灯華と実咲の恋愛談義。
☆
――八乃院灯華所有自動車内。
「……」
流れる車窓より紺の空に溶け行く街を眺める。
灯華の家は現在地――優理の家近辺から四十分以上かかるため、思考を整理するにはちょうどよかった。
今日は色々なことがあった。
旦那様と思われる男性、
同じ建物で何度もすれ違って、気づいてくれるかしら、話しかけても良いのかしら、とまごまごしていたら向こうから声をかけてくれた。数回目が合っていたような気もしていたが、気のせいではなかったらしい。
耳は良く目も良い灯華ではあるが旦那様=優理との確信は持てなかった。しかしそれも優理が灯華の名前を呼ぶまでの話。
名を呼ばれ、顔を向けられ、声を掛けられ、少々の疑念は含むが親しみに満ちた瞳と声音に灯華は心打ち震えた。
ポーカーフェイスは保てて――微妙に保てていなかったかもしれないが、目の前で感涙したり歓喜の声を上げたりはしていないのでいいだろう。
優理が自身の脳に刻まれている旦那様だと知り、その旦那様と対面して思ったよりも……そう、思ったよりも自身の感情をコントロールできなくて驚いた。
「――私奴も驚きましたよ、灯華様」
「自然に人の心を読むのはやめていただけるかしら」
「申し訳ございませんが承服致しかねます」
はぁ、と溜め息。
ちらと運転席を見て目を逸らす。運転手の実咲は相変わらずだ。
「……わたくし、もっと自分に自信がありましたの」
「ほう。その心は」
「男性一人とお会いしたところで、動揺するとは思っていなかったのです」
「そうでしょうね。私奴の知る
実咲が頷くように、本来であればそうだった。
八乃院灯華と言う名前は、八乃院灯華という女はそれだけの過去と責務を負って生きている。分家筋とはいえ二十五歳の身で既にビジネスを成功させ、他分野でもちょっとしたアドバイザーとして名を馳せ始めている。親しみやすい雰囲気と物事を見定める"目"は人の心にするりと入り込む天性のモノであった。
名家の間では"能力"の扱いはそこそこだが、生まれ持った性格、人柄は優秀過ぎる人間たちの中において貴重だと言われていた。
男選びに少々難はあるものの、年齢を考えれば仕方のないことだと神妙な顔で頷く上の者も多かった。何せ当の上の人間たちもまた、夢を追って恋を追っている乙女ばかりだったのだから。中には現役で乙女をやっている者もいた。拗らせ乙女とも言う。
成功者足る自負があるからこそ、灯華は自分に自信を持っていた。
昔と違い目や耳も充分に使える。理解者足る男はいないが、それは性生活と恋生活への彩りが足りないだけ。少々物足りない人生ではあるが、自分の行動、選択、生き様については微塵も疑っていなかった。
「……不思議です。優理様の瞳が、声が、仕草が、わたくしの心を揺さぶるのです。あんなにも触れて欲しくて、同時に触れられたら心臓が口から飛び出てしまうんじゃないかと思ってしまい、触れて欲しくないとも思ってしまったのは初めてです」
「心臓が口から飛び出たら人は死にますが、灯華様は亡くなりかけたので?」
「言葉の綾です!まったくもうっ……」
口角を上げる実咲から目を逸らし、再び夜の車窓へ。
「しかし灯華様、私奴も灯華様が入れ込んでいる理由に得心致しました」
「うふふ、それはそうでしょうね」
「確かに過去灯華様が出会われてきた男性とは一線を画しておりましたね」
「ええ、ええ。そうでしょう?」
「私奴は灯華様ほど優れた目を持ってはおりませんが、それでも優理様の感情は手に取るように……そうそれこそ私奴の手のひらでころころと躍っているような御可愛らさに満ちておりました」
「優理様を脳内で弄ぶのはやめて欲しいのですけれど」
「ともかくですね。優理様が如何に特異な精神性を持っておいででも、所詮は庶民。灯華様も負けてはおりません」
「……?今わたくしのこと敢えて庶民と同等と言いませんでしたか?」
「申しましたね」
「あなた……はぁ。わたくしも庶民なので構いませんが、それで?」
「優理様、私奴に欲情なさっておりましたね」
