魚より肉よ、輝樹
ゲームコーナーで一日過ごし温泉で寛いだ後、腹を空かせた恭子の提案でアクティビティ施設の一階にあるフードコートで夕食を摂ることになった。
温泉から上がり先に確保しておいた席で恭子と早那の女子組を待っていると、フードコートの入り口から恭子が俺を見つけて気安く手を挙げながら近づいてきた。
「おー早いね。輝樹」
恭子の声にこちらも手を挙げて応えながら恭子の後ろに早那の姿を探すが、一緒に温泉に行ったはずの早那がいない。
恭子が若干に湿り気の残った髪の毛をわざとらしく首を逸らして掻き上げる。
「お風呂上がりの可愛い幼馴染、色っぽくてドキッとするでしょ?」
「早那は一緒じゃないのか?」
尋ねると、ニヤニヤと口角を上げる。
「お、なに、照れ隠し?」
「まじめに聞いてるんだが」
「なによもう、からかい甲斐がないわねぇ」
詰まらなさそうに唇を尖らせながらも、温泉のある方向を指差す。
「早那ちゃんならあたしが脱衣所出てくる時にはまだ髪の毛乾かしてたわよ」
「まあ早那の髪は恭子よりも長いからな。時間がかかるのも仕方ないか」
「家でもあんな感じで時間かけてるの?」
「正確な時間は測ってないからわからないが、いつも長いな」
「やっぱりねー。女の子の長い髪は手入れに時間かかるわよね」
うんうん、と恭子は腕組して頷く。
感心してないで見習えよ、恭子も一応は女の子だろ。
心の中で恭子への軽口を呟いていると、フードコートの入り口に早那らしき姿が見えた。
「待たせてごめんなさい」
早那が申し訳なさそうな顔をして俺と恭子の方へ歩み寄ってきた。
俺と恭子のもとまで来ると正面向いて口を開く。
「ごめんね、お兄ちゃん恭子さん。私のお風呂が長いせいで待たせちゃって」
「いいよいいよ。気にしないで早那ちゃん」
恭子が寛容に遅れてきた早那を迎える。
「どうせ輝樹は一人で早那ちゃんの裸を妄想して楽しんでただけなんだから」
「え、お、おお兄ちゃん?」
恭子のふざけた発言に早那がたじろぎの目で俺を見る。
そんなわけないだろ。
「恭子の話は真に受けるなよ早那?」
「じゃあ冗談?」
「そうだ。まったく恭子の冗談はタチが悪い」
血が繋がっていないとはいえ、性的な目で妹を見たことは一度もない、と断言したい。
無論俺も男なので、無意識に異性として感じてしまっている時もあるかもしれないが、それは家族間でもある性差の気遣いだろう。
恭子は下世話な細めた目で俺を見つめる。
「早那ちゃん白くて綺麗な身体してるのになぁ、それでも輝樹は興味ないの?」
「妹だぞ。今さら意識するわけないだろ」
自信をもって言い返す。
ちぇ、と恭子は舌打ちした。
「つまんないの。早那ちゃん見てハァハァ興奮すればいいのに」
「するか。親父に勘当されるわ」
「女のあたしから見ても魅力的だと思うのになぁ、もったいない」
「もったいないってなんだよ。使い方おかしくないか?」
「さあねぇ?」
俺の問いかけに恭子は肩を竦めて煙に巻いた。
言いたいことがあるなら俺にも理解できるように言ってほしい。
「早那ちゃんも来たし、食べよ食べよ」
恭子は話を打ち切るようにメニュー表を手に取り、俺の斜向かいの席に腰掛けた。
早那が恭子の隣に座り、二人でメニュー表を眺め始める。
俺が勝手にパックに入ったお絞りを各自へ配っていると、あれこれと話し合った早那と恭子が揃って俺に視線を向けてくる。
「輝樹はもうメニュー決めた?」
「お兄ちゃんは何食べるの?」
唐突だな。
「俺か。俺は和食のページにある焼き鮭定食」
早那と恭子が来る前に自分の食べるメニューは決めておいた。
自分のところへ置いたお絞りのパックの封を開けると同時に恭子が顔を顰める。
「うわっ、食べるものがお爺さんみたい」
「誰がお爺さんだ。美味しいだろ焼き鮭」
選んだ理由を付け足すと、恭子はあり得ないとばかりに首を横に振る。
「やっぱり肉だよ肉。魚ってさっぱりしてて食べ応えないじゃない」
魚は肉より劣ると言いたいのか?
