第三章、傘宮優理と配信者ユツィラ。

二人のお出かけ①

 それは、優理がモカの家から帰って数日後のこと。

 かねてより考えていた、"アヤメのやりたいことリスト"を消化するため、優理は今日、早起きをしていた。


 水曜日。全休日である。大学生ってすごいわと、ひしひし休日を噛み締める元社会人の優理だ。


 目覚ましより早く目覚め、微睡みと心地良い布団の重みを跳ね除け目を開ける。同時、視界に入る藍色。


「……」

「えへへー」

「……」

「……えっへへぇ」

「……おはよー」

「おはようございますっ、今日は私の勝ちですね!えへへー」


 とろけた笑みが可愛らしい銀髪藍眼の美少女、アヤメだ。

 ベッドの縁に両肘を立て、手のひらの間に顎を乗せてニコニコ笑っていた。そのポーズは由梨の専売特許のはずでは……。女装対抗心が芽生える変態童貞である。


 昨日の"日本のエロゲ―歴史についての考察(ガチマジ本気)"配信のせいで寝不足気味だ。アヤメは先に寝ていたので、今日の早起きも特に苦はなかったのだろう。時刻は……朝の六時五十分だ。五時間睡眠はさすがに眠いか。


 人工知能であるAIとお喋りしてきゃいきゃい喜びぴょんぴょん跳ねている美少女を避け、洗面所に向かう。顔を洗い、うがいを済ませ、眠気を飛ばして顔面に化粧水と乳液を塗りたくる。お肌の保護、大事っ☆


「ふーむ……」


 朝食の準備をしながら、今日の予定を整理する。


 一つ、青空&夕焼け空&夜空を眺める。

 二つ、アヤメ用のアレコレ色々を買う。

 三つ、お昼を外食にする。アヤメの食べたいもの待ち。

 四つ、夕飯をハンバーグにする。手作りしてあげる。そのための材料追加購入。

 五つ、ソフトクリームを食べる。

 六つ、家の食事用ミニ机と絨毯の新調視察。

 七つ、アヤメのプレゼントを買う。

 八つ、アヤメと見て回る。実質デート。


 こんなところか。

 頭に浮かべただけでもこんなにある。特に二つ目が大変だ。アヤメのアレコレはエイラと話して決めた色々な消耗品他で、部屋着や生理用品も含んでいる。あと下着も。


 リアラに待ちぼうけを食らった日に、化粧せず男として出かけて問題は起きなかったので今日も女装せず化粧せず出かけようと思う。あの日の収穫はリアラとの信頼度が上がったことに加え、この"女装しなくても意外と男だと気づかれない"こともあった。五感誤認アクセサリー様様である。


「ユーリユーリ。今日の朝ご飯はなんでしょうか?」

「おっとびっくりした」


 優理の横から顔だけ覗かせて聞いてくる。相変わらず距離感が近くてドキドキしてしまう童貞だ。

 興味津々に皿を見つめている食いしん坊ちゃんに答える。


「えっとねー。今日はレタスと……露骨に嫌そうな顔するね」

「だ、だって苦いですっ!」

「ははっ。まあまあ、昨日のトマト煮込み風鶏肉と食べれば苦くないからさ」

「むぅ……しょうがないレタスです。食べてあげますっ」

「良い子だね。よしよし」

「え、えへへ」


 皿の上にレタスを敷き、昨晩の残りである温めた鶏肉のトマト煮込み(風ソース)を並べ、上に目玉焼きを置けば完成だ。ご飯は十六穀米で健康志向に。前世より続けていた青汁はアヤメの分を牛乳に溶かしておく。優理は水だ。


 最初飲んでみて"苦いです……"と可哀想で可愛い顔をしていたが、優理は飲み続けると知って真似するようになった。牛乳のおかげで苦みは薄れ、苦いとは言わなくなった。微妙な顔はするが。


 朝食ワンプレートを机に持っていき、青汁は……。


「アヤメ、青汁先に飲んでおく?」

「飲みますっ」


 向こうに持っていっても机が小さいので、こぼしたらなぁと先に飲んでしまう。アヤメが起きている時はこうなることも多い。


「いただきます」

「いただきます!」


 あちあちになるまで温めた鶏肉はほかほか湯気を立て、レタスをしんなりさせている。

 器用に箸を使って食べ始めるアヤメを眺める。


 自分の作った物を誰かが美味しそうに、それはもう幸せそうに食べる姿はこちらまで嬉しくなる。本当、アヤメは心底美味しそうにご飯を食べてくれる。


「美味しい?」

「おいひいです!」

「ならよかった。ご飯のお代わり欲しかったら言ってね。たくさんあるから」

「はいっ!」


 アヤメは小さく細い身体で健啖家なので、ご飯はよく食べる。朝も昼も夜も本当によく食べる。元の家に居た頃はそこまで食欲も湧かなかったそうだが、優理のご飯が美味しくてたくさん食べられると言っていた。


