傘宮家。大人五人組。



 色々心配事で悩まされる優理だが、その心配先は自宅でゆったりまったりのんびり食う寝る遊ぶ泣くをしていると気づくことは終ぞなかった。


 メイドの運転する自動車にゆらり揺られて数時間。

 傘宮優理家、実家である。


「母さん、ただいまー!」

「優理……久しぶりねー!」


 きゃっきゃうふふと、ハグしてワイワイくるくるその場で回る。優理の母はちゃんと大人な母親をしているが、基本頭ぽわっとした緩い女性なのである。優理自身も母親と居る時は色々緩くなる。


「お母さん連絡来た時嬉しくってびっくりしちゃったわ。驚いて二度寝しちゃった」

「母さん仕事ない時いつも二度寝してるじゃん。今もでしょ?」

「あら、そうだったかしら。……そうだったかも?」


 ゆるぽわマザーに優理も頬を緩める。懐かしいやり取りのようで、つい昨日したばかりのようにも思える。これが家族か、と妙な感慨に耽る童貞だ。


 そんな親子を見る二対の瞳。

 傘宮家、リビングである。玄関からくるくる躍ってリビングに移動した親子がいる一方、メイドと護衛は「御邪魔致します」「ただいま」と、片や慇懃に、片や住み慣れた家のように挨拶しながら後ろについていた。


 冷静な言動の割に、妙に顔をこわばらせている黒髪美女と繰り返し唇を湿らせている灰髪美女である。


 長めな挨拶を終え、それじゃあ、と優理は口に出す。


「母さん、今日は用があって来たんだ」

「ええ。LARNで見たわ。……大事な話があるのでしょう? 結婚かしら……」

「いやちが」

「――その通りにございます」

「そうかも……うん、そう、かも……」


 漢、優理。ぶん! と振り返り狂人二人を見つめる。

 そこには無駄に真剣な顔をした女性陣がいた。なんだこの二人は。頭がおかしいのか。そうだった……相手は変態と十歳児だった……。大人な対応を求めた優理が馬鹿だった。


「えっと、とりあえずあの二人の言うことは無視してもらっていいから」

「そ、そうなの……?」

「うん。見てくれと頭の良い変態とお子様だと思って」

「……どっちがどっちかしら」

「黒いのが変態で灰色がお子様」

「わかったわ。けど優理、人を色で判断しちゃだめよ?」

「うん」


 何やら後ろから「美しく聡明な私奴が好み……♡」「やっぱりわたしはパパの娘……むふふ」と変な笑いが二人分聞こえてきたが、たぶん気のせいだ。気のせいと思っておこう。


「先に紹介だけしておくね。別に結婚とかそういうのじゃないから。まず黒髪の美人お姉さんみたいな人、冬風実咲さん。……色々変わってる人だけど、悪い人じゃないから」

「――御紹介に預かりました。わたくし、八乃院家にて使用人をしております、冬風実咲と申します。冬の風に果実が実り花が咲く、そのような名にございます。御子息様には大変お世話になっております。御母堂様に御挨拶できて光栄に存じます」

「あ、あら。とても丁寧にありがとう……。優理が信頼しているならいいわ。優理をよろしくね、冬風さん」


 気合が入って丁寧度も凄まじい実咲が感極まっていたので、そっと他所にどけておく。優理が自然に女性の肩を掴んで押す仕草を見た母は、目を見開いて驚いた後に微かに笑った。