俺は早那に振り向く。
「早那、恭子みたいに魚を食べずに肉ばっかり食べてると馬鹿になるからな。気を付けた方がいいぞ」
「私、鯖の味噌煮定食にしようかな」
偉いぞ早那。
「早那ちゃん、せめてチキンカツにしない?」
恭子が仲間を欲しがるように早那に勧める。
早那は微苦笑を返した。
「鶏肉は美味しいですけど、私は魚の方が好きです。それに恭子さんみたいに特盛とんかつ頼んで食べられるほど胃が丈夫じゃありません」
「特盛とんかつって。恭子、お前食い過ぎじゃね?」
部活帰りの腹空かせた球児が食べるメニューだぞ。
だって、と恭子は赤面して言い訳を返してくる。
「とんかつ美味しいし、食べないと打球が飛ばなくなるじゃない」
「打球を飛ばすことないだろ。それと顔を赤らめて言うセリフではないと思う」
「あたしだけ食いしん坊みたいだもん」
唇を吐き出して不服気に訴える。
食いしん坊みたい、じゃない。
「認めろ。恭子は食いしん坊なんだ」
往生際の悪い恭子に言い渡す。
恭子は悔しそうに唇を噛んでから、椅子の背に投げやりな動作でもたれかかった。
「わかったわよ。ご飯の大盛はやめるから食いしん坊って呼ばないで」
渋々という声音で妥協した。
とんかつは特盛のままなのかよ。
まあまあお兄ちゃん、と早那が俺を諫める。
「恭子さんをあまりいじめちゃダメだよ。ほら、それぞれメニューも決まったから注文しようよ」
「まあ、そうだな」
恭子とふざけていても料理は出てこないもんな、と俺は傍に置かれていた呼び出しベルを押した。
ウエイターが俺たちの席まで来て、俺と早那は手早く注文を済ませた。
残る恭子だけがまだ悩んでいるフリをしてメニュー表を広げている。
「恭子、注文しろ」
「うーんとね。どうしようかな?」
特盛トンカツ食べるんじゃないのかよ。
いざとなると恥ずかしがる恭子に焦れる。
「早く注文してくれ。俺たちも食べられないんだから」
「だって」
わかるでしょ、と主張する目で恭子は俺を見返してくる。
まったく仕方がない奴だな。
俺はウエイターの男性に振り向く。
「すみません、もう一度最初から言います。鯖の味噌煮定食と、特盛とんかつ定食と、焼き鮭定食の三つをお願いします」
注文を告げるとウエイターはメモを片手に去っていった。
ウエイターの姿が見えなくなると恭子に非難の目を向ける。
「おい恭子。注文ぐらい自分で言えよ」
「女の子が恥ずかしげもなく特盛とんかつを頼めるわけないでしょ。輝樹がいるから食べようと思ったのに自分の口で言ったらバレちゃうじゃない」
「今回は俺が頼んだってことにしといてやるから、食べたかったら次までにその羞恥心を克服してこい」
寛容さをもって今回はわがままを許すことにした。
恩に着るわ輝樹、と恭子はほっとした顔で礼を告げる。
その後しばらく三人で駄弁っていると、特盛とんかつ、鯖の味噌煮、焼き鮭の順番で注文した料理が運ばれてきた。
注文したメニュー全て揃ったところで恭子とメニューを交換する。
恭子は俺から特盛とんかつを受け取ると、千切りキャベツの二倍ほど高く積まれたとんかつを目の前にして子供のように顔を綻ばせた。
「すごいボリューム。見てよ輝樹」
「胃もたれしそうだな」
「何、情けないこと言ってんの」
「お前の胃がたくまし過ぎるだけだ」
「そう言うってことは、やっぱり輝樹もか弱い女の子が好み?」
ニヤニヤとして訊いてくる。
そんなこと唐突に聞かれてもなぁ。
「どういう子が好み、とか考えたことないからわかんないや」
答えると、恭子は興覚めした目を瞬かせた。
「輝樹は詰まんないね。誰かを好きになったりしないの?」
「そういう恭子はどうなんだよ。誰かを好きになったりしたことはあるのか?」
