第168話 思わず抱きしめた後
グレーテルがどういうフォローをしてくれたのかさっぱりわかんないけど、やがて戻ってきたミカエラの態度が、いつもと変わらなかったことにホッとする。どうやら、このセクハラ上司を見限らずにいてくれるらしい。だけど俺と視線が合うと、あわてて目をそらしたりしているところは、やっぱり警戒されちゃってるよなあ。さっきパッションでやらかした自分の行動に、反省しきりだ。
「ごめん、ミカエラ。いきなりあんなことして、イヤだったよね」
「い、いえ、あのっ……驚きましたけど、そんなにイヤじゃないというか……」
うん、「そんなにイヤじゃない」ってことは、「それなりにイヤだった」ってことなんだろうな。はあ……やはり、立派なセクハラ行為だ、今後は慎むしかない。まずは平謝りしよう。
「本当にごめんね。もうしないから、これまで通り護衛をお願いします」
俺が深々と頭を下げると、ミカエラはなんだかぽかんと意外そうな表情をしている。あれ? 何か変なことを言ってしまっただろうか。
「ルッツ様って、とても変わったお方ですね。高位貴族のお坊ちゃまなんて人の迷惑顧みず、いつでもどこでも自分のやりたいことが最優先、反省なんか絶対しない……っていうのが相場だと思っていました」
彼女の貴族評は、かわいい顔に似合わず、かなりの辛口だ。まあ、これまで貴族絡みでいろいろ、イヤな思いをすることがあったのだろうなあ。
「私は、結構ルッツ様のこと、好きですよ。でも、女の子がああいうことするには、心の準備が必要ですからね!」
そう言うなり、彼女はまたくるりと反対を向いて、走り去ってしまった。あれ? これってどういう意味なのかな。もしや「心の準備をさせてくれれば、いいわよ」ってことなの? それともそんな深い意味はないのかな? 勘違いして迫ったら、嫌われちゃいそうだし……
悶々とひとり悩んでしまう、思春期の俺だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その晩俺は、街を挟んで反対側……闇一族が築いた根拠地を訪れていた。ちょっと訳があってグレーテルには護衛を頼めず、ミカエラについて来てもらっている。
種付けするために来たわけじゃないぞ、アヤカさんもサヤさんたちもめでたくご懐妊中だからなあ。闇一族の種付け希望者もあまた順番待ち中だというのだが、大きな功績を挙げた時の「とっておきのご褒美」にしたいからやたらと許さないという、アヤカさんの方針なのだ。
「それで……私がマルグレーテ様のお役に立てるのではないか、というお話でしたけれど」
アヤカさんがそう言いながら俺の目の前にすっと置いてくれたのは、香り高い緑茶と、作りたてでまだ温かい蒸し饅頭だ。懐かしさに思わず一気に頬張れば、ふっくらとした皮の感触と、こし餡の優しい甘さが、口いっぱいに広がる。ああ、アキツシマ文化って素晴らしいなあ。傍らをみれば、仔犬枠のミカエラも、まだ熱い餡をほふほふと口の中で転がしつつ、幸せな顔をしているじゃないか。やっぱり彼女も年頃の女の子だ、釣るには甘味が一番だよなあ。
「ルッツ様?」
はっ、思わず本題を忘れるところだった。アヤカさんが不思議そうな顔で、間抜けな俺を見つめているじゃないか。
「そ……そうなんだ。闇魔法の達人であるアヤカさんたちじゃないと、出来ないことなんだ」
「私たちの闇魔法がルッツ様のお役に立つのであれば、否やはございませんが……」
「うん、闇魔法はデバフが得意だよね」
「そうですね、敵の攻撃力や防御力を下げる弱体化魔法は、闇属性の魔法使いにとって、基本中の基本です。私も、深く修めております」
「それって、光属性の相手にも効く?」
「もちろん効きますけれど……高位の光属性を持つ者に対しては、それを上回る魔力持ちが術をかけねば効果が出ません」
うん、予想通りの回答だ。なら、こんなことを期待してもいいかな。
「じゃあ、アヤカさんなら、Sクラスの光魔法使いでも、弱体化させられるかな?」
「そうですね。私はルッツ様の種を二回も頂いて、もともとAクラスだった魔力が、SSクラス相当まで強くなりました。そして今また三人目をお腹に宿したことで……魔力が更に増したのを感じております。たった今、私の弱体化闇魔法が通じない相手は、この大陸に存在しないはずです」
いつも奥ゆかしいアヤカさんが、珍しく自信たっぷりに胸を張ると、偉大な胸部装甲がぐぐっと強調される。やっぱり彼女もこの世界の女性だ、魔法の力に関するところには、こだわりがあるんだろうな。だがそこまで口にしたところで、何かに気づいたようにハッと目を見開くアヤカさんだ。
「あ、もしかして……弱体化してほしい相手って……」
「うん。多分、アヤカさんの想像通りだと思うよ。具体的な手はずを相談しよう」
よし、準備は整った。後は実験するだけだな。
傍らに座るミカエラが、不思議そうな表情で、俺を凝視していた。そんな純粋な目で見つめてくれるな、俺はたった今、女性にはとても話せない、ろくでもないことを企んでいるのだから。
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