第20話

 胸の中の苛立ちをそのまま吐き出すように言った理人だが、口にしている途中で奇妙な違和感を覚える。

 何かがずれている。そんな気がした。


(何にどれだけの比重を置くかは、個人の価値観の問題だ。だが、谷坂の利が薄過ぎることは否めない。警備会社の足を遠のかせたぐらいじゃ割に合わないだろう)

「――まあ、今のところはそんな感じだ」

「流れは理解しました。お話いただいてありがとうございます」

「あー。お前が撒いたコーヒーのおかげで、死体遺棄までは辿り着けそうだからな。その礼も含めてだ。……そういやこっちが殺害に至る理由もまだ判然としてねえんだよな」

「いくら相原さんが怒鳴り込んできたところで、河西社長は突っ撥ねればいいだけですからね。……弱味がなければ」


 後ろ暗い所がなければ警察に連絡すればいい。威力業務妨害、といったところだろう。

 それをせずに不正の口約束で相原をなだめ、殺害したということは。


「後ろ暗いことがありそうだな」

「それが理由でしょうか。けど、納得しました」


 理人が直接、相原と河西のやり取りを見たのは一度だけだ。しかし、一度であっても見ることができているとも言える。


「納得?」

「相原さんには、妙に余裕が見えたんですよね」

「ほう」

「関係が崩れた状態で仕事の継続なんて、怪しみそうなものじゃないですか」


 選定の場に、参加者でしかない相原は呼ばれないだろう。やろうと思えば、河西はそこでいくらでも事前の取り決めを反故にできる。


「けれど彼女からは、半ば決まっているクビをかけて臨んでいる選考会、というような、切羽詰まったものを感じませんでした」


 相原に生活の余裕があり、固執する必要がなかった、という可能性はある。

 だが理人が相原に感じたのは、クビを切られても構わないという投げやりな諦めでも、実力で勝ち取らねばならないという緊張感でもなかった。

 むしろ、勝利の余裕だ。


「だから、違和感があります」

「と言うと?」

「河西社長が相原さんに殺意を抱いていたからです。親しい相手の態度の変化に、気が付かないと思いますか?」


 上手くいっていた関係が狂い出したら、大抵の人間は変化したことを自覚する。ましてや殺意にまで発展しているのだ。

 河西は特殊訓練を受けたプロではない。一般の事業者だ。殺意ほどの強い感情を隠してこれまで通りに付き合うような技術を持ち合わせているとは思い難い。

 年単位で準備していたのならまた分からないが、彼の計画はもっと短い。自身の憤りを完璧に覆い隠していたと考えるのは、無理があるだろう。


「けれど相原さんは、己の勝利を確信していたように思います」

「それは確かに妙だな」


 河西が相原殺害を決めたのは、突発的なものではない。ならば相原に言った箔付け云々は、そもそもその場しのぎでしかない偽りだ。

 それでも相原には、己が降ろされない自信があったのだと考えると――


「脅しになるような秘密を相原が握っていたのかもしれないと。それは調べがいがありそうだな」

「ぜひ、お願いします」


 脅しになるぐらいだ。犯罪に相当するような秘密だろう。

 たとえ別件、一時的なものであったとしても、河西が捕まれば弘瀬の危機は遠のく。現状の理人にとって何よりの朗報はそこだ。


「そう言えば。死体遺棄までは――ということは、靴の件が何とかなったんですか?」


 処分されたという話だったので、状況証拠にしかならないかと思っていた。


「いや、あくまでも状況証拠な。ただ、放送室に残った靴跡と、入った人間の目撃情報を照らし合わせて、靴を提出できなかったのは河西だけって話だ」

「別の証拠があれば、もう少し力を持ってくれそうですけどね」


 それだけでは難しいだろう。


「決定的なやつが欲しいところだよなあ」


 言って、祈龍は大きく、疲れた息をつく。今のところ当てはないようだ。


「じゃあ、そろそろ行く。もし次があったら、目が覚めるようなコーヒー頼むわ。美味かったからな」

「ご期待に沿えるよう、努力してみましょう。お疲れ様です」


 立ち去る刑事二人を見送って、最後に電気を消してから、理人もディアレストを出る。


(さて。……さっき俺は、どこに違和感を感じたんだ?)


 ナイツオブラウンドを出て家へと向かう道すがらでも、思考がずっとその一件から離れない。

 やや因縁のできてしまった陸橋を渡りながら、はっとする。


「――あ」


 そして一つの仮説を思いついた。


(だと、するなら)


 弘瀬にとって、朗報となるかもしれない。




 三日間の休養を経て、理人はディアレストに復帰した。


「いやー。待ってたわー。こういうのって一回習慣化すると、癖が抜けるまで調子が出なくなって辛いんだよなあ」

「分かる! わたしももうそんな感じだし!」


 開店直後から何人かの常連が入店してくれるのは、喜ばしいことだろう。

 オーダーを一通り捌き終え、ほっと息をついたところで、ようやくカウンター席に陣取る比奈と真示の会話内容が頭に入ってくるようになる。


(……ん?)


 そしてその瞬間に、ふと引っ掛かりを覚える。つい疑問そのままに比奈へと目を向けてしまった。

 仕事上、他者の視線に敏感な比奈は、すぐに気が付き理人へと顔を向ける。


「どうかしましたか? 理人さん」

「……いえ。大したことではありません。ただ、比奈さんと三枝は仲が良かったんだな、と」

「え? そこまでではないと思います。三枝さんと話すようになったのって、ディアレストで顔を合わせるようになってからですから」


 きょとんとして、さも意外なことを言われたとばかりに比奈は否定をする。


「そ、そうなんですか」

(知り合ったの、俺より後……!?)


 理人が知る限りでも、比奈が己よりもずっと親しげに話す相手は少なくない。最たる例は櫻だろう。

 とはいえ、それをどうこう思ったことはなかった。同じコミュニティに属していて息も合えば、そのうち気安くもなるというもの。彼らには理人よりもずっと比奈に近い関係性と、長い時間があった。自然なことだ。

 だからこそ、理人は衝撃を受けた。受けてしまった。自分でも意外な程。


「あー、香久山。お前にソレを言う資格はないと思うぞ」


 理人の心情を察してか、苦笑しつつ真示から見当違いに窘められ、むっとする。


「何も言っていませんが」

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