【番外編】if、それでも僕らは今の世界を生きていく。

 それは、もしもの欠片。可能性の断片。未来の破片。

 確かに存在する、どこかの世界の誰かの記憶。


 いくつかのifが重なった果てに、彼と彼女たちの未来は在る。数ある未来の一つが今、彼の夢に淡く浮かんでいた。





「――けほ」


 油断したつもりはなかった。

 警戒を怠ったつもりはなかった。

 気を緩めたつもりは、なかった。


 けれど、あぁそれは現実で。


「ユー、リ」


 呟く少女の瞳は自分だけを見つめていて――。


「アヤメッ!!!!」


 無音で放たれた弾丸の元へ銃を撃ち込む。敵手はアヤメを撃ち抜くつもりはなかったのか動揺していた。すぐに全身を撃たれ優理の視界から消えた。


 後を確認する余裕などなく、アヤメを支え即座に建物の影へ。じっと見つめる先、口元を赤く濡らした少女が微笑んでいた。


「ユーリ……」

「いい! 喋らなくていいよ!! あぁくそ、ごめん、ごめんね。……アヤメ、ごめんよ……」


 ぽろぽろと涙をこぼす男に、銀の少女はほんの微かに首を振った。

 撃ち込まれた弾は何か特殊な加工でもされていたのだろう。既にアヤメの身体は言うことを利かなくなっていた。


 優理が怪我をしていないか確認したくて、でもそんな時間すら残されていなくて。

 ただ謝らないでと首を振るのが精一杯だった。


 まだまだたくさんやりたいことはあった。優理と一緒に暮らして、過ごして、できたことは本当に少しだけ。中途半端で、考えれば考えるほど足りない。ご飯も食べたりないし、お出かけしたいところだっていくらでもある。エッチだってし足りない。こうなるってわかっていたら子供も産んでおくんだった。そんな暇はなかったけれど。本当に、未練しかない。


 家に迎え入れてくれた。ご飯を食べさせてくれた。一緒に買い物に行ってくれた。一緒にお風呂に入ってくれた。二人でお買い物して、お料理して、お昼寝して、遊んで、笑って、エッチなこともして、お出かけした先はどこもかしも幸せに満ち溢れていて、毎日毎日きらきら輝いていた。


 逃げ続けていた日々だって、大変そうな優理には申し訳ない気持ちもあったけど毎日ドキドキして楽しかった。一人ぼっちでいた頃よりも、危険に満ちてはいたけれど楽しくてしょうがなかった。


 そして最後は、こうして優理が看取ってくれている。

 "死"はわかる。経験はない。これも初体験だ。嬉しくないが、一人ぼっちで寂しく死んでいくよりずっとずっと、比べ物にならないくらい良かったと思える。


 私のために泣いてくれている。私のことを想ってくれている。私を大切にして、私を好きになって、私を愛して、私のために……必死になってくれている。


 あぁ、その気持ちは本当に、言葉にできないほどに嬉しくて。

 不思議と、たくさんの未練を振り切れるくらいに心は現実を受け入れられていた。


 あとは最後に、目の前の大好きな人へ伝えたい。

 この人は、優理はきっと全部投げ出してしまうだろうから。それくらい好かれている自信がある。それくらい愛されている自信がある。

 すぐに後を追ってはほしくない。いつかは一緒に来てほしいけれど、それはすぐじゃない。たくさんたくさん、お土産を持って知らないお話をたくさん教えてほしいから。


 だから。


「ユーリは生きて、幸せになって……くださいっ」


 だからアヤメは、残った力すべてを振り絞って優理に言葉を紡いだ。

 ふわりと、幾度となく見てきた太陽の笑みを浮かべ、少女は命の火を消す。


「あ、ぁ、あああああああああああ!!!!」


 傘宮優理は息をしていない少女を支え、軽い肢体を抱きしめ、慟哭を上げながら世界を呪う。人を呪う。自分を呪う。


「あぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!!!」


 そこに少女を想う人工知能はおらず、ただただ、無力な男が一人蹲っているだけだった。


「――優理君!!!」


 アヤメが仕留めた人間たちを踏み越え、黒い髪を靡かせた美人が飛ぶ勢いでやってくる。

 足止めの敵手をすべて討ち取り、優理の絶叫を聞き届け休む暇もなく走ってきたのだ。


 美人――リアラは優理と、それと彼が抱く銀の少女を見て目を見開く。銃のグリップを握り締め、目を伏せ少女の死を悼む。


「――優理君」

「……」


 泣き崩れた男に寄り添い慰め、想いの共有を図りたい気持ちはある。このまま心を整理する時間をあげたいという気持ちもある。自分だって泣きたい。泣き叫びたい。でも、でも。