 一時期女性不信にまで陥っていた優理が、こんなにも変わるなんて。一人暮らしは寂しいし悲しいし不安しかなかったけれど、正解だったわね、なんて思っていた。


 親の心、子知らず、ということで優理はそのまま次の紹介に入る。


「こっちの灰色の髪の美人はソニャ。見た目大人だけど中身は十歳の女の子なんだ。今は訳あって僕と一緒にいる。訳あって僕のことパパって呼ぶけど気にしないで」

「……複雑過ぎる事情にお母さん困惑しているわ」

「わたし、ソニャ。バァバ、よろしく」

「あらあら……大きな孫ができちゃったわね。おいで。おばあちゃんがぎゅってしてあげる」

「う、うん……」

「ふふ、ぎゅー、よ?」

「――わたし、カサミヤ家の子になるよ」

「うふふ、それもいいかもしれないわねぇ」


 こちらも感極まっている。


 なんだかなぁと思いつつ、母親に色々状況を説明する。

 ざっくりまとめれば。


・アヤメという女の子と一緒に暮らし始めた。

・アヤメは世界から狙われるお姫様だった。

・優理を傷つけないために自分から離れていった。

・今も世界中からアヤメは狙われている。

・実咲とソニャは優理を守ってくれる護衛。

・優理自身は、アヤメを助けてあげたい。


 となる。


「――アヤメは……まだ三歳なんだ。三年しか生きてないんだ。……そんな女の子に全部押し付けて世界は救われましたなんて、僕は嫌だ。しかもアヤメを犠牲にしたって絶対世界が救われるわけじゃない。ただの可能性の一つでしかないのに……」


 むしろ可能性自体は低いだろう。アヤメは稀有な成功例であって、偶然の賜物でしかない。それでも数年数十年と研究を続ければ、もしかしたら未来が開けるかもしれない。そういう類の可能性だ。


「それに……え、母さんどうしたの?」

「ふぐぐ……優理、その子は守ってあげるのよ。大事、なんでしょう?」


 ぐすんぐすんと泣いていた母が、キリっとした顔で言う。


 大事、大事なのだろうか。

 親心なのか、兄心なのか。それとも他の感情由来か。わからない。わからないけれど確かなことが一つだけ。


「……そうだね。大事だよ。一緒に暮らしていきたい。そう思えるくらいに大切な子だ」


 世界の理屈とか、救うべき大義とか、そんな大仰な理由なんていらない。

 ただ一緒に居たい。それだけの話なのだ。


「ふふ、じゃあ助けてあげないとね。優理、男の子だもん。年下の女の子は守ってあげなくちゃ」

「あはは。そうだね」


 この世界でも男女比が平等だった頃は、そんな絵物語が多かった。

 母と笑い合い、ざっくりと状況の説明も終わったところで。


「……えっと、そろそろ本題の本題に入りたいんだけど」

「ええ。いいわよ」

「母さん、急に色々話したけどあんまり驚いてなかったよね?」


 後ろで直立不動な実咲と勝手にソファーでくつろいでいるソニャについてもそうだし、アヤメの話もかなりスムーズに受け入れていた。顔に驚きはない。

 想定していたどころか、事前に聞いていたと言ってもおかしくないくらいの反応だ。それもこれも。


「そろそろあの……見ないフリしなくてもいい?」

「あら、気づいてたの?」

「うん、まあ……」


 耳の横を掻き、椅子から立ち上がる。話し合いは食卓で行っていたので、立って離れてリビングと廊下を繋ぐドアまで行く。開きっ放しのドア。見え隠れしていた黒髪。慌てて身を隠そうとおろおろし、結局観念したのかその場で待っていた人影。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 挨拶は基本。


