第2話これが異世界

 まぶたを開けると、青い髪の若い女性が俺を覗き込んでいた。

 きれいな人。

 低い男性の声がして、隣に誰かいるのが分かる。


 戸惑いや嬉しさ、色々な気持ちが表情から見て取れる。

身なりが良くて、品のよさそうな人。髪も髭も緑色だ。青や緑の地毛がある世界なのかな。

 どうやら平和で喜びに満ちた風景の中にいるらしい。


「なんて可愛い赤ちゃんでしょう!ねぇ、見て、口元がザルムにそっくりよ」

 

 女性が俺を見て、にっこり笑っている。いきなり言葉が理解できるなんて、これはすごい!女神様に感謝するしかない。


「そ、そうかな?そうだね、目はクヒカにそっくりだよ」

 

 男性は、ぎこちないけど、それでも嬉しい気持ちがあふれている。


「あー、うあー」


 何かを少しでも話したくても、口元がうまく動かない。なんとか、声を出せて、こんな感じ。

 どうやらこの夫婦の赤ちゃんとして、この世界に生を受けて転生したらしい。

 赤ちゃんというのは、すごい。こんなに無防備なんだ。少しでも不運があったら、イチコロでやられてしまう。

 早く不運に備えて、力をつけないと。

 俺は、この異世界に生まれた日から、やがて来る不運に備える覚悟を持った。


---



 1ヶ月の月日が流れた。


 おかしい。不運なことが起きない。こんなに愛情に包まれて、無防備に生活していて大丈夫なのかな。

 前世の記憶が残っている分、いつ死んでもおかしくないような心許なさを感じる。

 記憶を残しての生まれ変わり。

 これからの人生への期待と、不運に対する恐怖で、落ち着かない。


 両親は、豊かな家柄なのか、召使いのパナニという女の子がいて、何も不自由がない生活を送っている。

 それなりにお金があるみたい。いきなり、目標としていた普通よりも、ワンランクもツーランクも上の生活!

 日本とはまったく違う、どちらかというとヨーロッパ風の建物や服装。刺繍や色の合わせ方が、異国情緒たっぷりで面白い。

 産業革命は数100年後と女神様が言っていたように、電気はおろか蒸気も含めて、人力以外の動力を使ったものは何も見当たらない。

 明かりも電球ではなく、ロウソクや油を使ったランプを中心に使っている。

 それにしても赤ちゃんというのは、素晴らしい。無条件に保護してもらえるってすごい!

 好きな時に好きなだけ乳を飲み、好きなだけ眠り、排泄の世話もしてもらい、泣けば誰かがきてくれる。

 こんなに恵まれていていいんだろうか?元の世界でも

でも、赤ちゃんのときは、こういう感じだったっけ。不運を自覚したのは、何歳のころだった?

 もしかしたら、赤ちゃんの時は、元の世界でも平和に暮らしていたのかもしれない。

 

 半年の月日が流れた。


 首が座ってから、景色が広がった。

 寝返りができたら、ハイハイまで一気にできるようになった。ハイハイの期間が長い方が良いと言う話を、昔聞いたことがあるけど、本当なのかな。しばらくは、ハイハイでブイブイ言わせてやろう。

 ハイハイで家中を探検するのも、楽しい。

 鏡を見たとき、自分が前と同じ黒髪で、少しがっかりした。

 六畳一間の、古びたアパート住まいから考えると、この家の立派さに驚く。

 建物は石の壁と木でできたの2階建てで、部屋数は10くらいある。そりゃ、召使も必要だ。

 父マクルタ・ザルムは、このペンプス村の取りまとめ役だ。村長なのか、役人なのかは、よくわからない。

 母クヒカは、よくわからないが、庭で野菜を育てている。

 俺は、エレムと名付けられた。


 窓から見た景色から、ペンプス村が辺境であることが分かる。マクルタ家の館は、小高い丘に建っていて、2階からは村の端まで見渡せる。

 すぐそばを流れる川から水を引いて、ペンプス村の周りでは、かなりの広さで麦を育てている。

 

 ある夕方、いつものようにハイハイで家の中を冒険していると、戸棚の陰のなかで、何かがモゾモゾと動いているのが見えた。ネズミよりは大きくて、猫よりは小さいような。

 じぃっと見ていると、小さな二つの黄色い目が光った。

 本能的にやばいと思った。身体中から汗が吹き出す。こんな弱い状態で、何かに襲われたら、何もできずにやられてしまう。

 声も出さず、固唾を飲んでいると、黄色い目が笑った気がした。敵意はないのだろうか?気がつくと、黄色い目は消えて、どこかへ行ってしまった。


 それから1日に何度も、さまざまな場所でそれぞれ違った気配を感じるようになった。どれも見守っているような、様子を見ているような気配。

 どれも1つとして同じものはない。冷たかったり、熱かったり、全く違う雰囲気がする。

 あるものは影の中に、あるものは光の中に、水の中に、炎の中に、風の中に、草花の中に。

 遊んでくれるやつもいて、何者かわからないが、追いかけっこをしたり、隠れんぼをしたりした。

 不思議なことにザルムもクヒカも全く気づいている様子がない。

 幼い時だけ感じられるのだろうか?それとも俺だけに?