「逃げるよ、優理君。ここはだめ。残党がいるから」

「……いいよ、もう」

「――」

「もう、いい」


 諦めだけが詰まった声に息を止め、一度目をつむったリアラは即座に決意を固める。


「アヤメちゃん、優理君のこと助けたんだよね」

「……っ」

「アヤメちゃんのことだから、生きて、って言ったんじゃないかな」

「――――」

「それを裏切るの? 最後のお願い、聞いてあげないの? 優理君」

「……くそっ、くそぉ!! 卑怯だよリアラさん!!! ずるいだろうそれは!!!」

「ふふ、お姉さんだからね。私」

「……あぁくそ、ちくしょう……なんでそんな強いんだよ、ほんと。僕がガキみたいじゃないか……」

「ううん。優理君はちゃんと大人だよ。でもちょこっと私の方がお姉さんなだけ……行こう?」

「…………うん」


 優理はあらゆる感情を押し殺し、涙を拭って顔を上げる。傍に居たリアラを見れば、彼女は泣きながら笑っていた。

 そこでわかった。そうだ。リアラが悲しくないわけがない。我慢して耐えて、無理やりに心を殺して動こうとしているんだ。リアラはそういう人だった。リアラは……そういう人だった。


「馬鹿かよ僕は……」


 リアラに聞こえないよう呟き、銀の少女の亡骸を抱きかかえる。

 笑ったまま亡くなった少女は、徐々に冷たくなっていく。けれど今はまだ温もりが残っていて……これが最後になるとわかってあふれる涙をそのままにする。


 しっかりと、自身の脳と心に少女のすべてを刻み付ける。

 体温を、表情を、声を、言葉を……お願いを。


「……ごめんアヤメ。生きるから。生きる、よ。僕は……っ」


 何も言わず前を歩いてくれるリアラに感謝して、アヤメとの別離を惜しむ。

 さようなら。僕の愛した女の子。さようなら。僕を愛してくれた女の子。次に生まれてきたら……今度はもっと、たくさん思い出を作ろう。楽しい思い出を……たくさん。


 ありがとう。さようなら。いつかまた、いつかまた逢おうね。アヤメ。いつまでもずっと、君を愛している――――――。





 「夢人形捕獲計画」が始動し、反乱と反撃により組織が崩壊してより一年。

 残党狩りも終わり、当の夢人形自体が損壊し、遺伝子データも得られなくなったため計画は完全に消滅した。微かに血液を手に入れたとの噂もあったが、後に出た解析データによって「夢人形では人類の課題解決が不可能」と判明したため、情報自体が切り捨てられ電子の海に投げられた。


 アヤメの死より一年近く。

 争乱は終結し、傘宮優理は久方ぶりに日本へ戻って来ていた。


 自宅は爆破されてしまい、リアラの住居も爆破され、アヤメが生まれた家も跡形もなく爆破されたので住まいはない。

 今は街中を歩き、東京のとある駅近くの公園でぼんやり人波を眺めていた。


「……」


 ぼんやり、人々を見つめる。

 たくさんたくさん、平和に歩き行く人たち。忙しそうに、楽しそうに、つまらなそうに、暇そうに。共通しているのは、誰もが今の平和を当たり前に信じていること。


 優理の身の回りが壊れたのはほんの三年と少し前のこと。

 二十歳くらいだったか。急に家に銀の髪の少女がやってきて、その子はすごい訳アリで。良い感じに仲良くなってきていたリアラや灯華とも親しくなり、このまま楽しくいつかイチャラブな関係を……なんて望んでいた。