「どうしてここに?」


 気まずそうな顔をしている。なんとなく想像はできるが、まさか当人がいるとは思わなかった。


「その、えと……い、一番リスクが高い、かなって」

「仕事はいいんですか?」

「う、うん。……緊急事態、だし」

「そうですか」

「うん……」

「……」

「……」

「……リアラさん」

「う、うん」

「ありがとうございます」

「……うん」

「アヤメのこと、聞いたんですね」

「……うん」

「僕の責任です」

「ううん。私たち、だよ」

「……そう、でしょうか?」

「うん。……アヤメちゃんを一人ぼっちにした、私たちみんなのせい」

「……」

「だから、私もアヤメちゃんを助ける」

「……ありがとうございます」

「うん」

「仕事はいいんですか?」

「う、ん。……忙しいけど、後回し。全部後でも、うん。ぎりぎり? たぶん……たぶん、平気だよ」


 苦笑して、首を振る。これ以上言えないのだろう。言えないのなら仕方ない。詮索はやめよう。

 頷き、リアラを連れてリビングに戻る。


 ソニャはちらとこちらを見ただけで、特に反応しなかった。

 母は知らないわけがないので、ニコニコ笑みを浮かべている。

 実咲は訳知り顔で頷き、「リアラ様にございましたか」と呟いていた。


「実咲さん。……えと、お久しぶりです」

「ええ、久しゅうございます。リアラ様も御壮健なようで何よりにございます。近頃はお忙しいと存じておりましたが……優理様の身辺護衛、ですか」

「はい。……アヤメちゃんは、やっぱりまだ子供だから」

「左様にございますね」


 何やら賢しい二人で会話を始めてしまった。よくわからないのでソファーでごろにゃんしているソニャの下へ。


「ん、パパ。パパもわたしとごろごろ、しよ?」

「いいけど、ソファー埋まってるじゃん」

「わたしの上に来てもいいよ」

「ソニャ潰れるよ? 僕、重いし」


 体重六十あれば十二分に重いはずだ。

 ソニャは仰向けのまま口元を緩ませ、ニッコリだかニンマリだかわからない笑みを浮かべる。


「うん。わたし頑丈だから、へいき。きて?」


 うぇるかむ! と両手を大きく広げている。優理は躊躇し、けどまあいいかと頷いた。

 あまり重みを集中させず慎重に、ソファーの空いている部分に手を突いて横になる。うつ伏せ。床ドン。すぐ近くにソニャの顔がある。見ていると恥ずかしいので、顔をずらして横に落とした。クッション枕だ。


 息苦しいので姿勢を崩し、呼吸を確保する。顔が美女の髪に埋まった。


「ふぅ。落ち着いた……」

「ん……パパ、大きいね」

「そう?」

「うん」


 寝ながらハグされている。大きな胸が潰れて形を変え、優理の肉体に多幸感を与えてくる。全身ヒノキっぽい優しい香りがしてリラックスしてくる。マイナスイオンでも発しているんじゃないかと思ってしまう。


 もう当たり前に色々生理現象しているが、そういうものだと割り切った。仕方ない。男の子だもの。


「パパ、パパ」

「何かな」

「あのね。……エッチなこと、したい?」

「……今は、いいかな。ソニャは……我慢とかできるの?」

「うん。わたしは……あんまり性つよくない方だから、少しなら我慢できるよ」

「そっか。すごいね、ソニャは」

「むふふー」


 エッチだとは感じる。でも今は気分じゃなかった。

 きっと精神的に疲れているのだろう。ここまで問題なく来られたとはいえ、コトがコトだ。アヤメのことばかり考えていて疲れてしまった。


「……はぁ」

「んっ、くすぐったい、かも。……パパ」

「ごめん。ソニャは……実咲とリアラさんの話、わかる?」

「うん? うん。お話?」

「そう。抽象的で何話しているかわからなくてさ」


 頭が回らないから、というのもある。

 この穏やかな香りが眠気を誘う、というのもあるか。さらに言えば胸の感触が脳を惑わせるのもある。だめだ。やっぱ煩悩ってよくない。疲れていてもある程度思考を占拠してくる。


「……アヤメはね。考えがあまいの」

「考え?」

「うん。パパから離れたって、アヤメにとってパパが大事なのは変わらないわ。……アヤメが傍にいてもいなくても、パパを捕まえる価値はある。……だって、アヤメは捕まったパパを助けに来るから。……なのに、アヤメはそれをわかってない」

