第10話 王立学校

 嵐のような「洗礼」の八日間が過ぎて、日常が戻ってきた。あとはおよそ九ケ月後、どんな子供が生まれるかで、種馬としての評価が決まるのだ。結果にはそれほど興味はない、むしろ、この世界で生きていくための勉強に励まないといけないだろう。俺はジーク兄さんに剣術や盾術を習いつつ、家にある膨大な書物をひたすら読み込んでいる。


 王立学校にも復学した。およそ十二歳から十七歳まで五年制の学校で、王族、貴族、そして商家など裕福な平民が通う。女性向けには魔法科、政治科、軍事科、男に対しては騎士科、領地経営科、執事科の他に……種馬科なんてクラスまで用意されている。この社会における男女の役割がよくわかる学科分けだ。


 ルッツとしての記憶が全くない俺としては、学校の仲間に溶け込めるか不安が大きかったのだが……


「ルッツ! 大丈夫か……そっか、覚えてないんだっけか。俺はクラウスだ!」

「僕はディーター。記憶が無くなってしまったのなら、もう一度ゼロから友達になろう」

  

 たぶん、俺が乗っ取る形になってしまったルッツ君は、普段から友人とよい付き合いをしていたのだろう。友人と名乗って来る若者たちはみんな優しく、当惑している俺に気を使って、さわやかに友情を示してくれた。予想以上に恵まれた環境に、俺は驚くとともにかつての「ルッツ君」へ感謝を捧げた。


 学業の方は……ぜんぜん心配することはなかった。ルッツ君は領地経営科に属していたが、この世界でいう経営教育は、きちんと帳面がつけられればできる程度のもので、算術もごく初歩的なもの。現代日本で管理職を長年やってきた俺には、まあ一言でいえばチョロい。言語の違いだけが心配だったが、なぜだか読めるし、書けてしまう。これはやっぱり、ラノベで言う転生チート的なアレなのだろうか。


 そんなわけで、でしゃばらない程度に教師の質問に的確に答えると、遅れを心配していた学友も胸を撫でおろしたようだった。後は一緒に昼飯を食ったり、休み時間には芝生に寝転がってとりとめない話をする気楽な時間だ。話の中心はこの間終わったばっかりの、俺の「洗礼」になってしまうのはしかたない。


「で、どうだった? うまくできたか?」


「上手いか下手かなんて、自分でわかる訳ないじゃないか。だけど、お相手は満足してくれたみたいだぞ」


「言ってくれるじゃないか、ルッツ!」


 ばあんと手荒く、背中をぶっ叩かれる。クラウスはいい奴だが、手加減と言うものを知らない。ちなみに子爵家長男の彼もひと月前に「洗礼」を済ませている。隣で笑っている伯爵家のディーターは、来月「洗礼」だ。


「よし、ディーターのために、俺たちが実地で学んだ体験を……」


「……バッカじゃないの?」


「うぐっ」


 恥ずかしいことを堂々としゃべっていたクラウスの大声をさえぎったのは、ストロベリーブロンドの少し波打つ髪と大きなグレーの瞳が印象的な美少女。ぷっくり膨らんだピンク色の唇がとても魅力的だが、そこから飛び出してくる言葉は、残酷なくらいぐさりと胸に突き刺さる。


「そういうことはもっと、密やかに話しなさいよ、いいこと?」


「は、はい……すんません」


 さっきはオラオラと胸を張っていたはずのクラウスが、素直に謝って小さくなっている。まあ、怖いんだろうなあ。


 この美少女は、マルグレーテ・フォン・ハノーファー。侯爵家の跡取り娘で、俺たちと同年。学校では軍事科のトップを張り、光魔法を剣や弓、あるいは拳と組み合わせることが巧みなのだとか。すでに戦闘能力では最上級生や教師でもかなう者がおらず、「英雄の再来」とか呼ばれている。まあその「英雄」ってのは、うちの母さんだったりするわけなんだが。


「そう、ルッツに用があってきたのよ。ねえ、放課後、暇よね?」


「うん……帰って本を読むくらいしか、することがないかな」


「じゃ、付き合いなさい。十五時半に正門前、いいわね?」


 勝手に言いたいことだけ言って、颯爽と背を向けて去っていく美少女の姿に、ディーターが憧憬をこめたため息をつく。


「綺麗だなあ……ルッツはいいよな。憧れの君、マルグレーテ様のご友人なんだものな」


「それほど、いいものではないけどね。結構怖いよ、グレーテルは」


 そう、たった今グレーテルと呼んだハノーファー侯爵令嬢は、俺の幼馴染であるらしい。らしい、とか言ってしまうのは、例によってそれは昔の「ルッツ」に関することで、俺は何にも覚えちゃいないからだ。お互いの母親同士が親友で、彼女も「英雄」と讃えられている母さんに憧れてたから、小さい時からうちに入りびたっていたわけなんだよな。そしたら自然に年が近い俺やジーク兄さんと遊ぶ機会も多くなって、自然に「ご友人」という立場になっていったわけなんだとか。


 そのグレーテルも、俺の記憶がきれいさっぱり飛んだことにひどくショックを受けていたけど、すぐに気を取り直して凛々しく宣言すると、俺をぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫、ルッツの記憶は私が取り戻してあげるわ!」


 まあそんなわけで、このひと月ちょっと、かなり過剰に構ってもらっている気がする。この世界は男女関係も厳格かつ保守的で、若い男女が不必要に近づくのはよろしくないはずなのだが……グレーテルも、お互いの母親たちも気にする様子もない。まあ、まだ十三歳だし、大人から見れば俺たちは子供枠なのかもなあ。


「ルッツはいいよなあ……」「萌えるよなあ……」


 俺の親友たちは、すでに姿の見えなくなった彼女が走り去った方向を、まだ未練たらしく見つめているのだった。


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