 けれどそれは儚く消えた。

 アヤメの身柄を狙った組織が襲撃してきたのだ。最初はアヤメが撃退した。次はリアラが協力してくれた。


 相手が海外だけならよかった。けれど敵は日本にもいた。灯華が内部工作と炙り出しを行っている間、優理とアヤメは海外に逃げた。リアラも一緒だ。


 逃げて、戦って、逃げて、戦って。

 何度も怪我をしたし、何度も死にかけた。人も殺した。優理だってただ守られているだけの人間じゃなかった。


 一年で反撃の用意を整え、ほんの数か月で組織を壊滅させ、始まりから二年が経った頃には残党狩りも終わりかけていた。そして、アヤメが死んだ。


「…………クソ」


 アヤメが死に、その情報が流れたのか明らかに敵は動きが鈍っていた。灯華に聞いたところ、どうもその時点で敵もイロイロ割れていたらしい。内部分裂というやつだ。

 アヤメを生け捕りにしたい派、アヤメを殺して肉体情報だけ得ればいい派、どうにか実験協力を頼む派と。まあそんなものはどうでもいい。結果としてアヤメは死んだ。それだけだ。


 それも、優理を庇って死んだ。


「……」


 拳を握り、噛んだ唇から鉄錆を感じて冷静さを取り戻す。

 ふ、っと息を吐く。もう、終わった話だ。すべて終わったこと。


 こうして流れている人波を眺めても、憤ることはなくなった。羨ましくは思う。恨めしくも思う。けれど、そんなのお門違い、八つ当たりでしかない。悪いのはあの時あの場所で、アヤメに守られた弱い自分。優理がもっと強く、もっと周りを見れる人間であれば今もアヤメは…………。


『ユーリは生きて、幸せになって……くださいっ』

「――あぁ」


 こういう時はいつもあの美しい少女を思い出す。彼女の言葉を、彼女の声を、彼女の笑顔を思い出す。


「わかってる。生きるよ、僕は」


 首から下げた銀の十字架を握りしめ、少女の幻影に苦笑し優理は立ち上がる。

 黒銀のスーツをはたき、円形のベンチより離れ斜め後ろの気配に声を掛けた。


「お疲れ様です。リアラさん」

「うん。やっぱり気づいてたんだね」

「まあ……」


 頬を掻き、苦笑を深めて気配の持ち主に向き直る。

 

「もう、一年はずっと一緒ですから」


 お揃いのスーツを着たリアラは、以前よりほんわかした顔で優理に頷く。


「ふふ。そうだね。優理君、後輩君になっちゃったもんね」

「あ、あはは……流れで、ですけどね。行きましょうか」

「うんっ」


 リアラと並び、止められている車の下へ。

 認識阻害により、二人の姿は違和感なく受け入れられていた。


 気力を失った優理がリアラと共に過ごし始めて一年。

 優理は今、リアラと同じ国家公務員になっていた。





 東京某所、新居。


 優理とリアラは日本の新しい拠点として、裏から手を回し家を借りていた。

 国からの斡旋は受けていない。未だ隔意は残り、不信感も拭い切れてはいないのだ。


「……」


 今は優理一人だ。リアラは別用があって先に優理だけが新居へ入っていた。

 ある程度引っ越しの荷を整理し、まだ家具も家電も揃っていない部屋を眺める。


「……広いな」


 二人暮らしだから広いのは当たり前だ。だけど、その広さ以上に部屋が大きく見えた。

 少しばかり昔、学生だった頃の部屋に似ているからだろうか。


 リビングがあって、寝室が分かれていて、キッチンがあって。

 当時はテレビの代わりにパソコンがあり、今は同じ位置に薄型テレビを置く予定だ。モノの配置も部屋の間取りも、窓の位置だって違うのになんとなく、昔の部屋に似ている。

 