「……なるほど」

「パパも、パパの周りも。パパに言うことをきかせるためにパパの周りを捕まえる。アヤメに言うことをきかせるためにパパを捕まえる。……けっきょく、アヤメがパパを大事に思っている時点で、ひとりじゃどうにもならないのにね……」

「……」


 ソニャは「だから、リアラはバァバを守るためにここにいるし、ミサキとリアラは政府の対応についてお話してるよ」と続けた。


 あまり考えていなかったが、ソニャの言う通りだった。

 アヤメに言うことを聞かせるため、優理を利用する。その優理に言うことを聞かせるため、優理の家族や友人を利用する。敵が大きな組織で"世界のため"とか身勝手な大義を抱いているなら、それくらい容易く行う。


 リアラはそれをわかっていたから、先に優理の母を守りに動いたのだ。


「……思ったより、僕って狙われているんだね」

「うん。……パパは、アヤメの価値を低く見てるかも?」

「そうかな」

「そう。わたしは"未来"よりも"パパとの現在いま"のほうが大事だけど……未来を大事に思う人もいっぱいいるんだよ」

「そうだね。……それでも」

「アヤメのほうが大事?」

「……うん」


 そこは変わらない。アヤメは大事な家族だ。


「……わたし……やっぱりアヤメが羨ましい」

「……」

「わたしももっとはやくパパに逢えていたら……十年前に、パパがわたしと一緒にいてくれたら……わたしもパパのお姫様になれてたのかな……」

「それは……」


 何か言おうとして、ぎゅっと強く抱きしめられて何も言えなくなってしまった。


「ううん、いいよ。……ごめんね。パパ。……わたしは今、すごく満たされてるから。……他の子がずっとずっと羨む場所にいるから……それだけでいいの」

「……ごめんね」

「パパ……わたしを……」

「……ソニャ?」

「……なんでもない。パパ……ばかなアヤメを連れ戻してあげてね」

「うん」


 言葉にはしない。ソニャよりもアヤメの方が大事なのは事実だから。ソニャを助けた理由が打算とアヤメに似ていたからというのも事実で、こうして情を寄せているのだってアヤメと出自が似ているからという部分が大きい。


 だけど。


「……"今"なら、例えソニャが相手でも、僕は助けに行くよ」


 彼女の過去を知った。事情を知った。今を知った。彼女の考えを、生き方を、夢を知ったから。知ってしまったから、優理に助けないという選択肢はない。

 アヤメが三歳の女の子だとしたら、目の前のソニャは十歳の女の子だ。助ける理由なんて、これだけで充分だろう。


「……ふふ、ありがと。パパ。……パパは、パパだね」


 顔は見えないが、不思議と口元を綻ばせ幸せそうに笑っているソニャの表情が脳裏に浮かんだ。


「それ、どういう意味?」

「ないしょ」


 くすりと笑って答えるソニャに、優理もからりと笑う。「そっか」と頷き、男は立ち上がった。


 また一つ、アヤメを助ける理由ができてしまった。アヤメが傍にいてもいなくても、既に優理は狙われる立場にいる。それなら尚更、アヤメが離れる意味はない。ソニャの献身に応えるためにも、あの子は助ける。傍に居て良いと――否、傍に居てくれと伝えるのだ。