よく思い出してみると、恭子が特定の男子と仲良くしている姿は見たことない。
陽気な性格なので男女問わず親しくしているイメージだが。
俺の方から尋ねたが、恭子は余裕めいた笑みで口角を上げた。
「さすがの輝樹でもあたしの恋愛遍歴までは教えないよ」
「話さないというなら無理に聞き出すほどの興味はないがな」
恭子にも秘密にしておきたい事柄はあるだろう。
それに恭子がどんな人が好みなのか知ったところで俺には直接関係ない。
「恭子さん?」
焼き鮭に意識を移そうとした時、俺と入れ替わるようにして早那が恭子に話し掛けた。
恭子が早那に応じると、早那は好奇心の浮かんだ目で恭子を見返していた。
「恭子さんは可愛いのでモテそうですけど、好きな人居ないんですか?」
同性だからなのか、意外にも早那の方が恭子の恋愛遍歴に興味津々だ。
早那の問いかけに恭子は自嘲気味に笑った。
「あたしはがさつだからね。女の子として見てもらえること少ないの」
「そんなことはなさそうですけど」
「それより早那ちゃんはモテるでしょ? 同性のあたしから見ても彼女にしたいぐらい可愛いから」
腑に落ちない顔をする早那を恭子は手放しに褒めた。
早那は苦笑を返す。
「私だって同じですよ。好きな人には女の子として見てもらえていませんから」
返答を聞いた恭子が思い当たる節がある様子で同情の目を早那に向けた。
「そうだよね。早那ちゃんからしたら他の人にモテても意味ないもんね」
「恭子さんの言う通りです」
「意中の人には振り向いてもらえない辛さ。早那ちゃん頑張れ」
「はい。好きな人に振り向いてもらえるように頑張ります」
…………
……
早那には好きな人がいるのか?
「ちょっと待て」
聞き捨てならず俺は二人の会話を止めた。
会話を止められてきょとんとする恭子と早那。
俺は二人共々を見ながら恐る恐る問いかける。
「えっと、その、早那は好きな人がいるのか?」
「……輝樹?」
「……お兄ちゃん?」
俺の問いかけを理解しかねたように恭子と早那は呆気にとられた目を返してくる。
俺の前であけすけに話しておいて、いざ尋ねると黙秘なのか。
「聞いちゃマズかったのか?」
「輝樹。早那ちゃんが正直に話すと思う?」
「場合によっては」
どんな場合だよ、と自分で疑問に思った。
はあ、と恭子が呆れたように溜め息をつく。
早那が俺に向けてきている顔を真顔に変える。
「いくらお兄ちゃんでも今はまだ言いません」
「そうだよな。聞いて答えてくれる内容だとは俺も思ってなかったよ」
俺は引き下がった。
早那の好きな人がどんな人物なのか兄として気になるが、踏み込み過ぎると嫌われそうなのでやめておこう。
俺が諦めたのがわかったからか早那は笑顔を戻す。
「恋バナはこのくらいにして冷めちゃう前に食べよ。お兄ちゃん」
「そうね早那ちゃんの言う通り。ご飯は冷めたら美味しくないもんね」
早那と恭子は話題を打ち切り、それぞれの定食に箸をつけて食べ始めた。
早那は小さい口で、恭子は分厚いトンカツに応じた大きい口で。
一口二口食べたところで早那が箸を止めて俺に咎めの目を向けてくる。
「お兄ちゃん、女の子が食べてるところをじっと見ないでよ」
早那に便乗して恭子も箸を止めて俺に注意の視線を送ってきた。
「そうだぞ輝樹。女の子口の中が見たいかもしれないけど覗くんじゃない」
見たくないわ、失礼な。
「見たくて見てるわけじゃないぞ」
あらぬ疑いをかけられぬよう言い返してから、俺も自身の頼んだ料理に意識を傾けた。
この後、すぐに恭子が別の話題を振ったことで三人での楽しい夕食になった。
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