 広くて狭かった部屋で二人暮らし。


『ユーリ! 今日のご飯はなんでしょうかっ?』

「――――」


 懐かしい声を聞いた。

 とてとてと部屋を走り、銀色を靡かせる少女。可愛らしく、愛おしく、アヤメという少女がいるだけで部屋が狭く感じた。本当に、一人暮らしの何百倍も楽しい日々だった。


「……ほんとう、女々しいな、僕は」


 頭を振り、短く目をつむって前を見る。そこに銀髪の少女はいない。美しい妖精はいない。大切な女の子はいない。


 時間は経っても色褪せることのない思い出。鮮明に、脳に刻まれた記憶。

 立ち上がり、窓に寄って空を見る。今日は雨だ。


「……はぁ」


 音楽でも聞くかと携帯で適当な曲を流す。

 シャッフルで流し出した音楽は、皮肉にも失恋ソングだった。それも愛し合っていた男女が別れる切ないジャパニーズロック。


 歌詞は雨と恋を綴ったものではあるけれど、聞き方によっては死別にも思えてしまう。

 苦笑し、もう一度溜め息を吐いて床に転がった。


 この歌のように、アヤメとの別離もただのすれ違いだったらよかったのに。あの子が生きて、傷つきながらも生きていてくれれば……後悔しながらもいつかは笑い合えたかもしれないのに。


「……アヤメ……」


 別れは告げた。"お願い"も聞き届けた。時間は心の傷を癒しはした。

 でも、忘れられない。どうしたって忘れられない。……忘れられるわけがなかった。


 "ただそばにいてくれたら"。

 そんな歌詞に諦めの息を吐く。些細なことだからこそ、この歌同様叶わないのだろう。いつだって現実は、どこまでも冷たい。


 雨音が聞こえる。いつか、"雨が好き"だと二人で話をした。

 今も優理は雨が好きだった。昔よりは、好きじゃなかった。


 ――一時間後。


 フローリングで鞄を枕にうとうとしていたら、家の鍵が開けられる音がした。

 既に情報機器の探査や防犯、ジャミングは済ませているので強盗やテロリストではないだろう。


「お邪魔します」


 間違いが起きないようにと家を出入りする時は人がいなくても挨拶をするよう、互いに取り決めていた。入ってきたのはリアラだった。


 優理はひらひら手を上げ、無言で目を閉じ寝返りを打つ。


「あ。優理君……眠い?」

「……まあ、そこそこ」

「そっか」


 そっけない優理に微笑み、リアラは軽く部屋を見回る。モノの整理、モノの管理、モノの設置。情報機器のあれやこれやはさすがに完璧だった。これなら盗聴も気にしなくてよい。


 うんうんと頷き、フローリングに転がる優理の下へ。外は雨だ。肌寒い、このまま寝かせたら身体も痛めるだろう。風邪も引くかもしれない。寝具はまだ取り出していないので、ぱぱっと取り出しておく。上は毛布だけだ。


「優理君。眠いならお布団で寝よう?」

「……そーですね……」


 立ち上がるのも億劫だった優理はころころ転がり、そのまま仰向けでぺたりと布団に収まる。リアラの優しい顔が見える。


 ちょいちょいと手招きすると、どうしたの? と首を傾げながら傍にしゃがむ。手を伸ばし、リアラの手を取り引っ張った。


「きゃっ」

「はーあったか……リアラさんゲットだぜー」

「も、もう……その、えと、あの、ね。……ま、まだお昼、だよ?」

「や……エッチしたいわけじゃないんですけど」

「――――」


 みるみる赤くなる顔が可愛らしい。

 つい、からかってしまいたくなる。この人はまったく、一年連れ添っていたのに本当に慣れず初心な少女のままだ。眠気も一瞬で吹き飛んだ。


「……私、もうだめ。お嫁に行けないよぉ」

「はは。大丈夫、僕がもらうので」

「そ、それはそうだけどぉ……」

「いいじゃないですか。リアラさんがエッチなのはもう知っています。今さらですよ」


 厚くなった胸板に顔を埋めるリアラを撫で、二人仲良く、カーテンすらない窓から差し込む日を浴びながら寄り添う。


 リアラとは生死を共にした仲だ。

 アヤメが死に、傷心中だった優理にも寄り添ってくれた。互いに傷を舐め合って他にも色々舐め合ってくんずほぐれつ全部済ませた。

 既に事後だ。優理的に言うならば、ドエッチした仲。


 優理はアヤメと居た時点で童貞ではなかったし、今のリアラも処女ではない。慰めックスの快楽度は背徳感で筆舌にしたがいものがあったが……それはさておき。


 確かに優理はアヤメのことを愛していた。人として、家族として、女の子として。さっきだって思い出して酷く感傷的になってしまった。時折幻のように姿を追ってしまうこともある。