 決意新たにキリっと表情を引き締める優理の前では、一つの影が待っていた。


「え、リアラさんどうしました?」

「や、え、え、そ、その。……エッチなこと、してた?」

「いや全然。ね、ソニャ?」


 立ち上がったらリアラがいた。神妙な顔をしている。微妙に頬が紅潮もしているか。

 実咲は優理母と色々話をしているようだ。ソニャは。


「ん……パパ、はげしかった……ぽっ」

「!?!?」


 ここぞとばかりに顔を赤らめ、ソファーに座って身を掻き抱く。大きな胸が形を変えている。


「優理君」

「え……はい」

「……」

「……」

「……え、エッチなことは……」

「……エッチなことは?」

「エッチなことは私にして!!」

「ええ!!?」

「ま、間違えた……」

「そんな間違いあります!?」

「あわわ、まま、間違えてないけど……で、でも、エッチなことしたくなったら私を呼んで、ほしいなぁ……なんて」

「……その話は、アヤメを連れ戻してからにしましょう」

「え。……え、え……え? ……う、うん……??」


 リアラは頭がショートしてしまったのか真っ赤になってもじもじする。なんだか見慣れた姿に安心する。


「――そのお話、私奴も混ぜていただきたく」

「すみませんメイドは立ち入り禁止なので……」

「ご主人様が冷たい!?!?」


 こちらはショックを受けすぎてよろよろとこちらに倒れ掛かってきた。つい受け止めてしまうが、当たり前に全力で胸を押し付け身体を絡ませ密着し、何なら吐息を吹きかけてきたのでソファーに投げさせてもらった。


 危なかった。貞操の危機だった……。


「ミサキ、パパにエッチなことするのはわたしの特権だよ」

「いやソニャの特権でもないけど……」

「がーん……」

「――やはりメイドの特権、ということにございますね」

「違うけど」

「そん、なっ……」

「え、えとあの……わ、私はいいの、かな?」

「リアラさんは……だ、だからその話はアヤメを連れ戻してからですって!!」

「う、うん……!!」


 すごい疲労を感じつつ、その場を収めた。収まったのか? わからないが落ち着いたからいい。


「えっと、母さん。話どうなった?」

「私はリアラちゃんに付いていくわよー。優理の足手纏いになんてなりたくないわ! そのアヤメちゃんって子、ちゃんと助け出して私に紹介してね? 三歳なら……三歳なのよね?」

「うん。見た目は……まあ外国人だし童顔だから中高生っぽくもあるけど、三歳だよ」

「ちっちゃい子供ね。ええ、お母さん子供のお世話は得意だもん。大人しく待っているから……頑張りなさい、優理」

「へへ、うん。頑張っちゃう。ありがと母さん」

「どういたしまして」


 優理が頑張るのは最終局面、直接アヤメを説得する段階になってからだろうが、それまでも頑張ろう。性欲の我慢とか、性欲の我慢とか、性欲の我慢とか……だめだ。脳が性に支配されている。クールに行こう。


 煩悩を振り払い、リアラに向き合う。


「リアラさん」

「うん」

「母さんをお願いします」

「うん。任せて。お母さんは私が守るから。国の現状は実咲さんに伝えているから、後で聞いてね。もう……行くの?」

「うーん。今アヤメの居場所がわからなくてですね。急いではいるんですが、とりあえず実家にもいなかったので次どこ行こうか迷ってます」

「そっか……」

「心当たりとかあります?」

「ごめんね、思いつかないかも……」

「です、か。いえ、大丈夫です。色々探してみます」


 なんとか探そう。エイラのことだから何かしらヒントは残してくれているはず。ディラと協力すればなんとかなるだろう。たぶん。それはそれとして、だ。


「リアラさん。別件なんですがちょっと許可? というか、してもいいかなって話なんですけど……」


 つらつらと、小声で話す。アヤメが傍にいてもいなくても、もう優理は狙われる立場にいるのだ。人質を使おうとするような悪い人間たち相手なら、こういう手もありだろう。意趣返し、というやつ。


