第10話
「まあ、それだけ条件が狭ければすぐに捕まるでしょう。何なら、弘瀬さんの方は現行犯ですよ」
「あ、そ、そうですね! 櫻なら捕まえますよ、きっと」
比奈の期待は、櫻への信頼の表れだ。そうなればいいと理人も思う。
何よりも、手遅れでないことを祈るばかりだ。
「――すみません、入りますよ」
訊ねるのではなく、宣言としてのみかけられた外からの声に、理人と比奈ははっとして体をそちらへ向ける。
関係者が張った立ち入り禁止の壁を超えられるのは、より高い権限を持った関係者のみだ。
衝立を避けつつ入ってきたのは、河西だった。その後ろからも複数人が続いて入ってくる。スーツ姿の男性を筆頭に入ってきたその一団には、警視庁の文字を背負った制服を着た人もいる。警察だ。
「お二人とも、お疲れ様です。騒ぎを大きくしないよう配慮いただき、ありがとうございます」
「いえ、この度は……。お力になれず、申し訳ありません」
最早イベントどころではない。イベントの恙ない運営を補助するのが役目である警備会社として、業務を全うできなかったのは事実だ。
何より、ひと一人、護れる位置にいたかもしれないのに護れなかった――その悔恨が比奈の声を暗く落とす。
腰を折り、謝罪する比奈に倣いながらも、理人の方はあまり責任を感じていなかった。これをナイツオブラウンドの失態とするには少々理不尽だ。
突発的な殺人ならば、比奈の謝罪や気持ちに共感する。
だが計画殺人となれば、話は変わる。そこまでいくと、依頼の警備内容で対応できる状況ではなくなるだろう。
そして理人は、これが計画的なものだと確信している。相原の様子が突発性を否定するのだ。
相原の傷は派手に出血している。相手も相応に血を被ったことだろう。しかしそんな人間の話はどこにもない。
更に、地面に広がっている血だまりの量も妙だ。相原自身を染め上げた勢いに比べ、大分少ない。半端にラベンダーの中に倒れた遺体の周辺は足跡一つ存在せず、均されている。
それらを滞りなく行うには、確実に準備が必要だ。
「とんでもない。このような事態が起こるなど、誰も想定できなかった。犯罪において、すべての非があるのは犯人だけです。どうか、お気になさらず」
「……お気遣いいただき、ありがとうございます」
河西は己が主催したイベントで起こった事件を、ナイツオブラウンドのせいにはしなかった。それでも比奈の表情は変わらない。
「後はこちらで引き受けます。今後については改めて話し合いをしたいので、少々外でお待ちいただけますか」
「分かりました」
ナイツオブラウンドは部外者だ。席を外せと言われるのは当然である。
理人と比奈はもう一度頭を下げ、衝立の外へと出て行った。
ついでに――ふと思い立ち、理人は出がけに掴んだままで来てしまったあるコーヒーの粉を、僅かに地面に落とす。
「理人さん?」
「いえ、何でもありません」
歩調が遅れた理人に不思議がり、振り返ってきた比奈にはそう誤魔化した。そして何食わぬ顔で彼女の横に並ぶ。
二人が足を向けた先は、自然、理人がマスターをやっていたディアレスト出張店。
元々、緊急時のための拠点という意識があったためか、ナイツオブラウンドの団員たちは皆集まっているようだった。
オープンカフェの体を成しているディアレスト出張店は、近付いてくる者も丸見えである。理人と比奈が戻って来たのに気が付いた者が順番に視線を送ってくるが、それだけだ。
(ええと……)
理人は入ってすぐに、櫻の姿を探す。残念だが見当たらない。
「誰かお探しですか?」
「久遠路さんを」
敏感に気が付いた比奈に答えると、ああ、と呟いてうなずかれる。
「弘瀬さんの方にも警察が行っているはずですから、そちらで事情を聴かれているのかもしれませんね」
弘瀬の方が現行犯で、もし櫻が間に合っていれば、そうなるだろう。
「では戻ってくるのはもうしばらく後でしょうか」
カウンターの内側に回る気にはならず、客席の一つに腰かける。ごく自然な動きで、比奈はその理人の隣に座った。
「――」
店主と客として向かい合うことはよくあれど、隣というのは初めてかもしれない。
頭に過ってしまった考えに、理人は僅かに緊張を覚える。……が、それは理人だけの話のようだ。比奈に意識している様子はまったくない。
自分だけだったのが余計に居た堪れなくて、理人は急ぎ、思考の上塗りを謀る。
「そう言えば、比奈さん。直前の呼び出しは一体どんな用件だったんですか?」
彼女に聞こうと思っていた事柄が、丁度存在していたのもよかった。すぐに頭を切り替えられる。
理人が確認したのは、あの、随分とタイミングのいい呼び出しの件だ。
掛かったときは、厄介なことが起こらなければいいな、という感想だった。
しかしことが起こってしまった今は、謀られたようにしか思えないのだ。
だが気のせい、あまりにもタイミングが悪かっただけ――という可能性は捨てきれない。世の中には何億分の一でしか起こらないような奇跡でも、起こるときはあるのだ。
「あー……。それが実は、分かりません」
その理人に、比奈は少し気まずげに、しかし事実を隠すつもりはない正直さでそう話し始める。
「と、言うと?」
「事務所に向かっている途中で、相原さんのスペースで何かが起こったって話が聞こえてきたんです。それで引き返してしまったので」
「なるほど」
突発的な事態に遭遇したとき、どのような優先順位で行動するかは人によって変わる。比奈にとっては業務連絡よりも、すぐそこで確実にトラブルに見舞われている人間の救助だった、ということだ。
「結局、何の用件だったんでしょう。まあ、今から聞いても仕方ないことかもしれませんが」
「そうでしょうね。人死にが出てしまったイベントなど、中止でしょうから」
理人が言った瞬間、現場を思い出したか比奈の表情に力が入る。
「……相原さん、多分、他殺ですよね?」
「そう見えましたね」
自分の心臓を、ああも躊躇なく一突きできるような人間は限られるだろう。覚悟をして自殺に臨んだとしても、ためらい傷が存在するケースが多いと聞く。
「そして、知り合いでしょうね」
相原に抵抗の様子は一切見えなかった。残った表情も、襲われた恐怖よりも痛みよりも、『まさか』という衝撃であったように思う。
おそらく加害者は、瞬間的に詰め寄って一突きできるぐらいの距離を許すぐらいの間柄。
「……」
被害者と加害者に見える繋がりに、比奈は複雑そうな顔をする。
少なくとも相原側は、そこまでの距離を相手に許した。しかしその相手は彼女を殺した。
虚しく感じる気持ちもあるが、すでに起こってしまったことだ。どうにもならない。
静まり返った店の敷地内に、新たな人間がやや疲れた足運びで戻ってくる。
「大変な一日となってしまいましたわ……。……あら? 皆様、お揃いですのね?」
肩を落としながらディアレストに戻ってきた櫻は、ナイツオブラウンドの関係者しかいない店内の様子に戸惑いを見せる。
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