 こっそりエイラに聞いたところ、消化効率が現人類の数十倍は良く、余剰栄養の保持は筋肉が行うためたくさん食べても大丈夫らしい。細胞レベルで栄養を蓄えられるから太ることもないし、必要な時は溜まった栄養の分だけ頑張れる。いわゆる"火事場の馬鹿力"を簡単に使えるシステムが構築されているとか。ちょっと何言っているのかよくわからなかった。


 とりあえず、アヤメはいっぱい食べても太らないとわかった。

 普通に羨ましい。遊んでいても筋肉は衰えないし、食べても太らないとか理想の肉体だ。

 

 頬にご飯を詰め込んで可愛いアヤメを、ゆっくり食べなさいと諭しながら優理も食事を進める。


「今日はどこ行こうかな……」


 呟き、期待をいっぱいに含んだ眼差しに微笑みかけておく。にこぱーと笑われた。笑顔が眩し過ぎる。これが"尊い"という感情……!


 妄言はさておき、今日のお出かけ先だ。

 車はないので移動は徒歩&電車である。持ち物はアヤメがいるのでかなりの量を運べるだろうが……いくらなんでも自分より小さく華奢な美少女に荷物運びをさせるのは忍びない。今日はアヤメへのプレゼント(お詫び)デートデイである。


 とすると、やはり二度に分けて出かけるのが最良か。


「……ふーむ」

「ユーリ、ユーリ」

「なんだい。お嬢ちゃん」

「えへへー、どこにお出かけするのでしょうか?」

「うーん。考え中ー。けど二回お出かけしようかなって考えてたよ」

「二回も!楽しみです!!エイラ!二回もお出かけですよ!」

『肯定。アヤメ様、存分にお楽しみください』

「えへへー。楽しみですっ」


 ニッコニコなアヤメに優しく笑う優理と、主の喜びにご満悦なAIだ。


 喜んでいるアヤメはいいとして、買い物だ買い物。

 電車を使っての遠出は確定であり、近出でも色々買い物をしよう。消耗品とか食材――はリアラとアヤメが買い足してくれたからいいのか。あぁでもハンバーグ用の色々は買おう。合い挽き肉とか豆腐とか。


「色々買わないとね。アヤメー、お手伝いよろしくね」

「はいっ、頑張ります!」


 口端にトマトソースを付けた少女の口元を拭ってあげ、ゆったりと朝食の時間を過ごす。

 良い朝だ。けど超眠い。



 十月の十八日、水曜日、朝九時前、天気晴れ時々曇り、気温低め。


 秋も深まる十月の中旬。

 半袖だと昼間でも肌寒さを感じ、夜は冷えた空気に鳥肌を立てることになる季節だ。


 優理は秋らしく橙色の長袖ボタンシャツに渋い紅茶色の長ズボンを穿いていた。

 鞄は肩掛けにエコバッグを詰め込み、そこそこ量を持って帰れる仕様にした。


 外に出て、雲の流れる青空を見上げて。

 深呼吸して朝晴れの気持ちよさに目を細める。天候に恵まれたお出かけ日和と言える。


「ユーリー」

「はいはーい」


 後ろからお呼びがかかったので振り向く。

 エントランスホールを抜け、ぱたぱたと駆けて来た銀の少女、アヤメだ。


「ユーリっ、歩くのが早いです!」

「あはは、ごめんごめん」


 むむっと眉を寄せて近づいて来たアヤメの頭を撫でる。眉尻が下がってふにゃりと表情が崩れた。可愛い。


 今日のアヤメは長い長い、それはもう膝下まで伸びる長い銀糸の髪をポニーテールにしていた。日差しを浴びてキラキラ輝く銀色は一本の尾のようで、普段の繊細さに加え強い躍動感も備えていた。アヤメの活発さがよく伝わってくる。


 服装は以前ウユニロで買ったという長袖ブラウスと膝下までのロングスカートだった。上は淡い水色、下はほんのり灰色がかったホワイトグレイ。上品なお嬢様といった装いをしている。


 本来なら銀の髪も藍の瞳も、服装ですら五感誤認アクセサリーにより曖昧になるはずだが……優理は今日初めて、長々使っている誤認アクセサリーの新機能を知ってしまった。


「まさか、事前設定でアクセ同士の効力打ち消せるなんて……」


 パソコンで設定することにより、承認済みのアクセサリーが近距離にあると誤認機能を打ち消せるシステムが存在した。SF的に言うならミラージュキャンセラー……。


 優理のネーミングセンスはさておき、アクセサリーの優秀さは健在だった。

 現状、他所の人間から見れば優理とアヤメはしっかりと誤認が働き印象の薄い人間になっている。対して二人の相互認識はいつもと同じだった。アヤメの目に優理は普段の優理に見え、優理の目にアヤメは普段のアヤメに見える。