「――どうですかね」

「う、うーん……私はあんまり推奨したくないけど、確かに有効かもね。主導者は皆、上の人間だから表立っては動けなくなると思う。……でも、優理君も大変になるよ?」

「大丈夫です。もう狙われてますし、これからもアヤメと一緒に生きていくなら今さらなことでしょう?」

「ふふ……そうだね。うん。これまでが幸運だっただけかも。ごめんね、私、あんまりお手伝いできなくて」

「母さんのことだけでも充分ですよ。気にしないでください」

「うん、ありがとう……アヤメちゃんのこと、よろしくね」

「はい。任せてください」


 リアラと微笑み合い、そこそこに大事な話を終える。優理的にちょっとした決意を固める時間だった。


 家に帰ってきてそう時間は経っていないが、やるべきことは済ませた。母親とルンルンしてリアラと再会してソニャとイチャイチャして、リアラと話をして……。


「――優理様」

「はい? はい」

「私奴との絡みが少ないと愚考――いえ、賢慮致します」

「わお、自賛がすごいね」

「はい。真実にございますから」

「そっすか。……絡み、と言っても何がしてほしいの? アヤメの居場所なんにも思いつかないし今なら付き合うよ」

「突き合う!?!?」

「……絶対違う漢字当てはめてそうだけど何も言わないから」

「左様ですか。それもまた選択……。それはそうと優理様」


 母と話しながらも心配そうにちらちら見てくるリアラに手を振り、実咲に促されるままソファーへ。ソニャはだらだらしていたが、こちらに気づいて口元を緩ませる。かもんかもん! と腕をフリフリしている。この十歳児、本当にめちゃくちゃだらけているな。


 実咲はソニャを無理やりどかし、二人用ソファーに投げ捨て三人用を空ける。素早く優理を座らせ、その隣へ滑り込む。太ももの密着度が高い。しなだれかかるように身体を寄せていた。

 ソニャの抗議の視線もなんのその、灰髪美人は元気なくソファーに転がってしまう。幻覚か、耳と尻尾が垂れているように見えた。大型犬がしょんぼりしている……。


「うふふ♡ 絡み、というのは、こういうことにございます……♡」

「ただのセクハラじゃん……」

「で、も……♡ 優理様の御身体は正直なようにございます、ね♡」

「今のところノーリアクションなんだけど……」

「……ふむ、本当に反応しないようですね。何故でございますか?」

「なんでそんな不服そうにしているんだよ……」


 不服なのはこっちだ。

 密着されて柔らかくて良い匂いしてそわそわドキドキするのは確かだが、優理もただ童貞をやっているわけではない。特に最近は、リアラと急接近したりアヤメと同棲したり、灯華に迫られたりと色々耐性がついてきた。


 それに今はリビングだ。母親もいるしリアラもいるし、ソニャも恨めしそうに見てきている。実咲がいくら股間を見つめても何も反応はない。むしろそうも見られると縮こまる。それが男というもの……いや一部変態はいるが、優理はノーマルなのでノーリアクションだった。


「お触りはしても?」

「ダメに決まってるでしょ」

「そんなぁ」

「子犬みたいな顔してもだめ」

「くぅーん♡」

「鳴いてもだめ」

「あっ♡ やぁ、だめ、ですぅ♡ ごしゅじんさまぁ♡」

「ぐ……その"啼く"でも無駄だよ」

「しかし今一瞬、御身体が跳ねましたね」

「……エッチボイスはね。僕も似たような声出して聞かせたら実咲も反応するでしょ」

「――ふっ、そうでしょうか。試さねばわかりません。どうぞ、私奴に試練を。さあ!」

「……いいでしょう」


 誘導されたとわかっていても付き合ってあげよう。これが彼女なりの"絡み"だと言うのなら、少しくらい言うことを聞くのも吝かではない。割と楽しいし。


 数回深く呼吸する。隣には姿勢を正しお上品に膝を揃え斜めにし、両の手を足に置いている美人がいた。黙っていると本当に美人だな。失礼なことを考えながら、実咲の耳に唇を寄せる。


「実咲のエロメイド。僕がお仕置き、してあげるよ」


 そっと彼女の太ももに手を置き、そのままリアルASMRを続ける。


「もう濡れてるんだろう? この変態。メイドのくせにご主人様のこと欲しがってばかりな卑しい女だ。実咲の面倒を見られる主は僕くらいのもんだよ。……ほら啼け。僕が見ていてやるから存分に啼け」


