(短編)ゲノムアーク計画

石たたき

第1話 始まり

「この星はもう長くないかも知れない」


 その意見は、まだその時点では杞憂きゆうの一つであったかも知れないが、長期的な見地からすると、確かな現実性を帯びていた。


 人間たちは高度な発展を遂げたが、彼らの発展力は、星の持つ力を上回るものであった。食糧を始めとした各種資源、気候変動、生物の多様性の喪失。原因は単純ではなく、それぞれが相乗的に生存環境を悪化させ続けた。それらは人間たちの技術進歩が自然との調和を欠き、その循環性を軽視していたことに起因しており、悪循環はもはや止められず、その改善は既に困難な段階であった。


 加えて、国家間の争い、人口過密、経済の不安定などからなる、政治的問題も無視できない。表面上は安定しているように見えても、少し深く切り込んで、その中を覗き込むだけで、既に解決が不可能な状態にまで悪化していることは明白だった。高度な資本主義による、慢性的な経済的不平等と資源の枯渇もまた、政治的な緊張を高める要因となり、こちらもまた手の打ちどころがない。


 些細な切っ掛けで、破滅に向かいかねない危険性を内包して、その星は回っていた。だが、彼らには知恵と知識、高度な技術があり、別の切り口でそれに対応しようとした。


 彼らの解決法の一つ、それは宇宙に移住先を見付けることだった。宇宙は想像を絶するほどに広大で、彼らの技術力をもってすれば開拓も不可能ではない。彼らは、確立された宇宙船の建造技術と生命維持システムを軸に、長期的、かつ具体的な計画を策定、これに着手した。


 彼らの神話に以下のようなものがある。遥かな大昔、神の怒りにより、地上全土を浚う長期間の豪雨がもたらされた。その際、地上の生命のつがいを箱舟に乗せて、生物絶滅の危機を乗り切るという話だ。


 それになぞらえて、彼らは一つの計画を発案した。その計画をゲノムアークと言う。


 遺伝子の船による、新境地への出航。長期的なゲノム計画により、主要な生命体の遺伝子が、高度なバイオインフォマティクス技術を用いてスクリーニングされ、それらの塩基配列までもが決定づけられている。この途方もないデータベースは、彼らが生命の多様性を保存するための基盤となった。更に、彼らは最先端の生物工学とナノテクノロジーを組み合わせることで、これらの生体の設計図を、命あるものにまで復元する技術を確立していた。


 この技術は高い複雑性と精度を要求されるため、成功率は必ずしも高くない。膨大な量のデータと、複雑な生態系の相互作用を理解し、正確に再現することは科学的な挑戦であった。だが、彼らは疑似的環境の中で、自動化された反復試行システムを開発し、再現性の高い実験を繰り返しながら、その成功率を高め続けた。


 同時に、移住候補の星に対する環境的な影響への対策もなされた。ゲノムアークに用いられる宇宙船は、目的地である惑星に着陸した後、環境に配慮した自己破壊プログラムが作動する。破壊の歳に、生態系に影響を与えない程度に分解され、環境に溶け込む方法で処理されるように設計されていた。


 その分解過程では、高度なナノテクノロジーが活性化し、船体の一部に保存された、各種生物質DNAと遺伝子情報が、惑星の表面に効率的に散布される。更に、このナノテクノロジーは、それら遺伝子情報を環境に適応させ、現地の素材を利用して、中長期的に既存の生命を作り出すことを可能としていた。


 ゲノムアークの船は船団として、同一のものが宇宙の各方面に向けて放たれる。それぞれに与えられた座標を目途に、繁栄の可能性のある惑星を網羅的に捜索するのだ。その後、母星に残された人々は、冷凍睡眠技術によって長期間の眠りに就く。この間、彼らの生命維持に必要な資源消費は最小限に抑えられる。ゲノムアークの宇宙船が遠い星に到達し、新たな生命の創造を開始するまでの間、母星は静かな眠りに包まれる。


 計画の進捗具合は、自動化された監視システムによって厳重に監視されている。状況に変化が発生した場合、システムは即座に人々を目覚めさせ、必要な対応が行われるように設計されていた。


 以上がゲノムアークの概要である。


 複雑な準備工程が組まれ、慎重な計画の元、彼らの作業は順調に進んでいた。発案から短くない時が流れた。宇宙船が完成し、繁栄させるべき生体ゲノムの選別と、技術者である乗組員の育成も終わり、遂に準備が完了した。


 各国家による最優先の共同計画として、全世界がその様子を見守りながら、第一陣、第二陣となる数隻が空へと打ち上げられていった。


 しかし、計画が実行に移されて数年後、誰しもが予想し得なかった事態が発生した。彼らがその地より、新境地を夢見て宇宙の大海原に送り出した船体と、非常に似通った形状を持つ宇宙船が、人知れず彼らの星に着陸したのだ。

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