「実咲さんではなくわたくしに!です」
「……」
「……」
珍しく実咲が茶化さず無言を保つ。
まさかと思い、灯華は運転席を凝視した。表情を変えずにフロントガラスを見つめる女が一人。
「……まさかとは思いますが、実咲さん?優理様に懸想などされていませんでしょう?」
「……」
「実咲さん?」
冗談じゃない。同じ男の取り合いなんて……あぁ、リアラのことを思い出してしまった。
友人のリアラが優理に入れ込んでいるのは……はぁ、また頭痛の種が増えた。けれど今は実咲のことだ。
じっと目を逸らさずいると、一瞬だけ口元がもにゅっとしたのが見えた。続いて。
「……灯華様、優理様は気の良い殿方にございましたね」
「え?は、はぁ。そうですね。わたくしもそれは感じております」
「優理様は灯華様に負けず劣らず――失礼、それは優理様の品位を貶めることになります。灯華様には及びませんが、随分と強い性欲をお持ちの御様子」
「わたくしに失礼です!!」
「それは失礼致しました」
「……実咲さん。回りくどいのは止めてちょうだい」
「
「そこまで本音を漏らせとは言っておりません……」
「はっ――これはメイドを堕とす卑劣な罠……ッッ」
「あなたを堕としたらわたくしも交通事故で命を落とすでしょう?」
「――上手いことおっしゃられますね」
ぺらぺらとよく回る舌だが、これで実咲は灯華の専属運転手兼秘書兼家政婦兼自称メイドなので、本当に優秀な人間なのだ。灯華にとっても気心の知れている相手であるため大抵のおふざけは適当に聞き流している。たまにうるさいなぁと思うこともあるが。
「けれど、実咲さんの本音は想定以上に酷いものでしたのね……」
実咲も灯華ほどではないが男に飢えていることは変わらず、普通に名家出身なのでネットで男探しをしているとは聞いていた。だがまさか、そんな性欲塗れな本音を漏らすとは思っていなかった。
「私奴も灯華様のメイド以前に、一人のオンナでございます故。ちょろくて好みで攻めも受けもどちらも(性的に)笑いながら熟していただけそうな男性がいるとなれば、秘所が疼いてしまうのも致し方ないことなのでございます」
「身近な人間の悦楽ほど反応に困るものはありませんのね」
「灯華様も優理様と出会って濡れましたか?」
「濡れました」
「……」
「な、何か言ってくださいまし!」
「ド直球過ぎて私奴も戸惑ってしまいました。失礼致しました。敏感灯華様」
「人の名前に変な形容詞を付けないでいただける!?」
「かしこまりました。ところで灯華様」
「はい?」
「ちょろ御可愛らしい優理様の腕を胸に挟んだ感触はいかがでしたか?」
「それはとても気持ちが良かったに決まっているでしょう?思い出しただけで背筋に心地良い痺れが奔るようで……。というか、実咲さんも抱きしめておりましたよね?」
「ええ、優理様の腕を私奴の胸に誘い込み、その繊細で太ましい殿方の腕に乳首を擦った瞬間はまさに――微かな頂が私奴の目に映りました」
「あなたそんなことしていたの!?!?」
「そうですが――何か?」
「なんですの、その顔……」
"私奴、何か悪いことしましたか?"と厚顔無恥な顔を晒していた。今の発言には恥しか含まれていなかったが……なんて女だ。さすがの灯華も戦慄を隠せない。
「それはそれとして、灯華様」
「は、はい。なんですの?」
「――アヤメ様、について」
「――……」
意識を切り替える。
こうして言ってきたということは、実咲もある程度察してはいるということなのだろう。
「……実咲さんは、どこまで?」
「計画の概要程度は存じ上げております」
「です、か」
呟く。なら知っているのは
「念の為尋ねますが、この車は?」
「出発前に電波及び電子機器の検査は掛けております。古めかしい録音デバイスでもあれば困ったことになりますが、自動車自体は余人の触れられない場所に置く故問題にならないでしょう」
「そうですか」
盗聴盗撮位置探知等がないならそれで良い。
「あまり丁寧にお話するものでもありませんから、簡単にお伝えします」
