プレゼント選び。
外食した後に歯を磨きたくなることはあるだろうか。
優理にはあった。前世より朝昼晩の歯磨きは欠かさず、大学でも会社でもきちんと歯を磨く習慣を保っていた童貞である。称号を持ち越しながら世界を跨いでも歯磨き習慣は変わらなかった。
そんな健康お口生活を保っていた優理と同居するようになった少女が、健康ならぬ健口を求めるようになったのは必然であった。
食後のお茶で生っぽさはある程度拭えたものの、完全な払拭には程遠い。口の中がねちゃっとしていて、なんだかあまり嬉しくないアヤメだ。
優理は一瞬、「ふ、この僕に任せな。君のお口はこの僕の舌でキレイキレイし」――さすがに自分でも言い方が気持ち悪過ぎて能面になる。頭を振り、考え直す。「キスしよう。キスすれば唾液が増えて気持ち悪さもなくなるさ。むしろエロい気分で満たされるからエロくなるよ。エッチだね!!」考え直しても変態は変態のままな変態童貞だ。妄想力だけは一丁前である。
「……ふぅ」
「ユーリぃ」
「あいあい。もうちょっと我慢してねー」
無駄な思考は捨て、速歩きで大きなショッピングセンターに向かう。少々お手洗いを借りさせてもらおう。幸いにも歯磨きセットならさっき買ったばかりだ。家用に加えて旅行お泊まりで使えるセットを買っておいてよかった。グッジョブ過去の優理。
ガムや口臭ケア用品でどうにかしてもよかったが、時間もあるし歯磨きでいいかと動いている。今後はともかく、今日くらいお姫様の言うことを全部聞いてあげよう。何せ今日はアヤメへのプレゼントデートなのだ。今日のデート自体がプレゼントの一種とも言える。
「……ふー」
トイレで歯磨きついでに用を足し、アヤメより先に外に出る。
当然のように女子トイレでアレコレを済ませるのはもう癖のようなものだ。申し訳程度に男子トイレを用意している建物側も悪いと思う。男女比率の都合上しょうがないが、小さいし狭いし盗撮の危険はあるしで、男として入る意味がわからなかった。
女子トイレの外は、というよりショッピングセンターの三階はカフェが併設された小物ショップ乱立フロアだった。
携帯を見ると時刻は十四時頃。クレープ食べてご飯二軒も回っていればそりゃ時間も経つかと頷く。大体想定通りの時間だ。
小物が多い女子っぽさ全開のお店並びも悪くない。意図せず来た場所だが、ここでプレゼントを買うのも悪くないだろう。
駅からは近く、客はそこそこ。歩き回るのは当然女性ばかりで、秋の色である紅葉カラーを取り入れたファッションが目立つ。すれ違った人の中には赤毛に紅のリボンをしている人もいた。
携帯を開き、今日のやるべきリストに現状への追記を○と△の記号で入力していく。
△ 青空&夕焼け空&夜空を眺める。
◯ アヤメ用のシャンプーや生理用品購入。歯ブラシも買った。
◯ お昼外食。
○ 夕飯をハンバーグにする。手作りしてあげる。そのための材料追加購入。
△ ソフトクリーム的な何か食べる。(クレープ食べた
◯ 家の食事用ミニ机と絨毯の新調視察。ほうじ茶色絨毯。黒茶色机。
アヤメのプレゼントを買う。
△ アヤメと見て回る。実質デート。
◯ 掛け布団を除いた寝具。毛布購入
冬に備えた部屋着の追加購入、
△ 多種化粧品、基礎化粧品のみ購入。
○ ティッシュ、トイレットペーパー、洗剤、食料品色々。
○はやり終えたこと、△はやったけど中途半端だったり微妙だったりすることだ。
「化粧品か……」
プレゼントと服は覚えていたが、化粧品は忘れていた。化粧水や乳液だけでなく、優理も使っているリップやファンデーションなどのお化粧道具だ。個人的にはアイシャドウが色々遊べるのでおすすめである。
アヤメは化粧せずとも雪妖精のような現実離れした可愛さを持っているので、お化粧が必要かどうかという話でもあるが……そこは本人に聞こう。カワイイパフとか保湿液とか、自分専用が欲しい!となるかもしれないし。
「……まあ後かなー」
「――ふふー!私、完全復活ですっ!」
「おー。おかえり」
「えへへー。ただいまです!」
家でも旅館でもホテルでもないが、なんとなく言いたい気分だった。
