第3話魔法書は危険

 階段から落ちで大怪我をして以来、女神様の使徒らしい不思議な気配は、一切感じられなくなった。


 半年ほどハイハイを続けると、身体が出来てきて、案外すっと2足歩行できるようになった。

 ハイハイをしっかり続けたせいか、足腰がしっかりしている。

 言葉も話せるようになった。ペラペラ喋れそうだが、これも無理せず、二語文からにしておこう。

 「ママ、おしっこ」とか言うと喜んでもらえるし、トイレくらい自分でしよう。

 何よりもザルムとクヒカがくれる惜しみない愛情が、あまりにも嬉しくて、ありがたくて、恥ずかしい。

 クヒカの焼くパンの香ばしい匂いが、平和と幸せをいつも教えてくれる。


 これを当たり前と思ってはいけない。大怪我を必死で治そうしてくれたクヒカのあの日の姿を、一生目に焼き付けておこう。


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 自力で不運に対抗すると決めて、まずどうしようかと考えた。

 両親の保護や、女神様の使徒や加護に依存するのは駄目だ。階段で落ちた時は、女神様の使徒の魔法で助かったけど、危なかった。

 ただできることを最大限やるだけでは、足りない。元の世界で、俺は一生懸命頑張っていた。でも、不運には勝てなかったし、最後には死ぬことになってしまった。


 文字はまだ読めないが、言葉が初めから解るのは、大きなことだ。まず、この世界のことを知ろう。そして、何ができるのか、何をすべきなのか知ろう。


 言葉が解っても、文字を自力で理解するのは無理だ。クヒカやパナニに、字を教えてもらうよう、せがむことにした。

 でも残念ながら、パナニは、字を書くのが苦手らしい。これは、クヒカに頼むしかない。


「かきかき、したい」


 クヒカは、目をキラキラさせて喜んだ。


「あぁ、エレム!なんて賢い子なんでしょう!文字を書きたいのね。私がなんでも教えてあげるわ。あなたは幸運の子。あの日の奇跡を私は忘れないわ」


 ちがうよ、とクヒカに伝えたかった。俺は、不運の子。もしかしたらいずれ、あなたにも危害を加えてしまうかもしれない。俺こそ、クヒカに助けてもらった恩は忘れない。そのために、力をつけるんだ。


 クヒカに教わったことは、尊い。

 この世界には、普通の言葉と魔法の言葉がある。文字にも普通の文字と、魔法の文字がある。

 魔法の言葉と文字は、魔法使いだけが扱うことができる。魔法の文字で書かれた本は、普通の人には手を触れることをできず、無理に身体に触れると意識を失ってしまう危険なものみたい。

 ザルムは、魔法は一切使えないということだ。ちなみに剣も使えない。その代わり、有能な文官で、王都シャーヒルから派遣されて、ペンプス村を守護している。

 なんでもマクルタ・ザルムといえば幼いときは神童と呼ばれた存在だったらしい。王都シャーヒルの権力争いに嫌気が差して、この片田舎に落ち着いた。

 もちろん、まず普通の文字から教わった。この日から俺の愛読書は図鑑と辞書になった。元の世界の知識とこの世界のしゃべる言葉と、目の前の文字を一致させていくのが、楽しい。