バックミラーで目礼してくる実咲に頷き、滔々と語る。
「昔、今より二十年前といったところでしょうか。
「夢人形に特徴はございますか?」
「目を奪われるほど美しい銀色。銀の髪に銀の眉、銀の睫と全身の体毛が銀色になっていたそうです。これは専用の育成機器を使った、もしくは遺伝子操作の副作用と言われておりますが、真偽は定かではありません」
「銀色、にございますか……」
実咲の呟きには返事をせず、しかし無言をこそ答えとした。
銀の髪。
日暮れ後の薄暗い世界にて、背後に遠のくシルエットであってなお美しく輝く銀の束。風に靡く白銀は空に浮かぶ月にも似ていて、人間離れした美貌と相まって儚げな妖精のように思えた。
「――しかし灯華様、アヤメ様はお元気な御様子にございましたが」
「……そうなのですよねぇ」
アヤメが夢人形計画の生き残り――成功作だと仮定すると、何故あんな元気に歩き回って食べ回って、最後はぴょんぴょん跳ねて手を振っていたのか謎で仕方ない。
「アヤメ様、とても御可愛らしい方でした」
「……連れ帰ろうとするのはやめてくださいまし」
「ふふふ、あれは冗談にございますよ、ふふふ」
「あなたが言うと冗談に聞こえませんのよ……」
「それはそれとして、アヤメ様は何故お元気で?」
「……」
理由は不明だ。
夢人形計画が再興されたなど聞いていないし、今の時代多くの人間がそれを許さない。
なら何がどうなっているのか。わかりやすいのは二十年前より何らかの手段で秘密裏に保管・保存されていた個体が目を覚ましたという流れだろう。
当時の技術は禁止され潰され、一部は完全にロストしたものもある。天才が集って隠れて行っていた実験なのだから、突出した技術の一つや二つ生まれていてもおかしくない。
ブラックボックスの生体研究で、時間をかければ夢人形生誕の副作用を消せる……という話があっても驚かない。まあ二十年もかかる技術を本気で取り入れようとする人間が当時いたとは思えないが。
「……不明です。ですがそこは問題ではありません。元気に過ごせているのならば普通の人間と変わらないのですから。優理様との同棲はとても……言葉で言い表せないほどに羨ましい限りですが、そこは重要ではないのです」
「灯華様、羨ましそうですね。ハンカチ必要ですか?」
「わたくしにハンカチを噛めと?実咲さんが噛めばよろし――もう噛んでいらっしゃる!?」
「うあやあひぃてひゅ」
「運転中に危険なことしないでくださいませっ!!!」
「――ふぅ、失礼致しました」
「ほんっとうに失礼です!」
お茶目を通り越して事故スレスレまで行っていた。
「重要なこととは?」
「……成功個体がいると知れば、国内外問わずアヤメ様の身柄を押さえようとする人間は出てくるでしょう。アヤメ様の肉体状況は不明ですが、少なくとも現人類を軽々と超えていることは確かです。わたくしの目で見て、軽く触れて、細身の肉体ではありえない筋肉密度を確認しております。要はヒーロー映画に出てくる超人です」
「……御可愛くて格好も良い超人とは魔法少女(物理)のようでございますね」
「無数の悪の組織に狙われる境遇ですのよ」
「私奴が守って差し上げねば」
「……少なくとも、今すぐどうこうはないと思われます」
「
「優理様のお近くに彼女がいらっしゃるからです」
「――あぁ、リアラ様にございますね」
「ええ」
そう、優理の近くにはリアラがいる。そのことは当然実咲も知っている。
あのリアラが、自身が入れ込んでいる男の近くに知らない影を見つけて調べないわけがない。彼女はそれが出来る立場にいる。優理たちがあんな呑気に遊びに出かけられているということは、リアラが諸問題について調査対処したと考えられる。
リアラも灯華ほどではないが、夢人形計画については知っているはずだ。
「リアラ様と言えばNINJAの技術を受け継ぎし変態集団の一味にございましたか」
「わたくしの友人を馬鹿にするのはやめてくださるかしら」
「ですが事実にございましょう?」
