第6話
しかしこのやり取りは無駄ではなかった。谷坂と弘瀬は残念そうな顔をして、相原はほっとした空気を流したからだ。
(言いがかりか。だが、証明できないと面倒そうだぞ)
何しろ、相手に非がないことを承知で難癖をつけてきているのだから。目的を達成するまでごねるだろう。
「とにかく、責任を取ってもらうわよ」
「直すお手伝いをする、ということでしょうか」
それなら従って妥協してしまおう、という気配が弘瀬からは滲み出ていた。自身の作業は確実に遅れるが、それでもその方がマシ、と判断したようだ。
しかし相原は、弘瀬の言葉を鼻で笑う。
「冗談でしょう? 自分の作品を壊した人に修復の手伝いをさせるなんて、正気じゃないわ。今度はどこを滅茶苦茶にされるか分かったものじゃない」
腕を組んで居丈高に言い放つ相原は、実に堂々としていた。とても言いがかりをつけている自覚のある人間の態度とは思えない。
それだけ、彼女には良心の呵責というものが存在していないのだ。
「では、どうしろと?」
「わたし、知ってるのよ。あなたの庭、マリーゴールドがあるわよね。それを頂戴」
「……分かりました。どれ程必要ですか?」
「そうねえ……。とりあえず、あるだけ全部寄越して。勿論庭に使ってある分もよ。安心して、使わなかったら返すから」
目を細め、唇を吊り上げて相原は笑う。たとえ余ったとして、彼女が弘瀬にマリーゴールドを返すことはないだろう。
相原の笑みは、相手の邪魔をすることに愉悦を覚えたいやらしさに満ちている。
「……分かりました。お渡しします」
少しだけためらってから、弘瀬はうなずく。
「そんな、弘瀬さん」
「大丈夫よ」
悲鳴のような声を上げた谷坂に、弘瀬は安心させるように微笑んだ。
「そう? なら、すぐに手配を」
「――何事ですか?」
弘瀬たちから花を奪うべく、相原は急かそうとする。その彼女の言葉を遮ったのは、更なる第三者の声だった。
そしてそれを契機に、相原はピタリと口を噤む。
現れた人物へと理人が目を向ければ、スーツ姿の男性が一人。
年は三十の後半に乗ったか乗らないか、というところだろう。手入れを怠っていないと一目で分かる、毛先の整った頭髪に肌。服に皺がないのは勿論、履いた革靴まできっちり磨かれていて、隙のなさを感じさせる。
「河西フラワーガーデニング社長の、河西さんです。わたしたちの雇い主ですね」
一人だけ現れた人物が誰であるかを知らない理人に、比奈が耳打ちで教えた。それで得心が行く。
(来場客の投票が選考に入るといっても、務め先になる会社の社長に悪印象は持たれたくないよな……)
相原が大人しくなったのも、無理からぬことと言えるだろう。
「揉めていたそうですが、何か問題でも?」
相原や谷坂、弘瀬が言い合っている様子を見て、責任者に知らせた誰かがいたらしい。
「いいえ。たった今、解決したところです。弘瀬さん、よろしいわね」
「はい。『解決』しましたね、相原さん。これ以上の問題は起こらないはずです」
受け入れてやるから二度と難癖をつけてくるな――そう目と声で訴えつつ、弘瀬は更に念押しをした。
「ええ。したわ。解決ね」
そしてやや投げやりに、相原は同意する。それに弘瀬はほっと短い息をついた。
「行こう、谷坂君。河西社長、お騒がせしました」
「す、すみませんでした」
弘瀬と谷坂は頭を下げ、そそくさと去っていく。自分が割り当てられている場所だけに、動けない相原はふてくされた顔をしながら留まっている。
「ええっと、大事にならずに済んで、よかったです。では、わたしたちも失礼します」
「お疲れ様です。本番もよろしくお願いします」
「お任せください!」
堂々と請け負い、比奈と理人も一礼してその場を後にする。とりあえず、表面的には揉め事は収まったのだから、留まっていても仕方ない。当初の目的である会場の下見もまだ途中だ。
「相原さん。後で当社に来ていただけますか」
「承知いたしました」
離れゆく間際、そんなやりとりを耳にしながら。
通路を一つ越え、充分に離れてから、理人は比奈へと訊ねてみる。
「相原さんと河西社長って、知り合いなのでしょうか」
「お知り合いですよ。去年まで河西フラワーガーデニングの庭で、モデルデザインを手掛けていたのが相原さんだったはずですから」
「えっ。そうなんですか」
興味がないジャンルの出来事だったので、まったくの初耳だった理人は驚きの声を上げる。
だとするならば、気になる部分が生まれた。
「河西フラワーガーデニングのデザイナーは、こうして定期的に選ばれるんですか?」
定期的なものならば、問題ないだろう。しかしもし今回が初の試みであった場合、相原の心境は穏やかではないはずだ。
「ええとですね」
興味がないのは比奈も同じらしく、ポケットからスマホを取り出して操作をして。
「会社設立時に委託して以来、初めてですね」
記録したメモをそのまま読み上げ、理人に答える。
「彼女は相原
「入賞、という所が、引っかかりますね」
「さすが理人さん、鋭い。そして先ほど絡まれていた方の女性が、弘瀬
比奈が与えてくれた情報に、理人は納得してしまった。
「すごく単純で俗な考えで申し訳ないんですが、相原さんの行動理由が嫉妬と怖れからなら納得ですね」
「ですよねえ……」
「社長も、何かしら思う所があるからこんなイベントを企画したのでしょうしね」
相原の仕事に不満がなければ、行う必要のないイベントとも言える。
相原本人も分かっているからこそ、有力株である弘瀬の妨害をしようとしたのだろうか。
(いや、でもなあ。あれは妨害っていうより、主目的が嫌がらせだ)
それに相原の弘瀬への視線は『気に食わない』以上ではなかったように理人には感じられた。
何にせよ。
「愚かな真似をしましたね」
先程の一件で、相原は更に河西の信頼度を低下させてしまっただろう。自業自得とはいえ、ふてくされたのも分かろうというものだ。
だが同時に、ふてくされただけだったとも言える。己の悪行が明るみに出ようというときに、うろたえた素振りが見えなかった。
「弘瀬さんと相原さんのところ、もう少し注意しておいた方がよさそうですね。事前に情報を得られて幸運でした」
「そこまで気に掛けるのは、警備会社の本来の仕事とは少し逸脱している気もしますが……」
出場者同士のトラブルは、むしろ主催側が気を付けるべきでは? と理人は思ってしまう。外部の人間では、この手の事態は手を出しにくい。どうしても何かが起こった後での行動になってしまう。
事件は、事が起こってから解決しても遅いのだ。未然に防げてこその警備だと言える。
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