 けれど、それはそれとしてリアラのことも好きだった。人として、女性として、友として、パートナーとして。


 忘れられない思い出がある。

 忘れられない言葉がある。

 忘れられない笑顔がある。


 でも、"今"を生きる優理は、忘れられない過去と同じくらいにリアラのことを想っていた。


 常に守ってくれた人。いつも傍にいてくれた人。美人で、可愛らしくて、笑顔が綺麗で、なのに素の笑顔は不器用で、すぐに顔を赤くする少女のような大人の女性。無慈悲冷徹に行動できるのに、本当はいつも心を痛めて生きている。優しい、優理に負けないくらい優しい女性だ。


 戦いになんて向いていない。優理と同じだ。本当は国家公務員なんかじゃなくて、観光アドバイザーや観光案内人に成りたいんだと知っている。少し前に夢ができたと、以前閨で言っていた。


 過去はいつだって覚えている。忘れられるわけがない。

 それでも優理は"今"を生きている。アヤメのいない、今を生きているのだ。


「……リアラさん」

「う、うんっ」

「……」


 "結婚しますか?"の一言は、彼女の妙に上ずった声を聞いて薄れた。

 察する。


「…………」


 溜め息を飲み下し身体を動かし、鍛えられても柔らかいままの女性らしい身体に触れる。頬と、肩と、腕と、脇と、それから胸と。


「ふ、ぅう」

「……エッチな人だなぁ本当に」

「ぁ、ご、ごめんね。でもその、あの……ぁ♡」


 人の胸に顔を埋めて勝手におっぱじめていたエッチなお姉さんを抱きしめ、身体を反転させて布団に押し倒す。

 彼女の緑がかった綺麗な深茶の瞳が潤んでいた。頬は朱に染まり、ほんのり開いた唇からは艶やかな舌が唾液を纏い光っていた。


「……愛してますよ、リアラさん」

「はぅ……わ、私もあいして、んむぅ……ちゅぅ♡」


 言葉はキスで塞ぎ、互いに互いの心へ埋もれていく。

 肉欲と、愛情と、恋情と、心の共有と、それと微かな現実逃避を織り交ぜて。


 広い新居のリビングに、しばらく二人分の吐息と甘い声が響いていた。





 優理とリアラの日々は瞬くように過ぎていった。

 素敵楽しい同棲生活が始まり、時に灯華と実咲が乱入してきたり、アヤメと同じ境遇を生み出さないために世界を奔走したり。


 その過程で被害者の少年少女を助け、既に手遅れだった人間の介錯を果たし、身寄りのない試験管ベイビーを引き取り、培養槽の子供を救い上げ。


 自身とアヤメへの瑕疵を引き合いに出し、国からの全面協力を取り付けた。それもこれも多くは灯華の働きかけが大きい。今となっては八乃院灯華の名を知らぬ政治家はおらぬほどに、国内外へその名は轟いていた。


