままの姿でいるってことだよな?」


 魔力活性を高める。

 体にがかかり続ける状況を維持し、身体を慣らす。

 大人たちの腹づもりくらい、蒼一とて想像はついている。もちろん、その結果もたらされる生活の変化だって例外ではない。


「大人として出ていくべき場なら、もちろん元に戻るわ。でも支障ない限りはこの姿でいるつもりよ」

「体にヘンな影響とかないわけ?」

「あら、お母さんのこと心配してくれてるの、蒼くん?」

「そんなんじゃねぇよ!」


 強い否定は肯定の裏返しとでも思っていそうな桃香に、質も量も普段と変わらぬ笑みを浮かべるグロリア。違いといえばニヤニヤとニコニコの違いくらいのもので、いずれにしても居心地の悪さは拭えない。少年としては面白いものではないけれど、できる抗議といえば、せいぜい唇をへの字に曲げるくらいのものだ。


「蒼ちゃんの心配もわかるけど、別にぶっ倒れるほど消耗するまでやってもらうつもりはないさ。あくまでも無理のない範囲でね」

「魔犬のときみたいなことにはならないわ。大丈夫」


 魔法少女と元・魔法少女くろうとたちがそう言う以上、蒼一しろうとに口を挟む余地は残されていない。異を唱えたとて聞き入れられないだろう。彼女たちがどう動くかはいつだって、少年の預かり知らぬところで決まっている。


「そういうわけで、蒼ちゃん。グロリアを不用意にオフクロなんて呼ばないよう、これまで以上に気をつけてくれたまえ」


 至極当然とばかりの桃香の指示に、蒼一の頬はより一層引きつる。統括機構から来た小柄な麗人はつくづく優しくない。


「そんな顔したって譲らないぜ、蒼ちゃん。よく考えてごらんよ、これが高校生の息子がいる母親の顔かい? もともと子持ちとは思えない見た目だけど」

「あら桃香、本気でいってる?」

「あたしはいつだって本気さ」


 グロリアとなった今の彼女は、大人びているとはいっても息子と同世代の枠に収まる。間違っても母親だとは思うまい。

 反論を封じられた蒼一は、助けを求めるようについ隣を伺うのだが、いるのは嬉しそうに笑っているグロリアははおやだ。急に落ち着きがなくなった息子は、魔法少女と目が合いそうになるとあわててテーブルに意識を向ける始末だ。


「いずれにしても、花泉紫音とグロリアは別人、そういう体でふたりとも動いてほしい」

「慣れんのに時間かかりそうだなぁ」


 蒼一からすれば、紫音は生まれたときからずっと母親なのだ。だけでもちょっと怪しい瞬間があるのに、日常生活まで母をグロリアと呼ばなければいけないとなると、面倒この上ない。


「蒼ちゃんもそうだけど、グロリアも気をつけてくれたまえよ? 自分のことをうっかりお母さんって言ったり、その格好で家に出入りしたりしちゃだめだぜ?」

「え、あら、そうね」


 長年の友人に釘を差され、グロリアしおんがこの日初めて戸惑いの色を浮かべた。こちらも母親を務めて十五年、習慣はそうたやすく身体から抜けるものではないと理解している。


「ど、どうしたものかしらね、桃香?」

「普段から呼び慣らしておく以外ないんじゃないか? 精進するんだね」


 親子でありながら親子でない、そんな関係を二人がどう演じてゆくのか。

 一抹の不安と大いなる困惑から脱せられない親子を前にして、桃香はティーカップ片手に、愉快そうに微笑む。仕事という緊張の合間にちょっとした遊びと楽しみを見出さずにはいられない、そんな意地の悪さを隠すことなく、唇の端に乗せながら。

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