いなくなっちゃイヤ、お兄ちゃん!
しばらくの間しりとりを続け、廊下の先に自販機の設置されたエリアが見え始めた頃、仕切り直して四回目のしりとりでようやく早那がガッツポーズする。
「やった。やっとお兄ちゃんに勝てた」
純粋に勝ちを喜ぶ早那に微笑を禁じ得ない。
だがあえて勝たせたことを気付かれないように努めて真顔を作る。
「段々と強くなってきてるな早那」
「ほんと?」
「だから負けたんだ。これで早那の一勝三敗だ、どうするまだやるか?」
「うん。やる。五割に戻せるまでやる」
実力の成長を褒められたからか機嫌よく再戦を申し込んでくる。
あんまり手加減が過ぎるとバレるかな?
次は本気で受けて立つか。
「お兄ちゃんが負けたから今度はお兄ちゃんからだよ」
「そうだな。じゃあ早那のな」
「な、か。どうしよう?」
早那は視線を上向けて考え始める。
その瞬間、下から突き上げるような衝撃が足元から襲ってきた。
なんだ?
咄嗟に壁に手をついて身体を支える。
早那の方へ目を向けると、早那もかろうじて壁に背中をつけて転倒を免れていた。
「大丈夫か?」
「な、なに。今揺れたの?」
揺れた、という早那の言葉に事態を理解しかけた時、足元から先程よりも強い動揺が襲ってきた。
誰かが何かをして発生する揺れではない。
もしかして自然現象か――そうだ、地震だ!
頭の中で事態を把握し、すぐさま早那の身を案じる気持ちが口を動かす。
「しゃがめ早那!」
「きゃあ」
俺は慌てて身を低くするよう告げたがすでに遅く、早那は揺れに耐え切れず壁の傍の床で尻餅をついていた。
「早那、気をつ……」
しゃがみながら早那に手を伸ばすも、更なる強い揺れが早那との距離を離した。
俺に手を伸ばし掛けていた早那は尻餅の状態から横ばいに倒れてしまう。
「うっ、いったい」
苦痛に歪んだ早那の呻きは耳に届く。
倒れた時に身体のどこかを強打したのだろう。
早那の方へ足を踏み出そうとして躊躇する。駆け寄りたいが揺れが収まらない。
焦燥の中でも俺は意外と冷静なのか、声だけなら聞こえるかもと声を張り上げて指示を出す。
「何かに掴まるんだ、早那!」
しかし返事をする余裕がないのか、早那から声は返ってこない。
早那は横倒しの姿勢のまま頭を腕に抱えて丸まっているばかりだ。
揺れが収まれば。
そう見通しが立てた刹那、床で丸くなる早那の左右の壁から内部が割れるような不吉な音が聞こえてきた。
壁が崩落する!
音を耳にした途端、本能的な危機感が脳内でシャウトした。
自身も転倒するのも覚悟で足を踏み出すが、すでに壁には亀裂が入り崩落は時間の問題になっていた。
やばい!
早那がコンクリートの壁の下敷きになる情景が脳裏をかすめ、俺は床が揺れるのも構わず早那に駆け寄った。
「お兄ちゃん!」
俺が傍に来たことに気付いた早那が縋るような声を叫ぶ。
早那を連れて逃げ出したい衝動に駆られながらも、それのできる状況ではないと理性が知覚していた。
どうすればいいんだ?
この危機的状況で早那を助けられる方法を思いつこうと知識と記憶を総動員する。
しかし名案を思いつく暇もなく近くの壁が亀裂部分から崩落した。
崩落して剥がれ落ちたコンクリの塊が早那へ落下する。
「早那!」
俺は思わず叫んで、早那を覆いかぶさるように崩落する壁から遠ざけた。
「お兄ちゃん?」
何が起きたのか理解できていない早那の声を耳にした直後、背中に重い衝撃を感じて激痛が走った。
おそらくコンクリの塊だろう。
こんな重い物が落ちたら華奢な早苗は潰れちゃうかもな。
「お兄ちゃん!」
悲痛な早那の声が鼓膜を揺らす。
そんな痛ましい声出すなよ。
「大丈夫だ早那。俺はこれぐらいじゃ死にやしないよ」
この世の終わりのように蒼白になった早那の顔が視界に見えて、安心させようと強がりを言う。
くそっ。声を出すだけで背中が痛い。
それに頭も打ったのか、意識も朦朧としてきた。
「大丈夫じゃないよ。お兄ちゃん血も出てるし、苦しそうだよ」
泣き出す寸前の顔と声音で早那は俺の事を心配する。
俺は早那ほど華奢じゃないから……
強がりたいが目も眩んできた。
身体に揺れを感じない、もしかして地震は鎮まったのか?
「余震に気を付けて安全な場所まで逃げるんだぞ、早那」
背中から肺にかけて痛みが伴うが、痛苦に堪えて早那に告げる。
早那の瞳に雫が溜まり、頬に筋を残していく。
「お兄ちゃんは。お兄ちゃんはどうするの!」
「動けそうにないから後で助けを呼んでくれ。とにかく早那は逃げるんだ、いいか?」
息苦しい中でそれだけ伝えて目を閉じる。
瞼を降ろして黙ると身体が少しだけ楽になった。
このままにしていれば何とか助けが来るまで生き延びられるかな?
「お兄ちゃん、お兄ちゃんイヤ!」
頭に響くから大声出さないでくれ。
俺の事を案じるぐらいなら、まずはここから逃げろ。
「お兄ちゃんイヤ! 死んじゃイヤ!」
早那の呼びかける叫び声を聞きながら身体の力を抜くと痛みが引いていった。
お願いだから早く逃げてくれ、早那。
「お兄ちゃん、死んじゃイヤだぁ!」
意識が落ちる前に感じ取れたのは、俺の右手を強く握った早那の温もりだった。
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