 ある日の朝、いつものようにハイハイで階段をよじ登って2階に上がっていた時、目の前に金色の光を放つリスがいた。


 「ぐあぁぁ!」


 俺は、驚いて階段の途中でバランスを崩した。階段を転げ落ちるなんて、危険すぎる。


 あ、死ぬかも。


 油断した。あぁ、なんてことだ。もっと慎重に生きなくてはといつも思っていたのに。少し急な階段を20段ほど転がり落ちた。目の前が、ぐるぐる回る。


「エレム坊ちゃま!大変!まさか階段から?クヒカ様!ザルム様!」


 パナニが駆け寄ってくる。これは完全に俺が悪い。勝手に動き回って、階段から転がり落ちるなんて。なんてこった。せっかく恵まれた人生をもらったのに。

 あっという間に、もう終わりなのか。


「うわぁ、うわぁぁ!」


 怖い。痛い。なにより悔しい。不運なんかじゃない。全部俺が悪いんだ。

 身体の状態がやばいのが分かる。両腕も両脚も力が入らないどころか、激痛で動かせない。気持ちが悪い。口から酸っぱい吐瀉物が溢れ出る。


「げほっ、げっ」


 血だ。口からも鼻からもたくさん、血が。


 クヒカが真っ青になって近づいてくる。

 手には、庭で育てたハーブを握りしめている。

 傷でもあったら一大事だと言わんばかりの表情をしている。

 

 「癒しの葉よ、傷を治せ!キュア!」


 クヒカの手から緑色の光があふれて、ハーブを包んでキラキラと光の粒が弾けている。ミントのような、ドクダミのようないかにも薬草らしい匂いがした。


 これが魔法!?


 クヒカが俺に光の粒を振りかけると、確かに気持ち悪いのが少しおさまった。でも、ほんの少しだけ。薬草は、キララと光って消えてしまった。


「駄目だわ。まだ足りない。パナニ!庭からありったけのキキリを持ってきて!100株はあったはずよ。エレムの命が危ないわ!」


 パナニが庭にかけて行く。そして、どんどんクヒカの元に薬草を持ってくる。

 クヒカが次々と薬草を手にしては、キュアを発動していく。

 クヒカの顔は汗びっしょりだ。

 最後の薬草を使ってキュアを発動させても、やっぱり俺の身体はもう。。。

 意識が遠くなっていく。でも、こんなに必死に助けようとしてくれるなんて。クヒカ、ありがとう。こんな俺のために。


「私の魔法では、気休めにしかならない!エレムの全身のダメージが酷すぎるわ。どうしたらいいの?あぁ!!」


「ペンプス村には、もうキキリがありません!」


 クヒカは、魔法使いだったのか。クヒカが泣いている。俺は、もう駄目みたい。身体が冷たくなっていく。


 ぼやける視界の端に、あの金色のリスが現れた。階段で見たリスだ。

 リスが近づいてきた。クヒカもパナニも金色のリスが見えていないみたい。

 

「ごめんなさい!エレムを驚かせるつもりはなかったのに!

 私は、光の元素精霊カリム。

 精霊があなたを殺してしまったら、本末転倒だわ!

 私が今から治すわね!」


 リスは、当たり前のようにしゃべった。女神様の使徒?この金色のリスが?

 それからリスが俺の身体の上をジャンプすると、金色の光がキラキラと俺を温かく包んだ。その光がどんどん身体の中に入っていく。熱い。

 眩しすぎて、とっさに手で目をおおった。


 あれ?手が動いた?痛くない。身体が動く!痛みが消えてる!リスもどこかへ行ってしまった。


「どうした、クヒカ?エレムが怪我をしたのか?!」


 クヒカの悲鳴を聞きつけて、ザルムが駆けつけてきた。


「聞いてザルム。エレムは、もう助からないかもしれない。。私のせいだわ。。。私にもっと力があれば」


「クヒカは、大袈裟だなぁ。ほら、エレムは、元気にハイハイしてるじゃないか。かすり傷もしていないよ。

 鼻血でも出たんだろう」


「え?!あら、確かに。。。私の魔法が効いた?いや、違うわ。キュアには、そんな力はない。奇跡?もしかしたら、何か特別な体質がエレムにはあるのかしら」

 

 困惑する母親と、おおらかな父親。

 た、助かったのかな。でも、どうして?どうなった?わからないことが多すぎる。

 でも、よかった。何もかも台無しにしてしまうところだった。この人生も、クヒカの愛情も、何もかもが無駄にならなくてよかった。

 ザルムが冷静にいった。


「とにかく、エレムが2階に行かないように、当分、柵をしておこう。私もエレムのことをもっと気をつけるよ」


 俺は、今度こそ慎重に、一つ一つ積み上げていく決意をした。

 地道にコツコツ、不運を跳ね返せるくらいに、自力をつけよう。女神様の使徒が助けてくれるにしても、それに頼りっきりではいけない。

 この世界で、俺は自力で普通の生活をするんだ。

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