歯磨きを終えたアヤメはピッカピカな歯を見せてにぱーっと笑っていた。可愛い。
「アヤメ。これ見て」
「はい。……今日のご予定ですか?」
「うん」
「お洋服と、お化粧品と、私へのプレゼントですね!」
「そだねー。服は重くなるから最後で、化粧品だけど……アヤメってお化粧する?」
「むぅ……」
困った顔になってしまった。
アヤメにはお化粧について一度だけ簡単なレクチャーをしている。下地必要だよーとか、お肌のために日焼け止めもした方がいいねーとか、ファンデーションだけじゃ崩れちゃうからいくつか併用するよーとか、リップは色移りするから薄めが良いかもねーとか、アイメイクは擦ると落ちちゃうものもあるから気をつけようねーとか。
優理はできるだけ触れても崩れない化粧品を採用しているので、ごしごししなければ化粧崩れは起きない。リップだってほぼリップクリームに近い質感の物を買っており、匂いも味もあってないようなものだ。見た目より使いやすさ重視である。たまに遊び用で色々買っているが、本当にそれくらいしかない。
アヤメに色々教えた時は……まあ、難しい顔をしてちょっと嫌そうだった。面倒くさいよね。わかるよ。でも楽しくなる時もあるんだよね。だからやめられない。あと優理の場合は女装するに際して化粧は必須だった。
「……ユーリは、私にお化粧してほしいですか?」
「ん?いや別に。したくないならしなくていいよ。アヤメ可愛いし」
「!え、えへへー!ユーリーっ。好きですー!」
「おぉ、ど、どうも」
変な返事しかできなかった。
急に抱きついてきて驚いてしまう。嬉しい可愛い良い匂い柔らかい。体温が暖かくて、湯たんぽでも抱いているかのようだ。ただの暖房じゃこの快適温度は得られないだろう。
「ユーリ。私、お化粧したくないです」
「そっか」
「お化粧よりも、ユーリとお話していた方がいいです」
「そっか……ありがと」
「ユーリ、だからお化粧品はいらないです。ユーリのお化粧品でユーリが私にお化粧してくれれば、それでいいです」
「僕がするのか……」
「えへへ。ユーリがしたくなった時に、私にしてみてください。ユーリにしてもらえるなら、私なんでも嬉しいですっ」
「……うん。了解」
触れ合わせていた身体を離し、アヤメを撫でて羞恥を誤魔化すように歩き出す。
言葉は、不思議だ。主語がないだけでとんでもなくエロく聞こえてしまう。煩悩のせいか。煩悩のせいだな。
煩悶を虚無の果てに捨て、仙僧のごとく微笑みを浮かべ歩く。先の感触は忘れた。アヤメの身体、やはり柔らかすぎる。繊細なのにむちっとしていてエロい。単刀直入に言ってエッチ。
「たまたまこの階来たけど、小物多いしここでプレゼント買おうか」
「わぁっ、えへへー。私が選んでもよいのですか?」
「どうせなら一緒に選ぼう。あ、でも僕に選んで欲しいとか、自分で選びたいとかあったらそっちでもいいよ」
「むむっ」
とんでもない難問にぶちあたったような葛藤だ。
眉間に皺を寄せた美少女のおでこをうりうりと解し、小難しい顔をにぱにぱ笑顔に変えておく。超可愛い。
「えへへへ」
可愛いが、優理の手遊びのせいで悩みの答えは出なかったらしい。ちゃんと悩ませてあげよう。
どうせ全部見回ることにはなるが、ある程度先にどんな店があるか知っておいた方が楽だ。エレベーター付近の階層マップを見てぽつぽつ読み上げる。
「アクセサリーショップ、タオル屋、靴下屋、カフェ、鞄屋。へー、帽子屋もあるのか。香水……香水専門店はいいね。行こう。あとは雑貨屋が三店舗か。……まあまあだね」
ついどこかの主人公っぽい台詞を吐いてしまう。冷静に考えたらまあまあってすごい上から目線だ。優理は自己肯定感ゼロ男なので、上どころか下から、"すごいすごいだね"と言いたい。嘘だ。言いたくはない。なんだすごいすごいだねって、どこの方言だよ。
思ったより珍しい専門店が多くて期待値が上がる。出かける時は目的を設定して、それのために動く派の優理だ。ウインドウショッピング的に買い物するのは新鮮で楽しく感じられた。あと、普通に女の子へのプレゼント選びとかいうシチュエーションに超ワクワクしていた。いいよね、異性へのプレゼント選び。
