祭典の果て La fin de la fête
林マサキ
第1話 パビリオンの遅延
「万博のパビリオンが間に合わない……」
建築家アルヴァ・アールトは、フィンランドの雑誌「スオメン・クヴァレティ」編集長のイルマリ・トゥルハから話を聞いた。
万博とは、1937(昭和12) 年 5 月 25 日にフランスの首都パリで開催される万国博覧会のことだ。
万博を開催するフランスの意向は1932(昭和7) 年10 月 7 日に表明され、1934(昭和9) 年 7 月 6 日に決定された。
1851 年に“万国博覧会”がイギリスの首都ロンドンで生まれてから、パリで 開催されるのは6回目である。
万博開催決定を受けて、フランス政府はすぐに国民教育省終身顧問のエドモンド・ラベを万博の総合プロデューサーに任命した。
ラベは国立特別高等教育機関であるコレージュ・ド・フランス教授のポール・レオンやパリ市建築局長のアンリ・ジローなどに働きかけて、万博に関するプロジェクトをフランス議会でまとめあげた。
ラベは、芸術とテクノロジーは対立するものではなく、むしろそれらの結合が不可欠であることを実証すると主張。
ので、万博のテーマは「現代生活におけるアートとテクノロジー」と決した。
さらに、1929(昭和4)年の世界恐慌に端を発した経済危機とドイツとイタリアで台頭するファシズムなどの国際政治的緊張の状況下において、この万博は国際平和と安定を促進するものでなければならないと訴えた。
万博の準備はのっけから悪いスタートを切った。
建築家でリール美術学校の校長であるロベール・マレ=ステヴァンスが準備委員を辞任した。
準備委員会がステヴァンスのモダニズム建築や彼の創設した現代芸術家連合(UAM)での活動を酷評したのに腹を立てあっさりと辞めた。
さらに、経済危機のために万博予算は厳しいものに。
しかも、フランスでは「反ファシズム」を掲げたフランス社会党、急進社会党、フランス共産党などの諸政党の連合政権である人民戦線政府が成立。
人民戦線の政権獲得から数週間にわたって、勢いに乗る労働者たちはフランスで大規模なストライキを行った。
人民戦線政府も労働者のために野心的で広範囲な“働き方”改革計画を実施。
年次有給休暇を確立する法律を成立させた。
この法律により、会社で1年間働いたすべての労働者は、14日間の有給休暇を取得する権利を持つことになった。
続いて強制的な労働協約の導入。週40時間労働。アメリカのニューディール政策に倣った公共事業。軍需産業の部分的国有化と鉄道の完全国有化。義務教育期間を13歳から14歳に延長。スポーツ文化省と人民芸術院の創設などなど。
1936(昭和11)年に、議会で計133の法案を可決し、陸軍再軍備に関する4カ年計画が策定された。
万博イヤーのこの年には税制改革に着手。小規模企業には2%、大企業には6%の売上高に応じた税金が導入。相続税や所得税も引き上げられた。
国内ではデモが盛んにおこなわれ、万博の建設現場ではストライキや妨害事件などが続発。
工事は遅れに遅れた。
それでも開幕式は5月1日に行いたいとした人民戦線政府は、さらに「大衆のための芸術」運動を推進。
著作権者を「所有者」ではなく「知的労働者」とみなす新たな概念を提示。
社会的不平等を是正せよという反資本主義的でラディカルな文化政策を前面に押し出すため、この万博を大いに利用したいと考えた。
メーデーという労働者にとって重要な日に設定したものの、工事の遅延は、
「メーデーにはとても間に合わないだろ」
「間に合わないのだから、中止したらどうか」
「政府与党はこんなことにカネを突っ込むのか」
と保守派からの嘲りの声が上がる。
なんとしても開幕にこぎつけたい人民戦線政府は、弁護士出身の国会議員マックス・ハイマンズを新しいプロデューサーに任命した。
ハイマンズは、人手確保のために追加賃金を惜しみもなく支払い、建設作業者を夜間や休日にも働かせたが、
「人民戦線政府自ら作った労働規制じゃないのか」
「そのうち万博の工事現場で死人がでるぞ」
と非難を浴びながらも、万博会場の工事を加速させた。
万博の会場は、エッフェル塔近くにあるトロカデロに1867(慶応3)年の第2回パリ万博から4度会場となったシャン・ド・マルス公園である。
1878(明治11)年の万国博覧会のために建てられたトロカデロ宮殿は取り壊され、代わりにシャイヨー宮殿が建設されたが、その他のほとんどの建築物は仮設である。
また、ポーランド大使館を取り壊して、跡地にパレ・ド・トーキョーを建設。
政府はポーランド大使館の代替施設として、サガンホテルを買収し、ポーランドに提供した。
アールトが万博の進捗を聞いた時は、ソ連を除くすべてのパビリオンの建設に遅れが発生していたので、どうなることかと危ぶんだが、万博は5 月 25 日に開幕。
アルベール・フランソワ・ルブラン大統領出席の下、凱旋門で開会式が行われた。
開幕初日に完成していたのは、ソ連とドイツのパビリオンのみ。
その他のパビリオンは建設と展示物の準備の遅れに依然悩まされていた。
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