「……まあそうなのですけれど」
事実である。
日本の国家公務員(一部)がひいこら特殊な訓練を受けて異様な身体能力と異常な直感を持っていることは周知の事実だ。
リアラは元々センスがあったのか、特に危険や異常事態への直感がずば抜けていた。遺伝子挿入も一切していないはずなのに、普通に名家出身者と同レベルで人間を超越している。それもあって灯華はリアラに強い親近感を抱いたのだが……。
「――あぁ。リアラ様の愛しい殿方は優理様にございましたか」
「うぐっ」
「これが八乃院灯華のやり口、と」
「うぐぐ」
「リアラ様も悲しい御顔をされるかもしれません……御労しや」
「くぅぅ……ちゃ、ちゃんとリアラさんにはお話致しますっ」
「そうですか」
罪悪感に胸が痛む。
自称メイドの辛辣な物言いはしょうがなく受け止め、話を続ける。
「……リアラさんがいるなら、今すぐアヤメ様に危害が及ぶ可能性は低いでしょう。それに、現代には五感誤認アクセサリーがありますから」
「――――」
「実咲さん?」
「灯華様」
「は、はい」
「私奴、優理様の素顔を思い出し濡れておりました」
「……」
絶句である。
五感誤認アクセサリーからの連想でどうしてそう、一瞬でそんな思想に行き着くのか。
「繊細でありながら男らしい御顔。頬骨と首筋の色気がまた私奴の唇を求めているようで、何より押せば押した分だけこちらに靡いていただけそうな顔つきと雰囲気が堪りません」
「……優理様はわたくしの愛しい殿方ですのよ」
「?優理様は未だフリーにございましょう?」
「……そ、そうかしらぁ?」
「一番身近なのはアヤメ様だと思われますが、他はフラットかと。私奴にもワンチャンありますね!」
「ワンチャンもツーチャンもありませんことよ!!」
「そうですか。まあ灯華様が優理様にお会いする際は私奴も同行致しますので、今後ともよろしくお願い致します。これこそが一蓮托生と言うものにございますね」
「ううう……本当にわたくし一人でお訪ねしようかしら……」
ぼやきながら、やはりアヤメへの手助けはしておこうと考える。
リアラが動いていても、いつ何が起こるかわからない。名家の者として、過去の人間が犯した罪の清算を肩代わりするのは必要なことである。赤の他人ならまだしも、相手は自身の目と耳を形作る原型とも言える存在だ。強引だが、ちょっとした姉妹とも言える。
アヤメが妹、妹、妹……。
「……うふふ」
悪くない。
妹を助けるのは姉として当然の行いと言える。一人っ子の灯華にとんでもなく可愛い妹が出来るのは打算なく普通に嬉しく思えた。一緒にクレープを食べるのも楽しかったし、優理とは違う方向で灯華の世界にはいない生き物だった。存在からして純粋無垢な妖精のようなものだし、そう感じるのもおかしくないか。
姉妹なら一緒に暮らすのもおかしくない。つまり自然な流れで優理との同棲生活が始まる。
同棲なんてしてしまったらもう、どこまでいってしまうのか。即座にベッドin&ラブinに決まっている。最高の未来だ。
「……メイドが言えることではございませんが、私奴の主人はやはりとんでもない変態のようです」
涎を垂らしそうな勢いでだらしない顔をする赤毛美人を目にした黒髪のメイドが、ひっそりと呟いていた。
☆
――Tips――
「自称メイド」
名家あるある、というわけでもないが、優秀な使用人には癖の強い人間が多いのも事実。
八乃院灯華専属の使用人である冬風実咲はメイドを自称している。別にメイド服は着ていないし、普段からメイドっぽいことはしていない。それっぽい雰囲気でなんとなく自称したら面白いかなと雑な思考でメイドを名乗っている。
他にも自称メイドがいるかと問われると、意外にいる、という回答になる。名家の中には真実メイド(女)や執事(女)を雇っている者もおり、時代が進んでも場所場所では廃れず生きている伝統があるのだ。
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