 表では孤児院として、裏では被害者の人間を救うための機関として。

 優理とリアラはその生を煌めかせ走り続けた。


 そうして、およそ百年の月日が流れ……。


「……ねえ、優理」

「うん」

「楽しかった?」

「楽しかったよ。リアラは?」

「楽しかった……ほんとうに、夢みたいな時間だったぁ」

「そっか。僕もだよ。リアラとの時間は……現実なんて忘れちゃうくらい夢みたいだった」

「ふふ、嘘。忘れたことなんてないくせに」

「ばれたか。忘れてはないよ。あの子のことも、君のことも」

「うん。優理」

「なに?」

「幸せだった?」

「幸せだったよ。九割くらいは」

「ふふふ、正直過ぎだよ」

「そうかな」

「うん。そんな優理も好き」

「知ってる」

「優理」

「うん」

「私、幸せだったなぁ。ありがとうね、優理」

「どういたしまして。僕の方こそありがとうだよ、リアラ」

「先に行ってるね」

「うん」

「アヤメちゃんと待ってるね」

「うん。待ってて。僕もそのうち行くから」

「ずっとずっと、大好きだよ、優理」

「僕も大好きだよ」

「……」

「……なんだよ、もう。言い逃げじゃないか。本当、リアラは僕を置いて……あぁ、いつも守ってくれていたからか。最後くらいは……まあ、っそうか。僕が見守る側に立つのも……しょうがないか」


 そっと涙を拭い、目を閉じたリアラの頬を撫でる。

 最後に小さく、額へキスを落とし、近くに立っていた医者へ頭を下げる。


「ありがとうございました」

「いいえ、私は私のするべきことをしただけです。……今ここに立ち会えたこと、光栄に思います。グランドファザー。私が言うべきことではありませんが……お疲れさまでした」

「ははは。うん。優理でいいけど……うん。そうだね、ありがとう。――リアラも、お疲れ様」


 真っ白になった豊かな髪の、ある程度老化を抑えた美しい女に微笑みかけ、病院の外へ。

 今は少し、一人になりたかった。





 ひゅるりと風が吹き抜ける。

 広い中庭。淡い緑が茂る美しい庭園。病院の庭とは思えない、綺麗な場所だ。


 リアラが亡くなって数年。

 優理は一人、朝日照らす新緑の中庭を散歩していた。


「――ユーリ!」

「ん。あぁ、やあイリシャ」


 とてとてと寄ってきたのは幼子のイリシャだった。

 透き通った金の髪に淡い青色の瞳、快活で、朗らかで、元気いっぱいな女の子。五年ほど前に北欧で人体実験場から助けた子供……デザイナーベイビーの一人だ。


 ゆったりと歩いていた優理を見上げ、少女はにぱっと笑む。


「ユーリは何をしていたのですか?」

「うーん。お散歩」

「えへへ、じゃあ私もお散歩します!」

「いいよ。歩こうか」

「はいっ!」


 ニコニコな少女を連れ立って歩く。

 優理は既に現役を引退し、助けた子供たちの一部が成長し経営する病院に居を移していた。リアラが亡くなったのも同じ場所だ。彼女の亡骸は既に灰となり海に還っている。優理もそうする予定だ。


 多くの子供を慈善的に救い続けた優理とリアラは、世界に名を知られていた。世界平和賞とか国家勲章とか、多くの授与を受けたが今は関係のない話だ。


 孤児院の子供たちは優理のことを、グランパ、ファザー、グランドファザー、それからただ優理、ユーリと呼び捨てにしている。大人の多くは優理様とグランドファザーが多く、優理自身は微妙な気持ちでそれを聞いていた。もう慣れたが。


 隣を歩くイリシャは、ユーリと呼び捨てにする子供の一人だった。


 話したいことがたくさんあったのか、イリシャは優理の手を引っ張り延々と言葉を連ねる。相槌を打ちながら、優理は微笑んで話を聞く。


「――今度はユーリのお話を聞きたいです!」

「そうだねぇ。……時間はあるのかい?」

「はいっ」

「そっか。じゃあ話そうかな。……僕はね、幸せを探していたんだ」


 怖いことや痛いことは極力省いて、たくさん悩んでたくさん迷って、いろんな人を助けて話して世界中を駆け回って、そうして生き抜いた果てが今なのだと伝える。


 話していてなんとなく、自分の人生が形になるのを感じた。

 アヤメに言われた『ユーリは生きて、幸せになって……くださいっ』という言葉。


 長い長い時の中で摩耗し、けれどこの一言だけはいつでも思い出せるあの子の最後のお願い。

 これを叶えるため、忘れないためと幸せを探し続けた。


 心に空いた穴はリアラとの生活、子供たちとの生活で埋まった。けれどどこかで、"本当の幸せ"を探し続けていた。そんなものあるわけないと諦めながら、アヤメのいない世界で幸福を求めて生きた。


