1.7 ヒロインよ、ヒ・ロ・イ・ン

 長話になる――。

 桃香のその言葉に嘘偽りはなかったが、まさか日がとっぷり沈むまでかかるとは、蒼一も予想していなかった。

 ひとしきりの説明を終えた頃には、ケーキが乗っていたはずの皿も空になり、紅茶も冷めるのを待つばかりとなっている。増えたのは蒼一のため息の頻くらいだ。こめかみを押さえたり、目頭を揉んだりと、ずいぶん前からついていけないサインが出続けていたのだが、見て見ぬ振りをされていたらしい。


「ききたいことは山ほどあるけれど、正直もうくたびれた、って顔だね蒼ちゃん」


 そこまでわかってんなら少しくらい手加減しやがれ、と少年は小さく舌打ちする。

 唯一の救いは、長話に耐えただけの見返りがちゃんとあったことだろう。理屈を抜きにしてそういうものだと飲み込む努力は必要だったが、確かな収穫はあった。


 魔法少女とは、世に発生した瘴気を【浄化】し、魔物を【救済】する存在であること。

 瘴気は闇に紛れて音もなく忍び寄り、人畜無害な存在を魔へ堕とすこと。

 紫音はこの街に現れた瘴気について調べるために、家族ともどもこの街に呼び寄せられたこと。

 実は桃香も元・魔法少女であり、現在は魔法少女統括機構なる組織の一員として、現場の指揮に関わっていること。


 ……などなど、ときに脇道に逸れはしたものの、新たな疑問が生まれる程度にはきちんと説明が尽くされた。


「なんでオフクロなんだ? 他に魔法少女がいるなら、その人に任せりゃいいじゃないか」

「才女はいつの時代も数が足りなくてね。紫音に連絡したのも、苦肉の策だったんだ」

「普段から連絡は取り合ってたけど、電話で開口一番『まさか、まだ、魔法を使えたりしないかい?』だもの。びっくりしちゃった」

「色々骨を折ってもらって感謝してるよ。この街に引っ越してくれるかきいたら即座にOKしてくれたから、急いで手続きを進めてね」


 ひとしきり話を聞いた蒼一の中で、去年のドタバタがようやく一本につながった。

 昨年の秋、突如母の転職と、それに伴う引っ越しを宣言されたこと。予定していた進学の計画を白紙にし、別の受験対策を急ピッチで進めなければならなかったこと。

 大人の事情に巻き込まれたからと今さらながらに知るが、それを嘆くには遅きに失している。


「……で、オフクロはこの街を守るヒーローになるってわけだ」

「やぁねぇ蒼くん、ヒーローじゃなくてヒロインよ、ヒ・ロ・イ・ン」


 何が悲しゅうてオフクロをヒロイン扱いせにゃならんのだ、と肩を落とす蒼一だったが、内心では心配しているのも確かだった。昨夜の活躍が記憶に新しいとはいえ、普段の紫音の立ち振る舞いを思うと、街の守護者なんて役割が務まるとは到底思えない。

 彼女とて、超えてはいけない一線を超えれば怒り、厳しく息子を躾けてきた。いたずらが度を超えていたり、人としてあるまじき振る舞いや態度をすれば容赦なく叱られた。頬を張られたことも一度や二度ではない。

 でも、普段の紫音は、それ以上に優しい。理不尽に怒りを爆発させることのない、穏やかな心根が溢れ出たような笑顔の彼女と、戦の一字を結びつけるのは難しい。紫音をよく知る息子なら、なおさらだ。


「オフクロが、また……魔物と戦うってこともあんだろ?」

「そうよ。お母さんだってやるときはやるんだから」


 女性としては長身だし、本人曰く運動神経もなかなかのものとのことだが、紫音のファイティング・ポーズはあまり様になっていない。それどころか可愛らしさが漂っているのは――親だから絶対に口にしないだけで――蒼一すら認めるところだ。


「お母さん、十年くらい魔法少女やってたのよ?」

「昔の話だろ?」

「後にも先にも、力を維持したまま引退した魔法少女は紫音くらいのもんさ。普通は魔法を使えなくなるほうが先なんだけど、彼女は自分の意志で降りた。特別な存在なんだよ」


 無事に引退した紫音は、今は妻として、母親として立派に家庭を守っている。

 桃香におだてられ、ふふん、と豊かな胸を張る得意げな紫音をみながら、蒼一はその言葉の意味を考えていた。

 

「特別じゃない人たちは、どうなったんだよ?」


 他の魔法少女は、どういう行く末を辿ったのか?