「ユーリユーリ」
「はいはい」
呼ばれて振り向き、愛らしい雪妖精と目を合わせる。
「どうしたいか決まった?」
「あの……えと、えとですね。ユーリ」
「うん」
もじもじっと、アヤメにしては珍しく言いにくそうにしている。仕草と表情があざとい。けれど可愛い。もにょっとした口元がベリーキュートだ。
優理は変態で童貞だが、好々爺とした側面も強いので穏やかな面持ちで少女を待ってあげることもできる。年の功とはまさにこのこと。
「ユーリ。全部が、いいです」
「全部?」
「はい」
「……アヤメが選ぶのと、僕が選ぶのと、二人で選ぶのと三つ?」
「はい」
「そっかぁ」
「はい。……だめ、でしょうか?」
うるうるっと、窺いがちな瞳が心配そうに揺れている。
抱きしめて抱き上げてくるくる回って"あははー!"と見つめ合いながら笑い合いたい。妄想だ。
夢は振り払い、ゆるっと微笑む。
「いいよ。今日はアヤメへのプレゼントデートだもんね。それくらいお安い御用だ。全部叶えてあげる」
「わぁぁ、ユーリ!!」
「ふふ、アヤメは甘えん坊だなぁ」
「えへへぇ。ユーリは甘やかせ上手ですっ」
「あはは。相手がアヤメだからかもね」
傍から見たら完全なイチャつきだろうなぁこれと思いつつ、アヤメを抱きしめくるくるっと簡単に回っておいた。一面の花畑で抱き上げてくるくる回って倒れ込んでと、そんな夢は夢のままだが些細な願いらしく勝手に叶えさせてもらった。
傘宮優理はこれで結構な夢見る乙女なのである。そりゃユツィラリスナーとも気が合うというものだ。
輝かんばかりに笑顔いっぱいなアヤメと二人、小物フロアを物色していく。
第一、靴下屋。
「ユーリ、靴下がほしいのですか?」
「アヤメは欲しくない?」
「お家にはあります!でもウユニロではあんまり買っていないので、後で買いたいです」
現状アヤメの靴下は家だと素足、出かける時は以前買った数の少ない靴下、気が向いたら由梨用の靴下を履くようにしている。今後冬で寒くなることを見越して、靴下も厚いものを買って損はないだろう。ただまあ。
「後でまとめて買うかぁ」
「です!」
ということで、靴下屋はするっと抜け出る。
第二、帽子屋。
まだまだ見るべき店は多いが、優理としてはここが本命だった。
帽子屋と言えば髪の毛、髪の毛と言えば髪留めである。アヤメの髪留めは花型の物一つだけなので、もう一つか二つプレゼントしてあげたかったのだ。前髪をまとめて横によけているため、ぱちっと髪の房を留められる物が良い。
「お帽子がいっぱいですっ」
「そうだねー。被ってみたいのあったら言ってね」
「はいっ」
店内をゆったり歩きながら、ちょこちょこ気になった帽子をアヤメが被っていく。簡単なファッションショだ。
髪の長いアヤメにはつばの広い帽子が似合っており、水色のブラウスには一般的な中折れ帽子が似合っていた。特にクリームっぽい白系はアヤメの銀髪を際立たせ絵画を演出する。上目遣いに"似合ってますか?"は普通に可愛すぎてドキドキしてしまった。
つばのないハンチング帽やまるっとしたベレー帽も試していたが、最終的に頭を撫でてもらえないということで帽子は買わないことになった。なでなでしてあげるとぽやぽやにっこりする。アヤメは可愛いなぁ。
美少女に癒され、待ちに待った髪留めエリアにやってきた。散策途中、ふわふわっと金木犀の香りがして気分の良くなる優理だ。
ふんふんと頷き、たくさんの髪留めが並べられたテーブルと棚を眺める。女性ばかりのこの世界、髪の毛に関わる商品があれば髪留めも絶対あると思った。予想通りである。
「アヤメやい」
「はい」
「僕はちょっとプレゼントを選ぶから、目をつむるか帽子見てるか、僕の服で顔隠すかしておいて?」
「じゃあユーリにくっついてお顔隠しますっ」
言った途端、ぱっと目の前のアヤメが消えて優理のコートに横から抱きついていた。通りで左半身があったか柔らか気持ちいいと思った。