 もしも優理がウィッグを被っていたら、化粧をせずウィッグだけ羽織る女装未遂変態が映っていたことだろう。


「よっし、まあいいや。行こうかアヤメ。まずはアヤメがリアラさんと行ったスーパーに行くよ。あのお店、二階は食品以外を売ってるんだよね」

「そ、そうなのですね……」


 アヤメの声が上ずっていたので、歩き始めた足を止め振り返る。

 背後では肩掛けの大きめな鞄(由梨用)を身につけた少女がもじもじしていた。


「アヤメ?どうかしたの?」

「えと、えと……」


 足をとんとん、指をいじいじ。髪をゆらゆら。

 雪妖精の可愛い仕草は本当に可愛らしく、薄っすら赤らんだ頬に思わずにんまりしてしまう童貞だった。可愛いは正義だ。


「ふふ、いいよ。なんでも言ってみな」

「ぁ、は、はい。えと……ユーリ、お手を……ぁの、お手をっ」

「……なるほど」


 単語を拾い、即座に答えを導き出す百戦錬磨の恋愛強者(ゲームで)な優理だ。

 これはもう答えは簡単。


「おっけー。手、繋ごうかー」

「あっ――は、はいっ!!」


 笑顔の花満開。

 輝かしい笑みに見惚れたのも一瞬、差し出した手にちょこんと小さな手が乗せられ、きゅっと握ればささやかな力が返ってくる。なんともこそばゆい気分だった。


「えへへ」


 横を見れば、はにかんで緩く笑う美少女の姿がある。

 見上げれば青の空。隣には同居人の可愛い少女。自分は童貞。


「良い空だなぁ――あぁ。そうだアヤメ」


 思いついた。というより思い出した。

 幸福に満ち満ちた少女を見て、空いている手を空に向け指を伸ばす。何度も話そうとして、結局忘れてタイミングを逃して言えず、ここまで引き伸ばしになってしまったこと。


「――アヤメ、ようやく一個目の約束果たせるね。青空だよ。僕の好きな空だ。少しだけ一緒に見よう?」


 言葉を紡ぐ。

 目を丸くして驚き、すぐに喜色満面、顔いっぱいに眩しい感情を広げた少女が言う。


「ユーリ!」

「うん」

「お約束していました!」

「だね。電話でも、メッセージでも、こうして面と向かっても。たくさん約束したね」

「私、忘れちゃっていました!」

「あははっ、僕も全部は覚えていないからお相子だ」

「えへへ、お相子です。けど……ユーリに言われて思い出しました。お空――お外に出て最初に見た時も綺麗でしたけど。けど……」

「けど?」


 きらっきらな眼差しを青空に向け、次いで問いかけた優理に流す。美しい藍色に空色が混ざり、幻か何かなんじゃないかと優理は思ってしまう。けれど、繋いだ手のひらから伝わる体温はアヤメの実在を教えてくれる。妖精だけど、妖精じゃない。妖精のような、可愛らしい同居人の少女だ。


「――けど、ユーリと一緒に見た今の方がずっとぽかぽかしていますっ」


 空いている手を胸に当てて嬉しそうに笑う。見ていて優しくなれる、柔らかな笑顔だった。


「うん。……僕も一人で見る時より、ずっとぽかぽかしてるかな」


 少しだけ照れくさくて、耳の横を掻いて少女から目を逸らす。

 ころころ笑って手に力を込めてくるアヤメと、ほんの数分程度、朝の空を見上げてなんでもない話を続けた。





――Tips――


「アヤメと優理の約束」

それはまだアヤメが一人で暮らしていた頃。外の世界を知らず、画面越しに知識だけを得ていたアヤメは唯一のコミュニケーション相手である優理と様々な約束を交わした。

一緒に空を見たい。一緒にお出かけをしたい。手を繋いでみたい。手料理を食べてみたい。眠るまでずっとお話していたい。

どれもこれも、本当に些細でありふれていることばかりであった。優理にも叶えられる願いで、けれどアヤメにとっては何よりも望んだ夢のような願いだった。

交わした約束の数知れず、お互いに忘れてしまったものも多い。そのうち優理が強く覚えていたものが"一緒に空を見る"ことだった。外への憧れを持っていた少女に、外の象徴とも言える空を二人で見ようと、以前優理はそう告げた。

願い叶い、約束は一つ果たされた。けれど未だ、アヤメと優理のありふれた約束は数え切れないほどに残っている。日々増えていく約束をすべて果たすまで、優理がアヤメを見失うことはないだろう。

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