 その先に…………。


「じゃあ、ユーリは今幸せなのですね!」

「――どうしてかな」

「だってユーリ、とっても優しい顔でお話してくれました!」

「――――」


 足を止めた優理の前に回り、太陽の笑顔・・・・・を見せる少女に。優理は言葉を失った。


 幻を見た。

 銀の髪の、長い長い銀色を揺らす少女が、ひだまりの笑顔を向けてくる。藍色の瞳はただ真っ直ぐと自分を捉え、そこに映る自分は優しく笑っていて。


「――……」


 少女――イリシャの笑顔が、イリシャの声があの子に重なった。

 あの子、アヤメとは違う。イリシャはイリシャだ。少し似ているだけで、見た目も中身も違う。イリシャはちゃんと見た目も中身もお子様だ。不思議な大人知識は詰め込まれていない。ちょっと超人的な肉体性能を持つだけの、まだまだ幼い子供。だけど。


「……はは、そっか。優しい顔、してるか」

「はいっ!」


 イリシャからは懐かしい少女を感じてしまった。

 そういうこともあるかと思う。世界はどこかで繋がっていると言う。未来に向けた願いの残滓が、ほんの一欠片届いたっておかしくない。全部優理の妄想だったとしても、それはそれでいい。


 大事なのは今。優理の気持ちだ。


「ありがとう、イリシャ。君はすごい子だよ」

「え、えへへぇ! 私、すごい子です!」

「すごい子すごい子だー」

「えへへへへ」


 照れ照れにんまりする少女を撫で回し、その辺から集まってきた子供たちや心配げに寄ってくる大人たちに笑いかける。


「ははは、僕、どうも超幸せだったみたいだよ!」


 キョトンとする子供たちと、何を今さら、と呆れた顔を見せる大人たちと。

 満面の笑みで天を仰ぐ優理は、イリシャを高い高いしながら世界に感謝を告げた。


「ありがとう、みんな。アヤメ、リアラ。僕――――生きてきてよかった!!」



 ――傘宮優理が亡くなったのは、その僅か二日後のことだった。


 彼の死に顔には一切の悔いが見えず、数年前に亡くなったリアラと同じような美しい笑みを湛えていた。


 彼の死を嘆き、彼の人生を讃え、彼の死に涙する人は数え切れないほど居た。遺言に従い遺体は海に還されたが、彼の死を悼む記念碑が孤児院とは別に国家墓碑に建てられるほどだった。

 後に彼の生を追うように書籍や映像が作られ、その在り様は朔瀬さくせCharlotte シャーロットRiaraリアラと共に歴史に刻まれた。


 ただしかし、彼が呟いた"アヤメ"という少女の存在が世間の目に触れることは、ついぞなかった。

 確かにそんな少女はいた。彼の原点として描かれた。けれど明確な名前は出ず、曖昧な形で短く残されただけ。それを謎めいていると追う者もいれば、過去の世界に想いを馳せる者もいる。


 もしも優理がそこに居たとしたら、彼は短く、こう言うだろう。


『僕らだけの秘密、かな』


 両手に花。いつかどこかで銀の少女と黒髪の美女を連れた優理は、幸せそうに笑っていた。




 (了)






 あとがき兼登場人物紹介。


 前話とは別世界線のお話。

  別名リアラルート「Seeking Bliss with you」

 曇らせ注意。この世界線は「エイラがいなくてアヤメが先に死んだらどうなるか」を体現したもの。

 結果、優理が可哀想なことになった。でも最後は幸せだからいいよね。よくないか。とりあえずあらゆる世界線の中で最も有名人になった。歴史書に載るレベルはこの世界線くらい。有名になっても自分はわからないもの。優理はそれを死ぬ二日前に学べた。いろんな世界線の中でも愛した女性を目の前で亡くすのはごくごく稀。不幸度合いはトップクラス、最終幸福度合いもトップクラス。最後は笑って死ねたので、アヤメもリアラも優理も報われた。人生死ぬまでわからないもの。


こんなif読みてえ!となったら長文コメントしてみてください。気が向いたら書きます。ただし可哀想なのはNG。「それでも僕らは」とか「二百年間ずっと」とかのifくらい心しんどい話ならOK。



