第16話

「気配を感じたのはいつごろからですか?」

「フラワーパークの事件があって、すぐです」

(関わりがない訳ないやつだな!)


 そんな偶然がほいほい転がっていて堪るものか。


「それは、本当に心当たりはありませんか? 相原さんの件で」

「わたしもそう思いました。でも、本当に分からないんです。ごめんなさい」

「……いえ、こちらこそ」


 弘瀬に申し訳なさそうな顔をさせてしまってから、理人は急いた自分の訊き方を反省した。

 この件で、弘瀬が誰かに謝るべきことなど何もない。


(そうだよな)


 弘瀬はイベント中、ほとんどの時間を自分のスペースで過ごしていたはずだ。相原を殺害した犯人にとって、致命的な何かを見たり聞いたりしたとは思い難い。


(だったら、彼女自身が狙われているのか)


 何にせよ、弘瀬の意思がはっきりした以上、ナイツオブラウンドとしては全力を尽くすだけだ。


「気の滅入るような話ばかりをして、申し訳ありません。当社に行くのならご案内しますが」

「……その。いいのでしょうか」


 弘瀬は遠慮ではなく、おずおずとではあるが理人の提案に甘えようとする言葉を返した。

 一人で出歩くのは不安だろうから、当然だろう。


「勿論です。でなければ言い出したりしませんよ」

「では、ぜひお願い――あっ」


 再度頭を下げたところで、弘瀬の腹の虫が鳴った。つられたように、理人の腹も空腹を訴えてくる。


「……先にどこかで、食事にしましょうか」

「はい……」


 羞恥に耳まで赤くしつつ、弘瀬はうなずく。それからはっとしたように、勢いよく顔を上げた。


「あの、もしよろしければ、わたしにご馳走させてください。どのようなお礼をすればご恩に報いられるのか分かりませんが、ご迷惑でなければ、ぜひ」


 謝意や愛情を示すのに、金銭での支払いも無しではないと理人は思っている。まして食べて消えるもので、後の扱いに困ることのない弘瀬の申し出は好感が持てた。


「では、ありがたくご馳走になります」


 ここで好意を突っ撥ねては、むしろ弘瀬に延々気に病ませることになるだろう。


「はい!」


 そして理人が受け入れれば、思った通り、弘瀬はほっとした顔をした。


「どこにしましょうか。少し前まで、この近くに評判のいいお店があったんですけど。何でも腕の良い方が辞めてしまったらしくて、近頃の評判は今一つなんですよね……」

「そ、そうですか」


 以前の理人の職場もこの近辺ではあるが、あえて店名は訊ねなかった。考えてしまった以上、それが正解でも不正解でも、複雑だ。


「よければ、私が案内しますが。職場の近くですからね、そこそこ心当たりがあります」

「……ええと。言い出しておいて、すみません。お願いします。でも、あんまり高いお店はご容赦くださいね?」


 冗談で付け加えられた一言に、理人は笑った。続いて、言った本人の弘瀬自身も。


(大丈夫だ)


 無理をしているのかもしれない。それでも笑って見せた弘瀬に、理人は改めて思う。

 平穏の中で喜びを得る権利は万人にある。それを身勝手に侵すことは、絶対に許されてはならないのだと。




 食事を終えて腹を満たした後、理人は弘瀬を連れてナイツオブラウンドへと向かった。外部の依頼人を連れていくことは、すでに連絡済みである。

 理人自身は静養のための休暇を貰っているので、弘瀬を送り届け、若干の所用を済ませたら帰るつもりだ。


 社名は一切隠す気ゼロだが、ナイツオブラウンドは外の人間と相対するときは、ごく一般的な服装、対応で臨む。その方が安心感を与えられるのは間違いないからだ。

 理人がナイツオブラウンドに就職を決めたのは、そういった『常識』を理解しているのが分かったからでもある。


 ナイツオブラウンドは理想を掲げて纏まっている組織だが、端から見たときに異質に見られるのも自覚している。そのため、『外』に対しては『一般的な普通』を装うのだ。


 部隊長のように、染みつきすぎて若干社風を漏れさせてしまう者もいるが、その程度ならば問題はない。


(俺自身、社名で引いた人間だからな)


 すべてを素直に表に出したときの世間からの風当たりなど、想像に難くない。

 そんな訳で、ナイツオブラウンドには来客対応班とも言うべき、専門の部署が存在する。


「すみません。個人のお客様がいらしています。対応をお願いします」

「かしこまりました」


 受付に座っていた男女のうち、理人は女性に話しかけて弘瀬を頼む。

 女性に頼んだのは、単純に弘瀬が女性だったからだ。同性の方が話しやすいことが山ほどある。


「ご案内をさせていただく、山内やまうちと申します。お名前をお伺いできますか?」

「弘瀬と申します」

「では弘瀬様。こちらへどうぞ」

「は、はい」


 警備会社を個人が訪れることなど、稀だろう。弘瀬も例に漏れず、初めてのようだった。とはいえ、慣れていない客の案内も少なくないらしい山内の方には戸惑いはない。

 まして今回は理人があらかじめ概要を告げている。契約の説明もスムーズにいくことだろう。


「なあなあ、香久山。彼女、例の件の被害者だよな?」


 二人が通路の先に消えるのを見送ってから、残った男性の受付――三枝さえぐさ真示しんじが話しかけてきた。彼はディアレストの常連になりつつある一人で、年も近いため話しやすい相手だ。

 周囲への対応を見ていても、真示の人当たりはかなり良い。受付に抜擢されたのをうなずけるぐらいにだ。

 そしてそれを差し引いても、真示の理人への態度は親しげである。同時に、それを相手に不快に思わせない対人スキルの持ち主だった。


「よく知ってるな?」

「いやいや、今ウチの団員で彼女の名前知らない奴いないだろ。若いのに、何かの大会で優勝してるんだっけ? ぱっと見ただけでも説得力あるよなー。服装とかも、目ェ引くセンスの良さが滲み出てるっていうか」

「……確かに」


 思い返してみれば、弘瀬が身に付けていた服は明るめの色を使った春アイテムが多かった。しかしそれをうるさく思わせず、思い返してみれば……という印象に留めている。調和している証と言えるだろう。


「ちょっと可愛い系の美人さんだし。……狙われやすいモテ期とか?」

「心の底から、要らないだろうな」

「ああ、俺も要らねーわ」


 おそらく、多くの人間の同意を得られるだろう。世界は広いので、否を言う人間もいるかもしれないが。

 とはいえ、本人にはとても言えないやり取りだ。不謹慎さを反省し、理人は早々に話題を変えることにした。


「それよりは、前の事件から続いていると考えた方が自然だろ。河西社長は今も日常生活を自由に送っているわけだし」

「依頼人が嫌がらなければ、警察にも伝えておくべきだよな?」

「ああ。目は一つでも多い方がいいからな」


 弘瀬当人の安全を守る、という点では難しいかもしれないが、彼女の安全を取り戻すには、警察の力が必要不可欠だ。

 犯人の逮捕が成らない限り、彼女に平穏は訪れない。

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