 そこで耳にキスをしぎゅっと肢体を抱きしめる。


「――――あ、ふ、ぁ♡」


 何やら腕の中ですごい声が聞こえたような気もする。まあ気にしないでいこう。

 実咲のへきは以前のASMRリクエストで察していた。この女、普段はSっけを見せているのにその実かなりのMだった。ただのメイドではなくマゾメイドだったのだ。


 優理はイロイロそういった面でも寛容なので、今回もそちら方面で試してみた。


「……どうやらこの勝負、僕の勝ちだね」


 くてりとソファーに沈む実咲を見て呟く。

 立ち上がり、さらりと髪を掻き上げる。だてにASMR系……ではないが、ASMRも含んだ配信者やら販売者をやっていない。この程度お茶の子さいさいのさいである。


「はぁ、はぁ……♡ お、御母堂様……少々、粗相を致しまして、申し訳ございません。御手洗いをお借りしてもよろしい、でしょうか?」

「ええどうぞ。好きに使ってくださいな」

「失礼、致します。……優理様、今回は痛み分け……ということで」

「いや完全に僕の勝ちでしょ」


 呆れて言うと、頬を赤く口は半開きで瞳を潤ませ、事後っぽい顔で艶やかに笑った。そして何やら服から取り出す。


「――こんなこともあろうかと、録音しておりました」

「うわあああ!!?!?」

「引き分け、にございますね。それでは失礼致します……♡ あぁ、まだ余韻が……♡」


 恍惚としたままトイレへ逃げる実咲であった。優理はうなだれ、ソファーが湿っていないことを確認して座る。勝ち誇った顔から、急に疲れた顔に色を変えている。


「……パパ」

「……なんだい」


 慰めでもしてくれるのかと、大型犬のように絨毯をハイハイして寄ってきたソニャを見やる。


「わたしにも……ささやきしてほしいな」

「そっちかい!!」


 慰めのなの字もなかった。ついついソニャを諫め、両頬を引っ張ってしまう。アヤメほどではないがもちっとしていて触り心地がよい。


「あの、えと……優理君」

「はい、はい」


 そろっと横にやってきたリアラだ。今度こそ「お疲れ様、優理君」と慰めてくれるのかと期待する。


「その、ね。えっと……私にも、あの、エッチなの……囁いて欲しいな、って」

「あなたもかぁ……」


 顔を真っ赤にしてもじもじしながら、可愛らしく言ってくる。言い方仕草はともかく、完全にソニャと同じだった。


「僕の周りにはエッチな人しかいないのか……」


 嘆く。悲しみの、ピンクに染まる、童貞よ。


 そんな優理の姿を見て聞いていた母は。


「ふふふ! 優理、エッチじゃない女なんているわけないじゃない!」


 からからと笑って言った。

 優理は「確かに」と思う。


 そういえばこの世界、性欲逆転世界だったわ、と。久しぶりに結構な性的アレを思い知る優理であった。





――Tips――


「傘宮家集合乙女たち」

今回集合したのはリアラ、実咲、ソニャの三名であったが、将来的に高確率でアヤメはこの場に参加する。アヤメは清涼剤、かつ他の人間とも仲が良いので、乙女集合時の空気はとても美味しくなる。

ソニャも似たような立ち位置にはいられるが、根本的にアヤメと異なり見た目が巨乳美女なのと性欲の抑制が完全にできているわけではないので、ちゃんと"女"を出したりする。そのためリアラや実咲のライバルセンサーに引っかかるのだ。

とはいえ、リアラは優理と一緒にいるだけで「ドキドキするよぉ……」となり、実咲は好みの男の母親と一緒というレアイベントに「――試練の時にございます」と緊張するのであまり大事にはならない。

もしもこの場に灯華がいたら、名家らしく完璧な淑女を演じ、優理からの好感度を荒稼ぎすることだろう。でも灯華は忙しいのでこんな風に乙女集合会へは参加できない。どこまでも不憫な女である。

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