 朝から晩まで辞書を読んで、覚えるために紙に書いていく。


 ザルムは、俺の姿を見て、何かを決意したかのように、家にある本という本を読ませてくれた。文官というだけあって、蔵書の量は、数千冊はあった。


 3歳になったころ、ザルムは言った。


「天才だ。。文字の覚えもいいが、計算が素晴らしい。エレムは、簡単な簿記くらいなら覚えれそうだな。

 エレムが大きくなったら、私の仕事を手伝ってもらおうかな。ふふふ。これでマクルタ家も安泰だ」


 元の世界で、簿記2級まで取っていたのが、まさか、こんなところで役に立つなんて!育ててくれているザルムにも、恩返しがしたい。

 いつか俺の不運のせいで迷惑をかけるかもしれない。その時に、役に立てるようにしないと。



 5歳になった時、どうしても読めない本と出会った。外国の本なのかな。


 「ママ、この本どこの国の本なの?」


 クヒカは、その本を見るなり、血相を変えて取り上げた。


「なんてこと!エレム、この本はダメよ!あぁ、私の不注意ね。この本、見つからないと思ったら、こんなところに!でも。。。」


 そう、俺が手に取ったのは魔法書だった。危険だから絶対触ってはダメだとクヒカから言われていた。子供が不注意で触って、死んだこともあるって。

 いやいや、危険すぎるよ!かなり慎重に過ごしていたのに、あっさりとまた死の危険に踏み込んでしまった。

 でも、なんとか無事だったんだ!まず、死ななくてよかった。もう、怖い。身の回りに潜む危険が、ふとした瞬間に、生きることを脅かすのが。

 力が抜けて、へたり込む。


 青信号だからって、安全な訳じゃない。


 そうだったじゃないか。なんですぐに、油断してしまうんだ。


「ひっ、ひっく」


 また、大切に育ててもらっているのに、また命を無駄にするところだった。そう思うと、涙が込み上げてきた。

 死んだら、こんなに愛情深く育ててくれているザルムとクヒカを悲しませてしまう。

 なんの恩も返せずに。いや、むしろ、今死んでしまったほうが、大きな不運に巻き込まなくて済むのかな?俺なんか、いない方が。。。


 クヒカがぎっうっと、俺を抱きしめてくれた。そして、拍子抜けするくらい楽天的に言った。


「ごめんなさいね。大きな声を出して。

 でも、エレム、あなた、きっと魔法が使えるのね!そうでなかったら、本に触れることさえ、出来ないはずよ。

 今度は、魔法の言葉を教えてあげるわ!」


 それから2年経ち、俺は5歳になった。ザルムからは、簿記や公文書の書き方を学び、クヒカからは魔法書の読み方を教わった。


 普通の言葉で書かれた本と魔法の言葉で書かれた本を読み漁って、この世界のことがわかってきた。


 伝統学派の魔法使いが魔力をこめて書いた本が魔法書と言われている。

 この世界の人類は、魔力が弱いエリアでのみ生存している。強力な魔族や魔物が支配する未踏の領域に足を踏み入れることは、現時点では不可能らしい。


1. 魔草

 まず、魔法には特定の魔力を秘めた魔草か魔石が必要。ファラム国では魔石が産出しないため、主に魔草が使われる。様々な属性の魔草から魔法使いは力を引き出し、魔法を実行する。


2.魔法の使い方

 魔法使いは素材から力を抽出し、その形や速度で自分の力量を示す。魔草が魔力を使い果たすと消滅する。


3. 魔法の種類

 魔法書によると、魔法は、火、氷、風、土、草木の5種類が見つかっている。属性は魔草の種類によって決まる。火炎草から、火の魔法ということ。


4. 魔法の発動方法

 魔法の発動には詠唱が主流。昔は詠唱に時間がかかったけど、時代と共に短縮され、現在はより迅速に魔法を使うことが可能。


5. 魔力の耐久値

 1日に魔草から魔力を引き出せる量は、人によって決まっている。魔法書には魔力の耐久量は、遺伝すると記載されている。


 魔法使いのグレードは、魔力の抽出のスピードが速い順番でSS.S.A.B.C.Dの5つがある。

 スピードは、魔法を出す速度、一度に出す魔法の量や強さに影響する。

 魔力の耐久値は強い順に5、4、3、2、1とグレード分けされている。

 耐久値は、1日に魔法を使える量。充分寝て、起きたら回復する。

 ちなみにクヒカは、A4のグレード。これは国に1000人ほどいる魔法使いのなかで上位50位に入る。母、すごい。

 人類の人口が50万人。世界は、ガルダ国、ソトム国、ファラム国の3つの国があり、この国ファラムの人口は20万人。魔法使い1000人は、200人に1人。なかなかの少数派だ。実際、人口700人のペンプス村には、クヒカのほかに魔法使いが1人。クヒカの祖母ゾゾ長老が隠居しているくらいだ。

 現在、現役で世界最高の魔法使いは、S5。このファラム国の王都シャーヒルにいる、フラザードという天才魔法使いらしい。そのフラザードでも未踏地域の魔獣には、全く太刀打ちできないという。

 そもそも手にできる魔草が弱すぎるのかもしれない。1番強い火の魔法でも、火炎草ファイという入手も栽培も困難なレア素材を使って火柱を作り、熊くらいの動物を1頭焼き殺すのがやっと。

 しかし、対する魔獣は、最弱と思われる小型の炎犬という魔獣でも、一瞬で兵士10人を焼き尽くすほどの炎を吐くらしく、力の差は圧倒的だ。人類は、未だ炎犬を倒した記録すらない。

 人類は、魔獣たちが興味を示さない、魔力不毛の地で、ひっそりと生きている、弱肉強食の世界で底辺の動物にすぎない。幸いなのは、魔獣が、それほど人類に興味がないということ。よかったね、人類!

 人類が、魔獣の領域に足を踏み入れない限り、世界の限られた領域で、ささやかな平和を維持することができる。


 俺は、どうしたらいいのか考えた。

 この限られた環境で、どれだけ魔力の耐久値を伸ばし、魔法の技術を高められるかが鍵になる。

 不運に打ち勝つためにも、いつか、あの未踏の領域に挑戦したい。これは、野望だけど、普通の生活を守るために必要なことでもある。

 当たり前の生活の延長線上には、きっとまた抗えない不慮の事故が起こる。


 目標ができた。

1 ザルムから魔法がなくても生きて行く教養を学ぶ

2 クヒカから魔法について学び自衛する力をつける

3 人類未到の地を探検し、不運に対抗する力を得る


 俺は、可能な限りの魔法の練習を続けることに決めた。

7歳になり、いよいよ明日から、クヒカが育てた薬草を使い、詠唱による魔法の練習を始める。ちなみに、この魔草を育てるというのは、ファラム国でもクヒカと数人しかできないすごいことらしい。

 明日が楽しみ!

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