 何気ない素朴な質問ゆえ、返答にごまかしを混ぜられないと悟ったか、桃香の顔は一転して厳しくなる。


「大丈夫よ、桃香。蒼くんも話をすればちゃんとわかってくれるわ」

「……母親きみがいうなら、その意見を尊重することにするよ」


 目配せより早く出された紫音の助け舟を得てなお、桃香の言葉選びは慎重だ。


「平時にを迎えたなら、なんのことはない、魔法を使えない普通の女の子に戻るだけの話さ。あたしがそうであったようにね。でも」

「でも?」

「……そんなに難しいことじゃない。人ならざる力でもって襲いかかってくる魔物を前にしておいて、対抗する力が突然失われたらどうなるか、って話さ。想像はつくだろう?」


 蒼一の背に怖気おぞけが走る。

 魔物と敵対するというのは、命の遣り取りをするのと同義。負ければ例外なく一巻の終わりである。紫音が戻ろうとしているのはそんな世界だ。


「ごめんなさいね。でも、これはお母さんにしかできないことだから」


 私がやらねば誰がやる――。


 紫音の目に、引き結ばれた唇に、ためらいや迷いはない。もちろん、蒼一が説き伏せる余地も。

 息子の預かり知らぬところで話を受け、この地に来ると決めたときにはもう、母は覚悟を決めていたのだろう。温かく優しく朗らかであることは、心根が弱いことと同義ではない。むしろ、魔法少女として幾多もの修羅場をくぐり抜けてきた分、紫音の中に通った芯はしなやかで強かった。


「君が未成年だったとしても、ちゃんと話して、家族の承諾を取ってから進めるべきだったね。順番が前後して済まない」


 紫音が魔法少女として復帰するにあたり、少年の意志なんて本来は関係ないはずだ。それでも、紫音や桃香、その背後に控える魔法少女統括機構は、遅れたとはいえ仁義を切ろうとしている。なにもかもがお膳立てされてしまった状況で、蒼一にできることは、渋々ながらも首を縦に振ることだけだった。


「オフクロの腹が決まってんのも、どうせ俺のハナシなんてきき入れらんねぇのもわかってるけどさ」

「……ご理解が早く助かるよ」

「で、話ってそんだけ? 終わったなら部屋戻るけど」


 そこまでいった蒼一は、紫音と桃香が同じ種類の眼差しを向けていると気づいた。

 この上なくわかりやすい、期待。

 その裏の目論見がわからないほど、彼も鈍くはない。しまった、と内心で思った少年を足止めしようと、大人たちは説明を積み重ねて退路を塞ぐ。


「人手が足りないのは魔法少女だけじゃなくてね。統括機構から送るサポートの人員も足りてない。事後処理は専門のチームがいるけれど、コトの対処にあたるのは紫音で、それを支えるのはあたしだけなんだ」

「多少なりとも状況に進展があれば、バックアップ体制ももっと充実するんでしょうけど」


 一見、タイプの違う美女二人から熱視線を受ける少年の図ではある。だが、あいにく片方は母親で、残りも昔から知っている相手だ。そもそも話の内容のせいで、見つめられる当人は胸のときめきや高鳴りなど全く感じない。


「蒼ちゃん、手伝ってくれたまえ」


 もちろん、桃香は少年の内心などおもんぱかってくれようはずもない。見て見ぬ振りですませるつもりだった嫌な予感をわざわざ白昼のもとに引きずり出し、彼の眼前につきつける。


 何が悲しゅうて大切な青春を母親たちの手伝いに捧げにゃならんのだ――。

 

 言葉にせずとも、露骨に顔を歪めてため息を漏らせば、蒼一が内心で不満を抱えているのもまるわかりだ。

 魔法だの魔法少女だの、かいつまんだ説明をさっき受けたばかりでは、ズブの素人を脱しきれているかも怪しい。変な無茶振りをされても困るし、なにより面倒くささが先に立つ。

 だが、大人たちも簡単には引き下がらない。


「魔物と戦えなんてことはいわないよ?」

「当たり前だろ。そもそも何ができるってんだよ。だいたい俺だって忙しいんだぜ、勉強とかさ……」

「でももう野球はやめてるだろ? 部活をやってるわけでもなく、時間がそれなりにある。それをちょっと貸してくれっていってるのさ」

「瘴気や魔物は、黄昏時を過ぎてから活発に活動するから、魔法少女も普段は学生生活を送っているの。出動がかかるのは、夕方から夜中が普通ね」


 言い分はわかるけれど、大人たちの意図に沿って唯々いい諾々だくだくと動くのもしゃくだ――。


 少年のぼんやりした反骨心など、大人たちはお見通しだ。このままじゃ埒が明かないと、桃香は次の策を弄する。

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