・傘宮優理

主人公。完全無欠な主人公。

本編より闇を抱えて生きる。童貞は割と早い段階で捨てた。他のどの世界線よりも世界に名前を轟かせた。アヤメが生きていたらこうはならないし、リアラがいなくてもこうはならない。稀有な世界線。最終的にこれ以上ないハッピーエンドを迎えたため、ハッピーエンド至上主義も腕組みして頷く。最後に笑っていたのは、たぶん死の国に行く手前で再会できたから。


・アヤメ

悲劇のヒロインであり、最後まで優理に自分を刻み込んだお姫様。

未練だらけで死んだが、優理に看取られてこれはこれでアリかなとも思った。やはり優理とエッチしていたからか、本編よりも色々余裕がある。本人は自分の言葉がここまで優理に響くとは思っていなかった。でもそれだけ想ってくれて嬉しい。でもそれはそれとしてリアラと仲が深まり過ぎて嫉妬する。あの世では我儘お姫様になっていたりいなかったり。


・リアラ

唯一無二のメインヒロインの座に昇り詰めた黒髪美人。

優理と同様に、他のどの世界線よりも世界に名前を広げた。下手しなくても二十一世紀から二十二世紀にかけて最も活躍した女性になる。歴史の教科書に大きく載るレベルになった。アヤメのことは引きずりつつも、優理を支えねばと使命に燃えていた。けど気づいたらエッチする仲になっていて、アヤメへの申し訳なさと背徳感で快楽度数も跳ね上がる。あの世ではアヤメの前でそれを思い出し赤面する。忙しく大変な人生だったが、最後まで幸せに駆け抜けた。


・エイラ

珍しく存在そのものがいない。いたらアヤメの死だけは防ぐ可能性が高いので、この世界にはいない。代わりにリアラや灯華がいるが、彼女たちではエイラには成れなかった。エイラの付いていないアヤメは自分ですべてやる必要があったため、本編より自立している。あと周囲への警戒心が強い。もしもエイラがいたらこの世界線はほぼ本編と同じになるので、アヤメ争奪戦も起きない。例え起きてもエイラの力と灯華とリアラの力で舞台を叩き壊せる。やはり未来演算がすべてを救う。


・イリシャ

アヤメの生まれ変わり、とかではない。しかし残滓的なものはある。優理の言っていた通りそのまま。そういうこともある。イリシャは優理の人生をしっかり聞いた稀有な少女になるので、近い将来「傘宮優理の人生と幸福」とかそんなタイトルで本を書く。大ヒットする。映画化もする。メディアに翻弄されながらも、色々人生楽しんで生きていく。優理の願った通り、太陽の笑顔を振りまいて幸福な生を歩む。あの世でニッコリするおじいちゃんがいたりいなかったり。


・灯華

今回もファインプレー。灯華がいなかったら子供の受け入れはこんなスムーズにいかなかった。その対価的に優理とデートしたりエッチしたりしていた。大人の関係。それでもいいかなと思える本編以上にかなりドライ。でもエッチは恋人プレイばかり。やっぱ未練たらたら。リアラに譲りたくはない人生だった。


・実咲

灯華にへらへら付いて行っていた。たまにゴミ掃除もしていた。暗器のお手入れは大事。

たまに優理が一人の時手助けをしたり護衛をしたりして、たまにエッチもしていた。メイドプレイがお気に入り。身体を重ねると情が湧くのは本当。気づいたら灯華と同程度に大切にしていた。そのせいで大怪我したりもした。最終的に優理を看取って、灯華も看取って、翌日に死んだ。疲れた顔で、でも満たされた顔をして。苦労人。でも人生は楽しかった。悪くない人生だった。


・モカとか香理菜とか。

今回もゆるっと生きてゆるっと死んだ。この二人は一般人代表みたいなものなので、特別関わりがないと優理の人生に深く踏み入らない。それも人生。まあエイラが万全で最高傑作な世界線も多く、そっちだとこの二人もよく関わってくるため、一概に関係値低いとも言い切れない。人生色々。

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