第5話

 羽々祢フラワーパークは、羽々祢市が建立した、市民憩いの場として活用されている公園である。

 普段はランニングやピクニック、ペットや子どもたちの遊び場にと、広大な敷地が存分に解放されているのだが、現在は一部が関係者以外の立ち入りを禁止していた。

 衝立の中の様子も一変している。イベントが開催されたそのときには、普段使い慣れている人こそ驚くに違いない。

 外部勤務のときの第二制服に着替えた比奈と揃って、理人はほうと息をつく。


「これはまた、壮観ですね……」


 定められたスペースを使い、参加した職人たちが腕を振るって小さな庭を作り上げている。テーマを『季節』としている以外は、すべて自由。

 そのために結構な違いが生まれていて、然程興味がなかった理人が見て回っても飽きずに楽しめている。興味があって訪れる客はますますそう感じることだろう。


「ええ、一つ一つ世界があって、面白いですよね」


 応じた比奈も笑顔だ。

 いざ仕事となれば、展示された庭を鑑賞などしていられない。彼女はその分を今楽しんでいるのかもしれなかった。

 それを役得とするべきなのか、本番に楽しめないことを残念とするかは当人の好みによるだろう。

 比奈と一緒に、まずは順路に沿って歩いて行く。

 どの季節を表現するかは自由のはずだが、理人が回った限りでは春をイメージしたものが多い気がした。

 現実の季節も影響しているかもしれない。


「一口に春を表現すると言っても、個々人の抱く春のイメージはやはり違うものなんですね。けれど温かみを感じる部分は共通しているような気もします」


 多くの者が眠りについた冬から、生の目覚め。その雰囲気はどこの庭からも感じる気がする。


「ええ、そうみたいです。それと、春のお花は可愛いものが多い気がしますよね」


 楽しげに喋るその姿に、ふと気になって訊ねてみる。


「比奈さんは、春が好きですか?」

「好きですね。ぽかぽかして過ごしやすくて、お花も綺麗です。でも、夏の太陽の力強さも好きですよ。夏の陽に照らされた緑って、一年の中で一番きらきらしている気がします」

「ぎらぎらされ過ぎると、今度は萎れますけどね」

「う。それも確かに、そうなんですけど」


 過度な熱気は、季節の植物であっても辛いのだと思われる。

 正直、暑いよりは寒い方が過ごしやすいと感じる理人にとって、夏は苦手な季節だ。だが、比奈の楽しげな話し振りに水を差してしまったのには間違いなく、そこには罪悪感が首をもたげる。

 なので、方向性の修正を試みた。


「けれど雨の次の日にはピンと立っていたりして、逞しさを感じさせてもくれますよね」

「そうです、そうです!」


 情景を思い浮かべつつ言った理人に、比奈は大きく、何度もうなずく。


「紅葉が深まっていく秋は素敵だし、葉が枯れ落ちた木には耐え忍ぶ強さを感じます。雪が降り積もれば、雅ささえありますね」

「つまり、全般的に好きなのですね」

「そうなります」


 にっこりと笑って肯定した比奈に、つられて理人も笑みを浮かべる。

 比奈の周りの空気は心地いい。それは彼女が、どんな物事に対しても、まずプラスの面を探して口にするからだろう。

 物事にいい面だけしか存在しないものは少ない。だが比奈は、あえてマイナスを口にしないのだ。それよりも、好ましい部分をこそ主張する。きっと、意識をして。


「比奈さんは、強い方ですね」

「あ、分かってくれますか? そうです。わたし実は強いんですよ」


 言って比奈は肘を折り、力瘤を見せるときの仕草をする。

 勿論制服の下に隠れている腕は見えないし、そもそも理人が言ったのはそういう意味でもない。

 しかし無邪気な笑顔を曇らせることもないと思い、うなずいた。


「頼もしい限りです」

「はい。何かあったら頼ってください!」


 比奈の声も表情も、本気であることを告げてくる。誤解の意味のままで。


「……頼もしいですが、まずは自分で善処するよう心がけたいと思います」


 比奈に庇われた自分が腰を抜かしてブルブル震えている様を想像して、理人は返答を濁す。理人にとって、あまり陥りたくない絵面だったのである。


「あ、ダメですよ理人さん。バリスタの理人さんより、普段からそのために鍛えているわたしの方が絶対強いんですから。無理はしないで――」

「きゃあ! ちょっと、何してくれるのよ!」


 比奈の、真剣ではあるが柔らかな声音に包んだ注意と正反対の、相手を攻撃することしか考えていない金切り声が唐突に響く。


「!?」


 ぎょっとして立ち止まったのは一瞬。すぐに比奈は声がした方へと向かって走り出す。

 今までの生活でその手の騒ぎに向かって行く、という縁のなかった理人は、初動が遅れた。慌てて比奈の背を追って自らも走る。


「せっかく整え終わっていたのに、どうしてくれるの」

「で、ですからそれは誤解で……」

「ふざけないでよ。貴方しかいなかったでしょう。話を逸らしてないで答えなさいよ。どうしてくれるの」


 声を荒げているのは、三十代前半ほどの女性。頭を下げているのは二十代後半ほどの男性だ。


「ストップ、ストーップ。どうしたんですか?」

「な、何よあなたたち……」


 比奈は問答無用で間に割り込み、二人の間に物理的な距離を確保する。そして興奮具合の高い危険な方――女性へと向かい合う。

 唐突に割り込んできた第三者に誰何の言葉を掛けようとした女性だったが、比奈が着ている濃紺の制服を見て、途中で止めた。


「警備会社の方?」

「はい」

「……大したことじゃないわよ」


 まったくの第三者を巻き込むのは嫌だったのか、女性は明らかにトーンダウンする。


「そこの彼が、わたしが作った庭の一部を壊してしまったから、責任取ってって言っているだけ」

「そんなことはしていませんと……」

「何よ! だったらどうして壊れているっていうの!?」

「ひっ」


 気が弱い性質なのか、女性に怒鳴り付けられた青年は否定の言葉を飲み込んでしまう。


谷坂やさか君? どうしたの?」

 

騒ぎの気配を感じ取ってか、更にもう一人女性が近付いてきた。声の掛け方からして、どうやら男性の知り合いか。


弘瀬ひろせさん……」


 男性――谷坂は現れた弘瀬に、何とも申し訳なさそうな顔を向けた。

 消沈している谷坂に事情を話させるのは酷だと考えたのだろう。弘瀬は他の三人を見回し、その目線を怒鳴っていた女性に据えた。


相原あいはらさん。どうされたんですか?」


 弘瀬の口からは、女性の名前がするりと出てきた。少なくとも面識がある、ということだ。


「そこの角、見てくれる? あなたの所の助手――谷坂さんだったかしら? 彼が持っていた資材を引っ掻けて駄目にしたのよ」

「や、やっていません! 自分が運んでいる物の長さぐらい、把握していますし……!」


 互いの主張が食い違うなら、水掛け論にしかならない。

 理人は周囲を見回し、ややあって目的の物を見付けた。そのまま比奈に提案してみる。


「防犯カメラで確認してしまえばよいのでは?」


 イベント会場となる予定だけに、設備は存在していた。しかし比奈は首を横に振る。


「動いてなさそうです」

「そうですか」


 電気代節約のためだろうか。関係者しかいない現状では、作動させていないらしい。

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