肩付近に顔を埋めているせいで身動きが取りづらい。しかしアヤメがにんまりしているのが見えてしまって離すのも忍びない。しょうがなくそのまま髪留め選びに入った。
前髪用とはいえ、アヤメの毛量は多いので髪留めは大きくないといけない。
デザインの可愛いものはどれもこれも小さなヘアピンやヘアクリップばかりでアヤメには向いていない。なら大きめの物の中から……。
「お」
手を伸ばし、一本のヘアクリップを手に取る。
黒を基調とし、薄く白の線で彩られた先に淡い桃色の桜が一輪咲いている。シンプルだが小さな桜の装飾が可愛らしくも美しかった。やはり桜は良い。
アヤメの手持ち髪留めもヘアクリップ式で、全体薄紫色に
ちなみにヘアピンとヘアクリップの違いはどちらも挟んで留めるもので、ヘアピンは刺さって痛い、ヘアクリップは挟んで痛い、となる。
ヘアピンはバチン!としっかり挟め、細いので指に刺さると痛い。ヘアクリップは実質洗濯バサミなので指を挟むと痛い。優理はどちらも経験済みである。
ゆるっとカーブした大きなヘアクリップはダッカールと呼ばれ、値札にもその名称が書かれている。
メインの色が黒だから銀髪にもよく映える。桜カラーも綺麗で、アヤメの可愛さがプラスワンされる。桜好きとしては是非使ってほしい髪留めだった。
「アヤメ。目開けて?」
「はい……それ、は?」
「ふふ、ダッカール。大きなヘアクリップだね。簡単に使えて楽なんだ。試着用みたいだし付けてみる?」
「はいっ。ユーリ、付けてくださいっ」
「いいよ任せてー」
由梨のウィッグもそれなりに毛量は豊富なので、髪弄りはお手の物だ。
アヤメの髪留めを外し、そっと少女の手に持たせる。流れた銀糸がさらさらと腕をくすぐる。滑らかで、細かやかで、それでいて芯と艶を持った美麗な髪の毛だ。前に垂れた髪を拾い、右にまとめてよけて耳にかける。優しく押さえ、長いクリップで留める。銀の空にひっそりと桜が咲いた。
「できたよ」
「ん……ユーリ……私、似合っていますか?」
「うん。すごく似合ってる。綺麗だ」
近くの鏡で髪を確認してもらう。最初はよくわかっていない顔をしていたが、自分の身につけている髪留めを見て次第に口元を綻ばせる。鏡に太陽の笑みが浮かんだ。
「えへへぇ」
「買おっか」
「おねがいします、ユーリ!」
「任せて」
ダッカールを外し、いつものヘアクリップを付けてあげる。桃色桜のヘアクリップと、デザイン同じで桜だけ白色になったものも手に取ってお会計に持っていく。アヤメには内緒だ。家に帰ったら改めてプレゼントしてあげよう。
「えへへー。ユーリユーリー、プレゼントありがとうございます!」
「うん。喜んでくれて何より。けどアヤメ、まだ一個目だから喜ぶのは早いかもよ?」
「ふふーっ、いいんです。嬉しいのは嬉しいのでいいんです。ユーリユーリ-。えへへー」
ずいぶんと嬉しそうに幸せそうにして、心の底から笑顔に満ちている少女を見て優理もついつい笑顔になってしまった。
まだプレゼント選びは終わっていないのに、もうやり切った感さえ生まれてしまう。けれどまあ、それもいいかと思う。アヤメの言ったように、嬉しいものは嬉しいし楽しいものは楽しいのだ。
なんとも不思議な心地良さに身を浸しながら、二人はプレゼント選びを進めていく。繋いだ手の温もりに、今だけは一切の煩悶を覚えない優理だった。
――Tips――
「プレゼントしたいorされたい欲」
言うまでもないが一応述べておくと、プレゼントの相手は異性に限る。また多くの場合、恋人のいない女性が持つことの多い欲求でもある。
年を経ると定期的にプレゼントされたいされたいされたいしたいしたいしたいとなる厄介な欲であり、金では替えられない大きな価値を持つ。何せ実際の金持ち間においても、リアル男性にプレゼントを贈れない(物理的に)女性は山ほどいるのだから。
プレゼントを贈るにせよ、贈られるにせよ、一般的価値観を持つ女性を相手にするならばその重みを理解しておくことが肝要であろう。
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